第24話 機械と人間

「――こっから先が、本当の殺し合いだ」


 睨みつけながら、楽しそうに壱加が言う。

 殺しが当たり前に起こってしまう裏通りの空間で、二人の人間が対峙していた。


 一人は生身、一人は自分の体を強化して。

 まるでサイボーグなのかと疑ってしまうような駆動音が、壱加の耳に伝わっていた。


 壱加の鼻からは、一筋の血が垂れていた。――鼻血だ。その鼻血の原因は、目の前の黒い戦闘スーツを着た誰かが繰り出した蹴りが掠ったことなのだが、その脚力は普通ではない。

 なぜそんな脚力を……と問われたら、当たり前のように意識が黒い戦闘スーツに向く。


 もし、力の源がそれなのだとしたら、先に封じておくのが当然だ。だが、相手がこれを読んでいない――なんてことはない。自分の弱点など、把握しているだろう。把握していないとしたら、それは途轍もない自信があるのか、それともただの馬鹿か。

 少なくとも、目の前の誰かは――前者だろう。


 確信を持って、自信があるのだろうと言える。もしも自信がなかったり、さっきの蜘蛛の兵器に頼っていれば、壱加に一撃、加えようとはしなかったはずだ。

 不用意にそんなことはしない。

 けれど相手は壱加に攻撃をして、いま、ダメージを負わせている。結果が出ていた。


 黒い戦闘スーツを着た『誰か』は、壱加に勝てると思っている、ということか。

 後手に回る必要はない、そう思った黒スーツは、先手を打った。地面に小さなクレーターができるほど足に力を入れて、駆け出した。

 一瞬で壱加の懐に潜り込み、細い腕を前に突き出した。

 ――正拳突き。機械によって強化された拳は、壱加の体の中心を捉えた。


 大砲を撃ったような音。

 その音で威力がどれほどか、など予想がつく。

 壱加があれを耐えることなどできない、なんて予想も同じように――、


「……足りねぇよ。そんなんじゃあ、到底、オレの足元には及ばねぇなぁ。

 力で対抗したいなら、少なくともこれくらいはいかねぇとなぁッッ!!」


 ――つくとは、限らなかった。


 まったくと言っていいほど、壱加にダメージなど届いていなかった。逆に殴った拳が麻痺しているくらいだ。鉄をも簡単に砕く拳、威力だというのに……、

 壱加の硬さの異常さが際立っていた。


 胸にめり込むほどの勢いで突っ込んできた細い腕を、壱加は真横から握る。

 黒スーツはびくっと反応したが、抵抗しても逃れることはできなかった。

 これで離れることはできない。あとは簡単だ。――力の限り、ぶっ飛ばせばいい。


 笑いながら、壱加は残っていた方の腕を、黒スーツに向かって突き出した。

 やられたことをそのまま返しただけ。同じような正拳突き。

 しかし、まったく違う。


 フォームではない、速度でもない。――ただ、威力が違う。


 轟っ、と、音。


 視界がぐるぐると回っている中で、黒スーツは世界が回っているのだと錯覚した。

 しかし、違う。

 逆だ。世界が回っているのではなく、自分が回っているのだと知った。


 壱加の拳が自分の体に触れた瞬間のことは、よく覚えてない。気づけば空中を舞っていた。黒スーツにとっては、その程度の理解しかなかった。

 痛みだって、瞬間的な痛みはまったくと言っていいほどなく、後からじわじわと感じる痛みしかこなかった。もしかしたら今の一瞬、自分は気絶していたのでは? 

 それは『もしかしたら』ではなく、現実だった。


 空中で体勢を立て直し、無事に地面に着地する。


 一瞬、全身が固まる痛みが走った。

 今まで無口だった黒スーツの口から、「ぐ、うう……」と呻き声が漏れる。


「はっ、言葉を発さねぇから、もしかしたら中は機械だけで、人間はいねぇと思っていたが、どうやらきちんとした人間みたいだなぁ。だからと言って、手加減する気はまったくねぇが。

 もしかして期待でもしていたか? 『機械だから殺すことに抵抗はない……だが人間だった場合は機械と違って本気でやるわけにはいかない、力を緩めなくちゃなぁ』――とかよぉ」


