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「じゃ、こっちは先行って場所取っとくから」


 そう告げて先に行ってしまった白瀬と紅蘭寺さん。

 海に突入するまえに日焼け止めなどを買いたい。という紅蘭寺さんの発言で、駐車場ちかくの売店に来たのだけど。さっさと買い物を済ませた向こうのペアに反し、僕は足止めをくらっていた。

 原因はもちろん田端さんだ。といっても、その理由は面食らうようなものだった。


「な、なんでしょうか、この品揃えは……」


 客もそこそこなお土産屋兼、サーフボードレンタル店。店内はお世辞にもひろいとは言えず、雑多な品揃えに年季を感じられる。店先にぶら下がる風鈴の音が現代であることを知らせていた。砂浜の方にも店は並んでおり、おそらく品揃えはそちらの方が豊富だ。しかし、眩しい日光に反し薄暗く感じる店内で、田端さんは驚愕の声をあげた。

 おねがいします、という言葉もなしに荷物を手渡され、困惑しながらも黙って受け取る。彼女は店内の隅っこ、埃の匂いが一層強い棚に近寄り、震える手で箱をとった。


「生産終了版ヴィークルロイドのグレードアップ仕様、こっちのはサーベル強化キットの限定バージョン? こんな掘り出し物がここに……!」


 すこし古いようにみえるパッケージのプラモデルを手に、田端さんが感動していた。


「田端さん?」


 びくりと跳ね、振り返った田端さんが箱を後ろに隠した。どこぞの映画でみたように、だらだらと冷や汗を流し始める。僕がいることを思い出し我に返ったようだ。


「こ、これは。ええと、その」


 しどろもどろに萎縮いしゅくするその様子からして、あまり他人に知られたくない趣味らしい。背中からはみ出ている箱をそっと棚にもどしてしまう。

 そういえば、たしか田端さんの家の玄関にもロボットがあった。アンティーク調の雰囲気に不釣り合いなアレについては触れなかったけれど、やはり田端さんの趣味だったということだろう。兄弟がいるかもなんて推理は空振りにおわった。

 僕は苦笑して、戻された箱を手に取った。当然、より戸惑いが露わになる。


「あ、あのっ」

「へぇ、けっこう重い。値段は……高っ」


 一万二千円とか、最近の――じゃないか、一昔まえのでこんな値段だとは。

 僕がまじまじと箱をみている間、田端さんは黙りこくって手慰みをしていた。あまりに彼女らしからぬ反応で、なぜか胸が高鳴る。でもかわいそうなので、箱を手渡した。

 怪訝けげんな瞳がみつめる。


「買わないの?」

「……い、いいのですか?」


 僕は頷く。


「僕にそれを決める権利はない。だから買いたければ買うのが正解だと思う。ただまあ、今買うと荷物になるから、帰りの方がいいとは思うけど」


 そう言うと、彼女はわずかに目を見開き、それから視線をせわしく泳がせた。あやふやな口調も消え入りそうな声で行ったり来たり。けれど最後には小さく、ありがとうございますと囁いた。

 内心、僕はとても驚いていた。普段あれだけ落ち着いた物腰で、周囲からミステリアスだなんだと言われている人物が、頬を紅潮させて取り乱している。新たな一面を知ることができたという意味ではすごく新鮮。プラモデルだろうがなんだろうが、無趣味よりはよっぽどいい。思わず口の端が緩んだ。

 ではお言葉に甘えまして。と棚のまえで悩むこと数分。結局、彼女はプラモデルを買わず店を出た。曰く、衝動はときに後悔を生む、という理由らしい。こういうときは買うべきだと思うが、本人がそう言うならば追求することもないだろう。


 サンダルで満車の駐車場を横切っていく。

 わざとらしく何度か咳払いをして、いつもの調子を取り戻した田端さん。横に寄り添って歩くこと数十歩めで、まだ抜けきっていなかった羞恥心を口にする。


「すみません、お恥ずかしいところを」


 首を振って、否定する。


「いいや。むしろ好感がもてたけど」

「好感……ですか。そ、それは嬉しい限りです。すこし不満もありますが」


 そう。好感がもてた。

 全てが完璧な人などそうそういない。なにもかもが理想で埋め尽くされている天才だろうと、誰しもがどこかでミスマッチな一面をもつものだ。たとえばバラに棘があるように。たとえばかわいい色のカエルほど危険であったり。

 田端さんのプラモデル趣味なところはたしかに僕含め大勢が意外だと感じるだろう。驚いたのも事実。でも悪いことでは決してない。

 それだけじゃない。

 東洞スミカにプラモデルの趣味はなかった。であるならば、当然その趣味は彼女特有のものであるのだ。当初抱いた期待どおり、僕は、自分が田端ミレンそのひとに興味を持てた気がして嬉しかった。安堵した。

