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 はっきり『交際』と言い切った彼女の顔色は、まったく変化がなかった。

 正直、すごく驚いていてどう返したものか悩んでいる。受けいれる断る以前に混乱で頭が追いつかない。

 こういうとき、経験が浅い男は己の勘違いに警戒する。「付き合って」という言葉に喜んだのもつかの間、「そういう意味じゃないよぉ」と笑われる……そんな漫画のような行き違いも現実には存在するのだ。そして傷心した者が僕のところへ相談にくる。

 だがコレは違う。本気だ。

 『交際を申し込む』とまで言われてしまえば疑いようがない。それだけに唐突で意味がわからない。

 きょとんとしたままの僕に痺れを切らしたのか、また告げられる。


「再三言いますが、私の言う『付き合ってほしい』は、『私と男女の交際関係に発展してほしい』を意味します。断じて『そこのコンビニまで』とかそういうことではありません」

「……ご冗談でしょう田端さん」


 幽霊のようだと噂される生徒、田端ミレン。彼女に対する印象は、僕も同じようなものだ。

 どこのクラスかは不明だが、その存在は僕の耳にも届く。授業にもほとんど出ず、見掛けるのは存在を忘れたころという神出鬼没さ。しかし聞くところによると、水曜日だけ図書室のカウンターに現れるらしい。ミステリアスな空気に独特な風貌で、惹かれる男子もそこそこいるんだとか。

 僕から見てもその魅力は顕著。ダークグレーの髪は肩あたりまで伸びており、切り揃えられた前髪が揺れている。体育なんてそれこそサボるんだろうな、と思った。

 お高くとまっている、と言えばいいのだろうか。周囲と同じくして、僕は彼女が別世界の存在だと思っていた。

 だから、きっとこの告白にも事情があるのだろう。

 そう思った矢先。


「今あなたが考察したような事情はありませんよ。賭けごとに負けて罰ゲームで告白したわけでも、美少女の立場を利用し、あなたをからかうつもりで告白したわけでもありません」

「え……今、自分のこと美少女って言った?」

「言葉の綾です。ともかく、私は私の意思で動いている。あなたに興味を持ったのは事実であり、真剣なのをお忘れなきよう」


 そっと目を伏せる田端さん。しかしすぐに顔をあげると、あっさりと僕の横を通り過ぎ、通用門へと歩き出した。

 僕は呆然とその様子を眺めた。


「なにをしているんですか」

「え?」


「すこし付き合ってください。私の家にご招待します」


 ……やっぱり、そっちの意味も含まれてるんじゃないか。



◇◇◇



 田端さんは髪をなびかせながら歩いた。

 カバンも持っていない上に右手には本という、登校日にしてはずいぶんとラフな装いだ。

 歩道に出て何の気なしに車道側を歩けば「やはり気が利きますね」と涼しげな賛辞が述べられ、思ったより背が小さいんだな、と視線を投げれば「女の子は小さい方が好まれると聞きますが」なんて心を読んでくる。

 平然と心を読んでくるあたり、結構こわい人だ。

 内心びくびくしながら、僕らの関係について質問してみる。


「田端さんって、僕と話したことあまりないよね?」

「そうですね」


 無垢な横顔は冷静に応え、そして淡々と続けた。


「ちょうど一年前の今……七月に一回。最近だと先々週の水曜日。どちらも放課後に、図書室のカウンターで話しています」

「よく覚えてるね」

「ええ。あなたは目立ちますからね」


 僕が目立つ。初めて聞く意見だ。勉学も運動もこれといって突出していないし、特技もなければ恋愛相談を受け持つだけの、ただの帰宅部だ。昔から目立つことは避けてきたためあまり嬉しくない。


「僕、目立ってるの?」

「私の目に目立ちます」


 なんだそれ。目立っているというより気になっている、の方が正しいんじゃないのか。しかしまぁ、恥ずかしいがゆえの遠回しな言い方であると考えれば、ちょっと人間味があってかわいい気がした。

 そんなことを考えていると、田端さんは口元に手を添えた。


「いえ、むしろ逆でしょうか。あなたは目立つというより、周囲よりひと回り目立たない。だから気になってしまうのかもしれません」

「気になる?」

「気にっ、いえ。目立つ……でもなく。目につくのです」


 たじろぐところはちょっと面白い。

 へら、と笑ってしまうが、睨まれてすぐに顔を背けた。

 彼女なりの照れ隠しなのか、「皮肉ですね、存在感の薄さが原因でひとの目を引くなんて」と毒を吐き、会話を流した。


 僕らの高校が建つここ、一美坂かずみざかは、盆地に位置する豊かな街だ。自然が多く、それなりに店もある。中学のときに県外から引っ越してきた僕にとっては、住みやすさがこれでもかと理解できた。

 食べ物も水も美味しい。景観がよくて清々しい。徒歩で通える高校に進学したのも、この地がそれなりに好みなためだ。

 一方、田端さんは歩きでの通学というわけではないらしい。歩きでないならそのラフさは意外だが、彼女は僕の訝しげな視線を受け流しながら改札を通った。

 下りの車両に乗る。

 すぐ降りるとのことなので、降り口の横の手すりにつかまる。

 車内はこの時間帯に帰る学生で溢れていた。知らない学校の者がほとんどだが、ウチではちょっとしたレアキャラな田端さんと乗っているのだ、と考えたら目立っている気がしてならなかった。