 そんなこと、毛ほども思っていない。

 壱加の表情は最初から今まで、まったく変わっていないのだ。

 たとえ機械だろうと、人間だろうと、

 壱加は力の限りにぶっ飛ばす。そして殺すだろう。それは変わらない。


 それに、今更、『殺す』、『殺さない』なんて考えるだけ無駄だ。

『殺し』は離れない。決して、この世界から無くなることはないのだ。

 裏という世界はそういうものなのだから。


 黒スーツはゆっくりと立ち上がった。

 ダメージが残っているらしく、ふらふらと今にも倒れそうだ。

 だが、そこは機械の補助。倒れることはなく、歩行も問題ない。


 このまま戦いを続けて、勝てるとは思えない。

 明らかに準備不足であったし、それに、目的はだいたい達成できていたのだ。

 撤退という選択肢もある。迷わずそれを取ったとしても、誰も責めやしない。


 ――選んだのは撤退だった。


 勘違いしてはいけないのは、逃亡ではなく、撤退だということ。

 逃亡は背中を向けるが、撤退は背中を見せない。

 まだ戦う意思はある、まだ諦めていない、負ける気などさらさらない――。


「もう帰るのか。が、それを簡単にさせる、とでも思ってんのか?」

「阻まれて、おとなしくなるとでも思っているのか?」


 黒スーツの、初めてまともに開いた口に、壱加は驚いた。すらすらと喋るのではなく、無口キャラで通すのかと思っていた。喋れるのなら最初から喋れよ、と思うが、戦闘中に会話などしないのが普通なのかもしれない。


 それよりも、壱加との戦闘で会話をする余裕などない方が大きいか。


 無口というわけじゃない。喋る時は喋る。今までは、その必要性を感じなかっただけで、必要とあれば喋るのだ。

 ただ、中身は人間。機械というわけじゃない。言わなくてもいいこと、言うべきことを完全に仕分けできるわけもなく、ぽろっと喋ってしまうことだってある。

 壱加の挑発に返してしまったのは、たぶん、思わず――だろう。


「確かに、おとなしくなるわけねぇよなぁ。その方がいい。

 暴れずに従順な敵っつうのも、嫌なもんだしな」


「……悪いけど、これ以上、あなたに構っている必要はなくなった。

 データは取れたのだから、目的は達成できたも同然なのよ」


「ああ? データ、だと?」


「そう。だから構うことはできない。――今は、だけど」


 なにかまずいことでも起こりそうな予感が壱加の全身に走る。こういう直感は当たってしまうので困る。どうでもいいことについて、当たる気配などないくせに、こういう時だけ冴えてしまうのは、やはり長くこの世界に浸かり過ぎているからなのだろうか。


 逃がすわけにはいかない。逃がす気など元からないが。


 余計な小細工など、している暇はない。逃がさないというのが現段階での目的ならば、掴んでしまうのが手っ取り早い。壱加は、ぐんっ、と腕を伸ばし、黒スーツの胸倉を掴もうとしたが、

 ――ゴォン! と、真上から落ちてきた巨大な物体によって、それは遮られた。


「っ、がぁ! くそがッ!」


 八本足、メタリックな黒色をした、巨大な物体。

 それはさっきと同じ、蜘蛛の兵器だった。


 さっき爆破したのとは違う。急いで修理した、というわけでもなく、どこかに潜んでいたのを呼んだのだろう。確かに、さっきの一体だけなど、誰も言っていない。

 二体目がいたとしてもおかしくはないのだ。

 二体目を潜ませておくのは戦略としては当たり前。

 たとえ一体で倒す自信があったとしても、保険をかけておくのは当然のことだ。


 壱加も、頭の隅の方には置いておく考え方だ。

 ここまでは、常識の範疇。


 ここから先は、壱加でも顔色が変わった。

 三体目が出てきて、四体目、五体目、六体目……、十二体目。

 黒スーツに群がるように集まる兵器は、本物の蜘蛛のように見えた。


「良ければ相手をしてて。その間に、私は撤退させてもらうわ」


 そう言って、黒スーツは一つの蜘蛛の中に乗り込んだ。

 蜘蛛の頭らしき辺りが、ぱかっと開き、そして閉じる。

 メタリックな色が当たる光を反射させ、

 ツルツルなボディは、風の抵抗などものともしないだろう。


 蜘蛛が一斉に動く。

 黒スーツが逃げ込んだのがどれかなんて分からない。

 だから、諦めた。

 探す気なんてなく、あるのは向かってくる敵を倒すという闘争心のみ。


 一体の蜘蛛が、壱加に向かって跳んだ。

 全体重で押し潰すつもりか。なんの捻りもない、ただのボディプレスだった。


 それにしても、中に操縦者がいないのにもかかわらず動くというのは驚いた。自動操縦か。

 それとも黒スーツが中に入り込んでいるのか。

 壱加にしてみれば、どっちでもいいことだ。


 考えなんて機能していない。

 ただ、きたものを打つ、バッターでしかない。


「――ガラクタが。たかが機械程度の脳みそで、オレと張り合えるとでも? プログラムなんつう、決まったことしかできねぇお前らには、臨機応変に、なんてできないだろうなぁ。

 じゃあ、予想外の動きをしたら、お前らは一体、どうするんだっつうんだよぉっ!」


 機械は人間に勝てない。

 頭脳はもちろんで、壱加を人間とすれば、肉体的にも勝てないだろう。

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