8

「さーってと。短いが、言いたいことは言えてスッキリした」


 気づくと、降霊をはじめてから二十五分が経っていた。もうすぐ田端さんとチヅルさんのパスが切れてしまう。チヅルさん自身、それを理解しているようだった。

 彼女は立ち上がり、雨坂さんもゆっくりと腰を上げる。


「行くのか、もう」

「長ければ長いほど、きっとアタシはお前の足枷になるしな。名残惜しいけど」

「……」


 再びの別れ。雨坂さんと彼女がどんな死別を経験したのかは定かではない。だけど、今再び訪れた別れのときを、どんな言葉で締めくくればいいのか。彼は探しているようだった。

 きっと、色んなことを考えている。伝えたいことが多すぎるのだ。何かを言いかけては、口をつぐんでしまう。できることならこのまま引き留めたいとも思っているだろう。それが叶わないことだと知っていて、同時にチヅルさんを困らせてしまうこともわかっていて。だからこそ、言葉が出てこない。締め付けられる胸をわしづかみにして、様々な欲求に耐えていた。

 そんな彼を見兼ねたように。チヅルさんが破顔した。


「ナユキ」


 最後にこれだけは言っておく、そう前置きして。彼女はあっさりと最後の言葉を贈る。彼の瞳を、まっすぐに見つめながら。



「好きだったよ。お前のこと」



「チヅ───」


 返事を待つこともなく、フッと田端さんの身体が脱力した。

 倒れ込むのを、僕が寸でのところで支える。


「時間切れ、か」


 意識を失った田端さんをみて、雨坂さんがとても残念そうな反応をする。しかし、明らかに顔つきは変わっていた。

 喫茶店で話したときと比べれば、心につかえていたものが取れたように清々しい雰囲気をしていた。何か新しい目標でもできたのか、瞳の奥にさえ光が宿っているように感じる。哀愁が消えたわけではない。でもそれに呑まれているわけでもない。生まれ変わった雨坂ナユキという男は、これからの人生を前を向いて歩き始めることだろう。もういちど。チヅルさんという影を背負って。


 死が、人を強くする。

 僕は田端さんの言っていた意味を、そのまま体感した。


「あの、稲神さん」

「ん?」


 声がした方に視線を落とすと、腕の中で仕事終わりの少女が見上げていた。


「演劇の王子さま役は、適性がありそうですね」




◇◇◇




 部屋の事後処理やちょっとした会話をして、すべてが終わったころには、外はすでに真っ暗になっていた。時刻は八時過ぎ。ちょっと遅めの夕飯どきである。

 玄関先の外灯だけが暖かな明かりを提供するなか、雨坂さんは深く感謝すると、頭を下げて帰っていった。

 その背中を田端家の玄関で見送って、僕らは取り残される。


「……」

「……」


 しばしのあいだ、無言。雨坂さんの車がみえなくなっても、数分はそのままだった気がする。

 降霊術を見た感想を求められている気がして、そっと顔色をうかがう。案の定、ばたりと会う視線。普段と遜色ない瞳が、「どうでしたか」と訊いてきた。


「田端さんの言っていた恋愛観、僕もすこし分かった気がする」

「そう、ですか」


 死別を経て、人の感情はより純粋な想いで満たされる。彼女が崇拝し、自身の価値観を歪める一因ともなった数多の結末のひとつ。本来感じることのできない、感じるべきではない、けれどどこまでも悪魔的な魅力をもつ降霊術の福音。

 その美しさを直に感じたのだ。


「君の言葉を実感させられたよ。アレは、生きて謳歌する恋とはまた別種の素晴らしさをもっていた」


 そう僕がこぼすと、田端さんが微かに笑う。


「不思議ですね」

「なにが?」

「私の恋愛観はいびつなもの、という認識でいたものですから。理解されると、すこし面映おもはゆいと思いまして」

「理解はするさ。否定もしない。君が魅入られたひとつの在り方なんだ。他の誰かが同じように魅入られるのも不思議じゃない」

「では、あなたは私と同じ恋愛観を抱いたのですか?」


 田端ミレンの恋愛観。

 恋愛は死によって彩られる。死は恋愛における最高のスパイス。

 ああ、たしかにそう言われると、死はどうしようもなく恋愛と直結していて、欠かせないもののように思えてくる。彼女にとって、雨坂さんとチヅルさんのような美しい関係もひとつの完成形なのであろう。

 だけど、田端ミレンは知らない。あの関係性は手に入れようとして手に入るものではないことを。あの場所に至るまでに何を失い、何を経験すべきなのかを。

 そして知らないのは、僕も同じだ。


「いや。見せてもらって悪いけど、僕は君とまったく同じ価値観は抱けそうにないや」

「……」


 田端さんが振り返る。そしてポーチライトに照らされた玄関扉に手をかけ、告げた。


「なら、よかったです」


 降霊しているときより深い安心感を感じさせるその声音は、相変わらず囁くように優しかった。


「ときに稲神さん」

「ん?」

「今日は、このあとお時間とか……」


 視線は背けられたまま、声だけで問われる。

 腕時計を見る。

 後片付けに思ったより時間がかかったけど、今日はもうすこし時間がありそうだ。


「大丈夫だよ」


 と、頷いて答えた。


「では、お茶でもしましょう」

「いいの?」

「ええ。あなたは私の恋人ですから」


 放った言葉が恥ずかしくなったのか、はたまた慣れない誘いに疲れたのか。田端さんは振り払うように頭を振って中に戻った。

 胸の奥に燻る違和感を意識しないようにして、僕もそのあとに続いた。

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