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 到着したのは、よく学生が帰り道に寄りそうな喫茶店だった。

 一美坂駅ちかくにあるモダンなカフェとは異なり、木造のより大人な雰囲気ただよう店内。田端さんも立ち寄ったのはこれが初めてではないだろうが、入店まえに中を覗き込んでいたことから察するに、来慣れているということもないのだろう。だとすれば、この店をチョイスしたのはやむにやまれぬ事情があったに違いない。

 例えば、依頼者の要望だとか。


 田端さんは店内に入ると視線を巡らせ、一箇所でとめた。そしてコーヒーをすする男性のテーブルに近づき、問答もなく向かいに座る。男性はカップの中身に注がれた視線をちらりと上げるも、何も言わない。どうやら顔見知りのようだ。僕も田端さんのとなりに腰掛け、彼を観察した。

 痩せ型に無精ひげを生やした男性。年齢は二十後半だろうか。よくみるとシャツはヨレヨレ、目元にクマもつくっている。テーブルに置かれる膨れた封筒と車のキー以外は何も持っていないらしく、近所から一杯飲むためにやってきたかのような装いだった。

 細い指でにぎったカップをカチャリとソーサーに戻して、男性が口をひらく。


「数日ぶりだな」


 挨拶もなく、第一声がそれだった。

 向けられた田端さんは無言で頷く。


「あなたが今日ここへ来たということは、お気持ちに変わりはありませんね?」

「ああ。金も持ってきた。俺はもう一度あいつの言葉を聞きたい」

「彼女の抱いていた本音の、一部分に過ぎないとしても?」


 田端ミレンが代わりに囁けるのは、ひとつの感情に基づいたもののみ。つまり、愛ゆえに生まれた言葉だけだ。綺麗な部分を切り取った残滓にすぎない。余計な感情が混ざらないといえば聞こえはいい。しかし一方で、もたらされる言葉は、依頼者を満足させるためだけのものとも解釈できる。

 彼女は、自分を通して現れる意思が生前とはかけ離れていると、そう言っているのだ。

 だが、男性がおくすることはなかった。


「そうだ。完璧なあいつの言葉でないとしてもだ。そりゃあ、俺には不満や恨み言だってあっただろうけどな。それでも、あいつの言葉を少しでも聞けるなら、俺は金を出す」

「わかりました。では再度、注意事項を確認します」


 名前を交わすことなく、機械的に話が進められる。面倒な手続きはなく、スムーズにことが運んでいく。僕はそれを横目で見ていた。

 この依頼者の男性は、すでに心が決まっているようだった。田端さんを通して、失った誰かの言葉を聞こうとしている。

 田端さんは降霊ができるとはいえ、完璧に意識を宿すことはできない。彼女に代弁できるのは、死者の恋や愛に類する言葉のみ。その者が抱いていた感情の、ほんの一部分だけを抜き出して浮き上がらせることしかできない。

 その事実を知ってもなお、この男は踏み込む。たとえ歪んで、綺麗な部分だけを切り取られて、飾られた再会だとしても。

 いったいいくらのお金が入っているのだろうか、テーブルの上に置かれた封筒はぶ厚い。男性は差し出したが田端さんは受け取らず、淡々と話を進めていった。


「料金は全てが終わってからいただきます。それまではあなたが預かっていてください。屋敷に着いたら契約書にサインをいただくので、そのつもりで」

「わかった」

「それと、彼女が私に降りている際、あなたの方から触れるのは禁じます。触れていいのはお相手から求められた場合のみ。それも手のひらと頭のみでお願いします」

「心得ている」

「間違っても押し倒したり、接吻したりはしませんよう。服を脱がせるのもいけません。約束を反故ほごにした場合は付き人が止めに入ります」


 男の視線が、こちらを一瞥した。

 どうやら僕をボディーガードのような存在だと勘違いしたようだ。軽く会釈されるので、何も言わず頭をさげる。もしかしたら、田端さんはこの役を任せるために呼んだのかもしれない。そう思い至ったけれど、追求はしなかった。プライベートな内容をみせてもらうのだ、それくらいの働きはしようと決める。


「時間は長くても三十分。お相手があなたとの会話に満足した際は、向こうからパスが切られます。いいですね?」

「かまわない。今日はよろしく頼む」


 驚くほど早い。

 男性からなにか要望があるわけでもなく、二人の契約は手短に終わりを告げた。

冷静な田端さんの横顔を見やると、彼女の視線とぶつかる。

 よくわからない、感情の読み取れない瞳。吸い込まれるようにみつめていると、すぐに逸らされる。「任せましたよ」と言われた気がした。


「そうだ、そっちの君には自己紹介がまだだったな」

「え? あ、はい」

「俺は雨坂あめさかナユキ。今はフリーターだ。よろしく」

「こ、こちらこそ。稲神ヨウと言います」


 雨坂さんは聞いた名前を反芻し、田端さんと交互に見比べた。すぐに関係性に勘づいたようだが、それを指摘することはなく、ただ寂しげな笑みを浮かべる。

 まるで眩しい光景を見たとでも言わんばかりの反応に、僕は眉根を寄せる。

 やはり死者との会話を望む依頼者だ。料金を払ってまで降霊術を信じるその裏には、幾ばくかの事情が垣間見えていた。


「では行きましょう。案内します」


 僕を含めた三人は席を立つ。

 結局、僕と田端さんはコーヒーの一杯も頼まず店をあとにした。

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