 そっと。胸の奥で「気のせいじゃありませんように」と願った。


「……」


 急に、田端さんが立ち止まった。


「どうしたの?」


 まっすぐに視線をぶつけてくる彼女を見返して、時間が一瞬だけとまる。

 じーわ、じーわという夏の音。行く先から潮風に運ばれてくる騒がしさ。どこかの車のタイヤと砂利の摩擦音。頭上から焼く日光。

 そのなかで、


「稲神さん、私は」


 消え入りそうな、涼しさを内包した言葉が耳に届く。

 しかしその先は口を閉ざし、言葉に迷っているようだった。すこしだけ俯いて、でもすぐに顔はあげて、髪をなびかせ歩きを再開する。

 小さく、「いえ、なんでも」とつぶやきながら。



 言いかけた言葉の続きを聞いたのは、その日の終盤も終盤。

 僕らが解散し、ふたりきりになってからのことだった。




◇◇◇




 夏だ。海だ。海水浴だ。

 そんなどこかで聞いた文句を叫び、絶賛距離を縮めている最中の二人。白瀬と紅蘭寺さん。頭のなかはすっかりピンク色のようで、遅れてきた僕らをみるなり「どうだった?」と質問がとんでくる。


「遅かったけど、なにかあった? ね、ね!」


 声を潜めているつもりなのだろうか。筒抜けな大きさで紅蘭寺さんが田端さんに詰め寄り、標的となった彼女はたじろぐ。それでも穏やかに誤魔化すあたり、そこはさすが田端ミレンという感じだ。ナチュラルに受け流している彼女を尊敬した。


「んで? 実際どうなのよ。おまえら」


 こっちはこっちで、厄介なのがもうひとり。白瀬は肘でつつきながら顔をニヤつかせている。


「なにもないよ。僕がトイレに行ってただけ」

「なんだよつまんないなぁ。デートだぞ、デート。いいのかおまえそれで」


 ……やっぱり、なにか適当な理由をつけてサボるべきだったかもしれない。僕は今更ながら後悔した。ごめん田端さん。

 やはり性に合わない。僕らはもうすこし消極的な部類なのである。夏休みだからとか、そんな理由で疲れることはしたくない。

 こういうときこそ配慮してナンボじゃないのか、と自分を責めた。

 考えてみれば、選択を間違えたのかもしれない。最初こそ『彼らが初デートを成功できるように』と願って渋々ついてきたけれど。ほんとうは邪魔にならないよう手を引く方がかしこかった気がする。あちらもこちらも傷つかない。まさにウィンウィン。

 そんな思考に現実逃避しながら、僕は彼らの言葉に相槌を打った。

 昼がなんだ、海がなんだ、水着がなんだ。いろいろなことを引き合いに出して上から目線で「恋愛もっとしろ」と叱責されたが、それすらも僕は脳の片隅だけにとどめ、適当に返事をしておいた。気分は担任の長話を聞かされているようだった。夏の砂浜で得たものがこれというのはもの寂しい。


「――からな。じゃ、俺たちは行く! あの大海原へ! 行こうぜミサ!」

「うん、ちょっと待って……よし! 行こ!」


 手を繋いで、海パンの男とうきわに空気を充填したビキニ姿が走り去る。その後ろ姿はあっという間に人混みに紛れ、楽しげな声の一部となった。

 ……去ったか。嵐が。

 立たされたまま話を聞いていた僕はようやくチカラを抜いた。扱いは白瀬だろうと変わらない。染みついた習慣は根が深く、気は張ってしまう。その証拠にどっと疲れが襲った。


「行ったね」

「そうですね」


 落ち込みがちな気分を潮風に押しつけ、チラと横をうかがう。

 田端さんはいつもどおりの無表情にちかい顔で、でも微かに汗を浮かべて海を眺めていた。暗い灰色の髪はシュシュでまとめており、眩しそうに彼方を睨むその佇まいは容姿も相まってになる。さんざめく波にも劣らず、きらびやかな水着を着て――いるわけもなく。立つ姿は薄手の服装にパーカー、膝あたりまでのスカート、そしてサンダルだった。遊びにきた学生というよりは、泳ぐ気のない保護者のようだ。事実そのつもりなのだろうけれど。


「なにか?」


 視線に気づいた田端さんが訊く。


「君らしい格好だと思って。僕は好きだ」

「嬉しいですが、恋心のないあなたから言われると複雑な気持ちですね」


 彼女は口元に笑みを浮かべて、シートへあがった。レンタルしたパラソルの日陰に隠れる。

 田端さんはともかく、僕が恋をしていない事実はいつ口にしただろうか? そんな些細な疑問がよぎったが、暑さに参ってきていた僕は考えるのも億劫で、思考放棄して彼女のとなりに腰を下ろしたのだった。


