5
嵐のような怒号が、物静かな部屋に吹き荒れた。
「なぁあにやってんだアアンッ!?」
目つきを鋭くしつつ、身もすくむ程の迫力で威圧する田端さんがイスを蹴った。イスといっても一人用のソファで、重さも値段も一級品。それがガタンと大きな音を立てて倒れる。
「気にくわねぇ、あーサイアクだあたしの気分はよぉ!」
身の毛もよだつ睨みを効かせ、田端さんとは思えない彼女が迫る。尻餅をついて壁際まで後退している男をかばうように立ち、僕は落ち着かせるべく務める。しかし彼女の舌打ちはとんでもなく怖くて、たじろいだ隙を狙って拳が飛んできた。
腹部に重々しく一発。内蔵を揺らし、車にはねられたかと錯覚するほどの衝撃が僕を襲った。
意識が飛びそうな威力は、一瞬とはいえ、床から足を浮かせていた。
かすむ天井をみて思った。
普段からもの静かな人ほど、怒ったときは末恐ろしいのだ、と。
◇◇◇
ことの発端は、携帯に届いた怪しい文章のメッセージだった。
金曜日のその日も、僕の放課後の予定といえば、週末明けにやってくるテストの対策が日課となっていたのだが。一緒に勉強しましょうと誘ってきた張本人が、それを中断したのだ。
すこし息抜きでもしませんか?
ひらいたら
金曜日の放課後は、とても心地のいい空気が漂う。
一週間を終えたことでみんな気分がよく、談笑したり軽い足取りで部活へ向かったり。どこかのんびりとした時間がながれ、これぞ青春という雰囲気を意識するのだ。
とはいえ、今はテスト期間。土日明けに待ち受ける憂鬱をまえにして、生徒たちはいつもより釈然としない気分で帰宅していった。
僕はその群れが去り、校門を通る人影もちらほら程度になるころを待って、田端さんと合流した。落ち合うなり、相変わらず落ち着いた物腰で「行きましょうか」と促す彼女の背中を追いかけた。
告白された日とおなじ帰路。駅までの道すがら、田端さんが降霊について教えてくれる。
「あなたには一度みせておきたいと思いまして」
「テスト勉強はいいの?」
「赤点を回避できればそれで構いません。あなたも私もその水準は満たしていると考えました。なので、ちょっとした息抜きになればと思いまして。余計でしたか?」
両手を振って否定すると、田端さんは「よかった」と小さく呟いた。珍しく、わかりやすい安堵を覗かせて。
その様を目撃してしまった僕は、あの日以来ずっと感じていたモヤモヤを意識したのだった。違和感を誤魔化すように、頭を振る。
一美坂駅から乗車し、以前とおなじく大側井駅で降車する。田端家にお邪魔するのは、告白された日以来だった。
一週間以上まえの記憶をなぞるように、僕らは駅で人通りが減るのを待って。そしてロータリーから伸びる東側の道へと進む――と思いきや。田端さんが向かう先は、大側井駅から真正面に伸びる北側の道だった。小さめの横断歩道を渡り、迷いなく歩みを進める。僕は黙ってついていく。
田舎の駅でも、それなりに活気はある。数メートル先の信号を過ぎたあたりからはコンビニやちょっとしたファミレスなんかもみえて、人々の多くがこちら側に流れていた理由がうかがい知れた。
依然として前を向きつつ、田端さんは降霊術の説明を再開する。
「降霊といっても、私にはそれらしいことはできません。ただ、依頼者のご友人やご家族、恋人などの霊をおろし、ひとつの感情に基づいた言葉を口にするだけなのです」
「十分にすごいし、珍しいことだと思うよ。降霊できる人もそうはいない」
本心だった。田端さんから進んでみせてくれるというのだから、やはり降霊術は本物なのであろう。彼女の性格も加味して、騙されているのではという懐疑心はほぼ薄れていた。
しかし、彼女の降霊術を皆が皆信じられるとは限らない。となりからため息をつくのが聞こえた。
「そう仰ってくれるのは嬉しいです。降霊する私は、単に故人の口調を
横顔は至って普通で、しかめることもなく、感情のないままだった。おそらく自覚があるのだろう。降霊術による愛の囁きなどというサービスは、どうしようもなく胡散臭いものなのだと。きっと怒られるのはあたりまえのことで、それでもどこ吹く風でいなければ、続けるのは難しい。顔色を変えない彼女をみていると、そう思えた。
「君は、なぜそれを続けるの?」
僕の素朴な疑問に、田端さんは考え込んだ。細めた瞳にまつげが揺れて、前髪がさらりとかかった。
「死は恋愛を彩る。過ぎ去った恋に美しさを与える。それを感じたいのかもしれません」
「……なるほど」
「我ながら
憐れな人にみえるでしょう、と。彼女の口調はどこか自嘲めいたニュアンスを含む。
それに対して僕は否定も肯定もしない。なぜなら彼女の行う死者の代弁は、想像もつかないほどの影響力を持っているから。失われた者の声を聞くという機会が、取り残された人々にどれだけの救いを与えるのかは想像に難くない。同じくして、きっと代弁する当人にだって影響は大きい。
死者の言葉を発する自分。死者の言葉を聞かせる相手。両方の人生を左右するほどのチカラが降霊にはあるだろう。そう考えれば、溺れて囚われてしまうのも仕方ないと思えた。
「僕なんかに言えたことじゃないけど、わかるよ、その気持ち」
使わない方がいい。やらない方がいい。そんなことはわかっていても、頼ってしまう。イヤでも思考の片隅に現れ、判断材料につかってしまう。僕にみえる線は、いつだってそうだった。人と人の関係性を考えようとしたとき、どうしてもこの目に頼ってしまうのだ。
似た理由で、田端ミレンも頼ってしまうのだろう。降霊術を通して得た価値観に。自分の恋愛を考えるたび、記憶している生者と死者のつながり――その美しい在り方を取り入れようとしてしまう。参考にしてしまう。だからこそ、彼女は求めたのかもしれない。僕という死の残酷さを知っている存在に、普通の恋愛観を。
しかしまあ、この目のおかげで、僕も僕でちょっとこじらせているわけだけど。
兎にも角にも、そんなことを考えつつ、僕はすこし先の地面をみつめながら共感したのだった。
「……ありがとう、稲神さん」
そして彼女からは、いつもよりすこしだけ砕けた口調で感謝が述べられる。横顔を盗み見ても、表情にこれといった変化はなかった。
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