 停車時間を待ち、ゆっくりと走り出す。一駅三分から五分間、意識を窓から見える景色に注いだ。一度だけ反射した窓越しに目があったが、すぐに逸らされた。

 大側井おおがわい駅で「降ります」と手短に告げられ、田端さんの後を追う。

 切符を駅員に渡すと、一足先に改札を通過した田端さんが手洗いへ。僕は駅を出てすぐ横にズレ、気配を消すように待った。

 たくさんの人が、狭い出入り口から流れ出てくる。

 駅を出たところはロータリーとなっていて、三方向へと道が伸びている。東は細めの道で、住宅街へ。北は街中に突入するようで、向こうに信号が見える。西は駐輪場と裏手へ続く細道、そして田端さんが向かった公衆トイレだ。

 六割近くが駐輪場、二割が徒歩で歩道を北へ、残りは待機していた車に乗り込んだり、僕と同じようにそこらで携帯を弄っていた。

 あっという間に人は散り、騒がしくなった駅はまた静まり返った。すでに夕暮れ時、背中の自動販売機も眩しく感じてくる。なんか飲もうかな、とラインナップを物色していると、田端さんが戻ってきた。


「お待たせしました」


 僕は出しかけた財布をしまった。


「なにか買うのですか?」

「いいや。帰りにするよ」

「そうですか。では行きましょう」


 田端さんはまた歩き出した。

 幽霊などと噂される彼女のことだ。行動基準はよく読めないが、想像はできる。きっと手洗いに行く、なんてのは口実で、人が居なくなるのを待ったのだろう。僕も電車に乗るときはよくやる。しかし、わざわざそれを訊く必要はあるまい。

 僕は黙って、また後を追いかけた。

 足先を向けたのは、東側の細い道だった。

 車が二台通れるか通れないか、くらいの車道を進む。やがて車道は左に曲がり、別れた歩行者限定の道へと入る。

 進むごとに周囲の建物は密集していく。初めての道を興味深く観察しながら歩いていると、無言だった田端さんが口をひらいた。


「あなたは、恋愛についてどう思いますか?」

「え?」


 周囲を見回していた視線を、横を歩く彼女に向ける。

 空気が紺色になっていくなか、ぽっと点いた街頭に照らされ、変わらぬ表情が浮かぶ。


「今日も律儀に恋愛相談を受けていたご様子」

「あ、あー……ははは、ま、まぁね」

「頼りにされていますね。こと恋に関しては、あなたはとても心強い存在だと聞きました。私のクラスでも噂されていましたよ」


 やめてほしい。

 僕は人生のエキスパートでもなければ、恋愛のスペシャリストでもない。モテることもないのに、勝手にハードルを上げないでほしい。相談を断れない僕が悪いんだけどさ……。

 きっと、田端さんもそんな風に見ているのだろう。僕を恋愛経験に長けた存在だと勘違いして、それで、


「いますよね、あなたみたいな方」


 その声を聞いて、ゾワリとした。


「他人の心に敏感、観察力に優れているがゆえに、生きにくい人生を送っている人」


 思わず立ち止まる。

 田端さんは振り返り、また近づいていた街灯を背に僕を見つめた。


「あなたは察しが良すぎる。だから恋愛相談もいたずらに的を射た助言をしてしまう。こと男性の視点に関しては知識が豊富。それゆえ女性からは特に頼りにされる」


 体がこわばる。

 初めてだった。僕の内心を、中途半端な在り方を、こうやって指摘されたのは。核心を突かれたのは。


「あなたに恋人ができないのも、おそらくそのせいでしょう。他人の些細な好意にも気付いてしまう。気づいていなくとも、想像して無意識に行動を変えてしまう。結果、相手の理想からかけ離れる」

「よく、わかるね」

「難儀なものですよね、人の心に敏感な人は。そういう人は得てして報われない。たとえば勝手に過ぎた気づかいをして、相手はそこに気づかいがあったことすら感知しない。あなただけが不憫な扱い。そんな瞬間が日常茶飯事」


 そうだ。僕の気づかいは大抵、自己満足で身勝手だ。人間関係というものに敏感なせいで、要らぬ配慮をしてしまう。恋心を察してしまった相手ならなおさらのこと。

 だがそれは僕個人が勝手にしたこと。感謝されなければ得るものも何もない。それどころか、


「恩をあだで返される、というのを、あなたも一人で繰り返しているのですね」


 降参だった。

 田端さんの見立てはすべて正しい。似た経験でもあるのか、彼女は誰よりも僕という生き物を理解している。まるで見てきたかのように的確に言い当てるその様は、やはり普通と違って見える。

 恐怖をとおりこして感心してしまった。

 肩をすくめて苦笑いするが、田端さんは暗くなっていく景色の中で、ただ無表情に見つめるだけだった。しかしすぐにきびすを返し、歩きを再開する。


「難しいですよね、恋愛」

「……そうだね」


 前を行く背中を見ながら、僕も笑って同意した。

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