 気持ちだけ涼しくなるパラソルの下。

 しばしの沈黙が流れる。聞こえてくるのは、駐車場とは大違いの喧噪。すぐそこで交わされる親子の会話さえもはっきり聞こえて、僕らはふたりきり、疎外感のなかで熱を冷ましていった。

 こういったふたりきりの時間はそう少なくない。どちらとも何も言わず、静かにそこにいることはよくある。そこに気まずさなんかは介在しない。なぜなら、今や田端ミレンは僕の一番の理解者だからである。

 行動基準、恋愛における距離感はいわずもがな、根っこの部分にある異常性までをも彼女は知っている。知ったうえで、一定の理解を示してくれている。

 自分のなかの優先順位で言ったら、田端ミレンは紅蘭寺さんや白瀬よりも、もしかしたら家族よりも高いかもしれない。恋と呼ぶにはしっくりこない。でもこの居心地の良さはウソではないはずだ。

 相応ふさわしい言葉を探す。日光を反射する砂に目を細め、浮かんだのは『信頼』という無難で曖昧な表現だった。


「あの二人を、あなたはどう感じますか」


 やがて沈黙を破ったのは、田端さんのほうからだった。


「微笑ましいじゃない」


 目で追い、人混みのなか、水辺でたわむれる級友を発見する。


「キューピッドとなった気分はいかがですか?」

「最高だね」

「……本心ですか?」

「いいや」


 夏の暑さでも健在な声色が、冷たい本心をさらけ出す。皮肉なことだ、かつては誰も信じられなかった僕が、こうして本音で語り合う相手と過ごしているなんて。数年まえの自分がみたら、僕は顔をしかめることだろう。


「正直なところはなんとも、かな。アレは僕が自分のために行動した結果にすぎない。眩しすぎて鬱陶しく思うことは少なくないけど。とくに最近」

「同感です」


 彼女もまた、冷ややかな視線を向けていた。

 日陰に座り、遠くを俯瞰する少女。瞳に乗せるのは羨む感情。憐憫れんびんと言い換えてもいいだろう。田端ミレンも東洞スミカも、あの輝かしい関係は手に入らなかった。今も追い求める理想のひとつなのだ。


「疎外感」


 一言そうこぼし。目を休めるように閉じる。

 耳の奥に残った響きを反復し、僕も頷いた。半袖ごしに感じる熱も抜けてきて、今はとても冷静に思考できる。雨とはまたひと味ちがった落ち着きを提供してくれる。

 疎外感。僕らの状況を的確に表現した言葉は、ああどうしてか、すんなりと胸の奥に染みこんでいく。パラソルの下、周囲の騒がしさに埋もれるふたり。白瀬や紅蘭寺ミサオだけではない。広大な海をまえに浮き足立つ人々すらも、僕らとは異なる。ぽっかりと空いた穴ぐら。そこに身を潜めて、外の世界を睨む姿が想像できた。滑稽で、どうしようもない。

 田端さんは気づいていることだろう。もはや当初の希望どおりに、僕と『普通の恋愛』は送れない。今抱いている恋は、もはや彼女の恋ではないのだから。


 ――私も、普通の恋愛がしてみたい。


 ……いや、最初からわかっていたことだ。きっとあの言葉は大雑把に言っただけで、本来の言葉はニュアンスが違う。もっと緩く、軽く、薄く。ただただ自分の恋愛をしてみたかった、という呟きなのかもしれない。

 だから、彼女は提案する。

 現実に抗うように。はたまた現実に流されるように。


「稲神さん。私のことも下の名前で呼んでみませんか?」

「え?」

「ミレン、と。私もあなたのことはヨウさんと呼びます。いつまでも他人行儀では示しがつかないでしょうし。なんなら様づけでも、あのふたりのような愛称でもかまいませんが」

「例えば?」

「ミレン様。またはミレっち」

「ご冗談でしょう田端さん……」

「冗談です」


 ふ、と。声に出さず笑う彼女。

 線が伸びていない自分だけど、ふしぎと心地よい時間を意識する。疎外感はある。けれど、穴ぐらのなかもそれはそれで快適なのだ。彼らには彼らの、僕らには僕らの価値観がある。互いの距離や空気、時間共有の仕方に特有の恋愛観がある。

 課題はひとつだけ。

 遠くから眺めるこの場所で、恋心をみつけることだけだ。稲神ヨウも、田端ミレンも。

 東洞スミカは……みつけるというより実現する、に近い。


「ところで田端さん、なにか食べ物でも買っ――」

「ミレン」

「……ミレン」

「そう、ミレン。定着させてください」


 さしあたってこの課題には、それなりの努力が必要なようだ。

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