3
「着きました」
そう言って田端さんが振り返ったのは、それから十分ほどだった。歩行者専用の道路から角を曲がり、いよいよ住宅街へと突入した僕ら。人気の少ない道を進んでいたところ、唐突にソレは現れた。
目も疑うような、大きい館。見上げるほどの鉄格子に、石の
ひしめきあう住宅街に埋もれるその様相だが、不思議と馴染んでいるように見えた。
「すごいね」
「入って」
視線を落とすと、門の脇にある小さめの扉をあける田端さんがいた。
声に従ってそこから中へ。時間も時間、肌寒くなってきたこともあり、薄暗いせいかちょっと雰囲気がある。もうちょっと荒れればどこぞのテーマパークみたいなホラーな味が出てくるだろう。
噴水を避けて通る道を渡り、玄関扉に着く。
扉は木製の焦げ茶色。今は黒くしか見えないけど、おそらく年季の感じられる扉だ。脇にはポストがあって、『Tabata』と彫られていた。
田端さんがドアノッカーの金具を掴み、コンコンと叩く。今どきインターホンしか見かけない僕からすれば、とても珍しい行動だ。しばらくすると、扉はひとりでに開いて、奥から柔和な顔をした叔母さんが出迎えた。エプロン姿のちょっとふくよかな体型が丁寧にお辞儀をする。
「お帰りなさいませ、ミレンお嬢様。お客様も、いらっしゃいませ」
作法とかは知らない。とりあえず軽く頭を下げておく。
田端さんはいつも通りのことに慣れているらしく、無言で家に入った。僕も慌ててついていく。
中はこぢんまりとしたホールになっていた。天井は高く、シャンデリアにしては小さめの照明が明るく照らしている。壁には見たことない絵画、その脇から二階へ伸びる階段。扉は一階に三つ、階段をのぼって左右に一つずつ。絨毯はそこまでの床を高貴に彩っている。点々と備え付けられたランプもアンティーク調で、温かみのある光をもたらす。視線を巡らせると、すぐそばのコンソールテーブルが目についた。上の燭台はともかく、並んだロボットのプラモデルが微妙な疎外感をかもし出しており、握られたライフルが僕を照準していた。雰囲気ぶち壊しだ。田端さんの趣味だろうか……?
そんな疑問を投げかける隙もなく、彼女は淡々と口を動かした。
「彼を談話室に通してください。私は部屋で着替えていきます」
「わかりました。お夕飯はいかがいたしましょう」
田端さんの瞳が問うように僕を見た。叔母さんも彼女の視線を追ってこちらに移る。「食べていきますか?」という顔だった。
「……あー、」
ごそごそと携帯を取り出して時間を確認。
十七時過ぎ。
偶然、今日は親の帰りが遅い日だった。田端さんと出会わなければコンビニで夕食でも買おうかと思っていたところだ。しかし、まさか夕食がここで食えるなんて。
正直、気になる。
「い、いただいても?」
あまりに場違いな空間にたじろぎながら、控えめに聞いてみる。
「かまいませんよ」
田端さんが平然と答え、叔母さんはにこりと柔らかく笑ってくれる。安心した、失礼にはあたらないようだ。なら遠慮なく甘えさせてもらおう。
しかし、今日初めてまともに話した相手のお宅にお邪魔し、あまつさえ夕飯までごちそうになろうとは。なんと罪深い男なんだ、僕は。明日の朝はトラックに轢かれないよう気をつけて登校しよう。
「では
「ええ、かしこまりました。ではお客様、こちらへどうぞ」
一階右奥の部屋に入ると、消えた暖炉とその上のオーナメントの数々が目についた。部屋の中央には長テーブル、そして二人がけのソファがふたつ。絨毯はあずき色、天井は低くて安心感を抱く。ロビーに比べれば高級感は減った。
照明のついた部屋を見渡していると、叔母さんがコップと麦茶を運んできた。そしてソファへ促し、頭を下げて出て行ってしまう。
決して狭くはないはずなのだが、ロビーとの落差にわずかな閉塞感。振り子時計の音だけが部屋に満ちた。
いったい、田端さんはなぜ僕をここへ呼んだのだろう。それと、曖昧にして流してしまったが、僕は彼女とどういう関係になるのだろう。そのあたり、これから話してくれるのだろうか?
