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 再び田端さんがテーブルのグラスを手に取り、ゆっくりと喉を潤す。半分ほど飲んでコトリと置いた彼女は、短く吐息をこぼし「身の上話になりますが」と切り出した。


「稲神さんが私という人間についてどこまで存じ上げているかは知りませんが、噂されているとおり、少々特殊な身です」


 それは、まあ。授業にあまり出席していないとか、神出鬼没な幽霊だとか、ときたま図書室に現れる番人だとか。そんな噂が流れるということは、学校において浮いた存在であることは周知の事実らしい。僕自身も『変なヤツがいるらしいなぁ』と興味半分で聞き流していたことがある。幽霊という噂を信じてはいない。だけど、ちょっと変わった雰囲気の存在がいるということは認識していた。

 田端さんは、そういった周囲からの評価を肯定した。


「ってことは、もしかして幽霊なの?」

「違います」


 ギュ、とソファを鳴らし、田端さんが立ち上がる。消えている暖炉に近づき、何かを持って戻ってきた。それを見せるようにテーブルに置く。

 目の前に置かれたのは、金属の細長いコップだった。テーブルの上のそれを手に取り、中をのぞく。


「……ビー玉?」

「はい。それは儀式に必要なものです」

「ギシキ?」


 儀式ってなんの。首をかしげると田端さんは一度目を背け、また前に向けた。


「稲神さん、降霊術というものを知っていますか?」

「え? うん、詳しいわけじゃないけど。幽霊を触媒へ降ろすんだよね?」

「はい。私にはその一族の血が流れているようで、しばしば降ろすことがあります」


 降霊術って、存在したのか。

 幽霊なんてもの自体が科学によって説明できると言われる現代に、降霊などそれこそオカルト。それを、目の前の田端ミレンは成すのだと言う。

 冗談を言っている様子はない。至って真剣な雰囲気で続ける。


「私の代は薄まっているので、色々と制限はあります。ですがそれを利用し、商売のようなこともしているんですよ」

「というと? 具体的には」

「一言で言えば……死者の愛を代わりに囁く」


 死者の愛を。代わりに。

 なるほど、ほんとうならばぜひ見てみたい。オカルト的で興味を引かれる。はは、ミレンさんは面白いなぁ。


「バカにしていますね?」

「すみません」


 はぁ、とため息をつかれる。


「まぁ、それが当然の反応でしょうからね。とにかく。私はこういった家系なので、普通の恋愛観を持っていないんです」

「特殊っていうのは、そういうことか」


 首肯する田端さんにコップを返す。

 彼女は受け取ると、ビー玉を取り出してポケットに入れた。


「話がそれますが、稲神さん。私の名前について、どう思いますか?」

「……『ミレン』?」

「そう。漢字では未練がましいとか、そういう書き方の、ちゃんとした『未練』です」

「……」

「私の母は、私を産んですぐに死んだ。それで父がつけた名前が未練です」


 未練。諦めきれないこと。その名を授かった彼女は、それこそ父親の未練の象徴として生きてきたということか。他人の家庭事情にとやかく言うのはどうかと思うが、すごい名付けられ方だ。

 かける言葉が見つからず、顔色を伺う僕がいた。だけど田端さんは冷静に話している。


「父は、母を失ったことでより愛を深めた。私に未練という名をつけるほどに。私が育つとともに、死した妻との繋がりを意識している。同じくして、私が死者の愛を囁くことも人々に愛を深めさせている。降霊術を使って死者の愛を囁いたことで、私は気付いた。生前に聞いても響かない、いずれ冷めてしまう愛の言葉とは別種の強さを、死者の愛は持っていると」


 田端さんが、ひざの上で握り込んだ手から力を抜いた。


「──いつしか、私の恋愛観は歪んでいた」

「歪んだって、どう歪んだの」


 微かに揺れる瞳が、閉じられる。

 言葉を整理しているようで、こうして見てると綺麗だな、と改めて思う。部屋も部屋だ。僕にとっては別世界、彼女が不思議な世界に現れたお人形のようにも思え、じっと見つめてしまう。

 だが、田端さんが開いた目には得も言われぬ迫力があった。


「死は、恋愛における最高のスパイスである」


 僕は目を細めた。

 たしかに。

 人は死したものの言葉をもう一度聞きたがる生き物だ。その一部を担っている田端さんは、考えてしまったのだろう。

 人の価値は、死んだあとにこそ表面化すると。

 大昔の人間は、今では誰もが知る英雄ともなり得る。なんてことない凡人も、今では教科書に載る。

 その延長線上。

 生きているうちに恋愛なんかしても、そこにはきっと薄っぺらさがある。いつか冷めてしまう危うさがある。だが、そこに死が入り込んだら。死別が彼らを引き裂いたら。

 もしかしたら、その恋愛は美しきカタチのまま、人の中に残るのではないか? 遺恨に染まることなく、残された片割れの強い想いになるのではないか?