そんなことを思っていると、部屋着に着替えた田端さんが入ってきた。
落ち着いたワンピース姿。さっきより女の子感が増していて、僕の時間がとまる。
「……なにを呆けているんです?」
ハッと我に返り、僕は手のひらを向けた。ちょっと待ってくれ、と。
「あの、田端さん? 僕は……あなたに告白された気がするんですが」
「はい。私はあなたに男女交際の申し入れをしましたね」
「それ、本当に僕でいいの?」
目のまえにいる女の子に、自分がひどく不釣り合いに感じたのだ。自己評価が低いだけと言われればその通りなのかもしれない。でもこれだけは言える。彼女は美人だ。さすがは隠れファンを生むだけのことはある。
素朴な疑問を聞いた彼女は、キョトンともせずに黙り込んだ。そのうち非難の気配がしてきて、すぐに「ごめん」と謝る。
「いいですよ。ですがまぁ、そう思うのも無理はないかもしれません。私はすこし……浮いていますから」
田端さんは向かいのソファに座りつつ吐息をこぼした。
コップに注がれた麦茶に口をつけ一息つくのを見て、僕もそれにならう。学校で出会ってからというもの、彼女はなぜか暑そうには見えなかったが、どうやら勘違いだったらしい。噂は噂。大人しめの性格だったというだけで、決して幽霊などではなかったわけだ。
喉を潤しながらそんなことを考えていると、田端さんが僕を見上げた。視線が澄んだ瞳とぶつかる。すこしだけ空気が弛緩して、微かに細められた目が僕を捉える。まつげが長いことに気づき、不思議な魅力を持った女の子だと再確認する。
機を見計らったように、向こうから切り出してくれた。
「では改めて……はじめまして、こうして時間をとって話すのは初めてですね。私は田端ミレン。あなたの四つとなりのクラスです」
自己紹介だった。四つとなりということは、Aクラスか。ちょうど今日恋愛相談してきた女子生徒も同じクラスだった気がする。『私のクラスでも噂されていた』と言っていたあたり、もしかして流行ってるのだろうか。まあどうでもいいけど。
「あなたのことはよく知っています、稲神さん。よろしくおねがいしますね」
「え、ああ、うん。よろしく」
田端さんはなんというか、感情が読みにくい人だった。ほぼ初対面だからか、それとも彼女特有の雰囲気だからか、同年代にしては他人行儀。こっちも妙にかしこまってしまう。
それもそのはず、僕は彼女のことを噂でしか知らない。普段の僕であれば家にまでついてくることはなかっただろう。歩きながら話だけ聞いて、お邪魔するまえに帰ろうとしたかもしれない。いや、それ以前に告白された時点で逃げていたかもしれない。
しかし、相手は幽霊少女の田端ミレン。明らかに他と違う。どうしてか彼女の勢いに流されてしまい、さらには歩きながら交わした会話が印象的で、結局ここまで来てしまっている。それだけではない。彼女の行動基準に僕と似通っている部分があるのも理由のひとつだ。安易に関係を断つことを躊躇わせていた。
「さっそく本題に入ってもいいですか?」
話がはやいことに感謝しつつ頷く。
「私はあなたと交際――お付き合いをしたいと思っています」
「なんか面と向かって言われると照れるね」
「……続けます」
一瞬、誤魔化すように視線が泳いだ。
「こほん。さて、私は告白し、まだ返事をもらっていないわけですが。知り合って間もない相手に対し急かすことは悪手であると私は考えています」
「なるほど」
「そこで、あなたにはまず私を知ってもらいたい。そのために今日はここへ呼びました」
「学校で話すのではダメだったの?」
「外は暑い。それと第三者に聞かれるのはイヤです」
たしかに。
考えてみれば
「というのも、今から話すのは単なる私についての説明ではありませんので」
「?」
「どちらかというと、頼み事にちかい」
そこまで言うと田端さんは一度口を閉ざし、目を伏せた。ひざの上で握る手を見下ろし、数秒だけ逡巡した。
言いにくいことであるのは明白だった。
だが、彼女の決意は固いらしい。再び向けられた視線には真剣な色が帯び、引き込むように僕を釘付けにする。
「稲神さん」
名を呼ばれ、ごくりと息を呑む自分がいた。
目の前に座る田端ミレンという生徒は、心の内側を見通すように、静かに告げた。
「私は、恋を知りたい」
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