 そう考えているのだ。

 きっと彼女は憧れている。想いびとの死を乗り越えて前向きに生きるという、恋愛を超えた先のあり方に。人としての成長に。日頃から『死者の愛を囁く』などという手助けをしているのだから、こういう価値観を持ってしまうのも無理はないのかもしれない。漠然とそう思った。


「恋愛は、生前に恋をして、死別を経て愛に至ることで恋愛になる。それが私の恋愛観」

「じゃあ、田端さんが言っていた『恋を知りたい』っていうのは……」


 田端さんは顔を伏せた。


「……私も、普通の恋愛がしてみたい」


 そうこぼす表情は相変わらず無愛想だけど、僕にはわかる。その願望が、切なるものであるということが。


「パートナーと死別した者は、失われた命に対し強い想いを抱く。人はこれを『愛』とも呼びますね。私はそんな人としての強さを尊敬し、手に入れたいと願っている。ですが、恋人もいない私には届かない」


 田端さんが僕を見た。


「自分の恋もまともにしていない人間に、あんな生き方はできない。なにせ相手がいないのですから」

「……それで、僕か」

「はい。私は心を通わせられる唯一の相手がほしい。あなたとなら、きっとなれるはずです。私に恋のなんたるかをおしえ、死別しても想い、愛しあえるような、そんな関係に」

「なぜそう言い切れる?」



「あなたが――死の残酷さを知っているから」



 彼女の放った言葉に、僕は衝撃を受けた。

 いったい田端さんは、どこまで見抜いているのだろうか。想像の及ばない何もかもを見通しているのではないか。そう考えてしまい、冷や汗が流れる。生き方が似ている、では済まされない。すべてを見てきたと言われても納得できそうな理由で、彼女は僕を選んでいた。


「変えてほしい。『死別してこそ恋愛たり得る』というかたよった恋愛観を。おしえてほしい。生きて恋を謳歌おうかする楽しさを」


 胸の奥に蘇った鈍い痛みがあざ笑い、思わず顔をしかめてしまう。だけど、彼女は動じることもなく、依然として丁寧に、そして奏でるように声を発した。


「お願いしても、よろしいですか?」


 最後には、おずおず、といった風に華奢な手を差し出して、握手を申し出る。

 僕はその手と揺るがない瞳を、交互に見つめた。

 感情は薄い。僕が今日知って、見とれた色のままだ。何も変わらない。誰かが見たっていつも通りなのだろう。

 だけど、見定めるつもりで凝視すれば、その奥にある熱意は感じられた。

 本気だ。

 ……彼女のことは、よく知らない。精々が『綺麗な人だ』くらいで、高嶺の花のようにも思っていた。きっと誰もがそう思うことだろう。

 幽霊のように校内を歩く彼女の独特な価値観を感じ取り、人は距離を置くのだ。僕も例外ではない。

 だけど、今日あった数時間がすべてを変えてしまった。

 僕と彼女は、似ている。何がと言われればまとめられないが、それでも共通している部分がある。恋愛に対し偏った価値観を持っているところ。他人とのあいだに距離を設けてしまうところ。互いに誰かの死を背負っているところなど。


 賭けてみたい。

 生徒にまぎれ、ひとり歩いてきた彼女に。同じ学年でありながら、ほとんど接点がなかった田端ミレンに。

 他人と距離を保ってきた僕が、踏み込んでみたいと感じていた。そして、願わくば――。



「……わかった」


 す、と彼女の手をとる。

 冷たいと思ったが、すぐに伝わる体温が生きていることを知らせていた。


「よろしくお願いします。稲神さん」

「よろしく、田端さん」


 この僕に、恋人ができた瞬間だった。

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