第22話 アンビバレント

 襲麻の制止に仕方なく頷いた花だが、触れたら火傷しそうな雰囲気は抑えられていなかった。


 威圧の空気……、叫んだ男子生徒はそれを見て、感じて、「……あ、あ」と二言目が出せなくなっていた。冷え切った教室内では、沈黙が数秒、支配し――しばらくした後、温かさが戻ってきて、いつも通りに動き出す。

 それからは、襲麻たちを見る者もからかう者もいなくなったので、花的には満足だった。


「なんだか、玉子、迷惑だったのでしょうか……? クラス内の作られていた空気感とか、雰囲気が、いまの一瞬でパリンと砕かれた気がするんですけど……」


「少なくとも、玉子ちゃんが気にすることじゃないと思う」


 巡のフォローが入ったが、玉子は頷くも、少しは自分を責めているのかもしれない。

 それは仕方ない。時間が経てば落ち着くだろう。


「じゃあ案内の続きをするか。それにしても、玉子は友達と過ごさなくて良かったのか? 

 別に一緒に案内してもいいんだぞ? 友達も一緒にさ」


「いや、それは、その」


 玉子らしくない言葉に、巡は気づく。

 巡は襲麻と花という元からの交友関係があったから不安はなかったが、玉子はそうでない。

 数日で友達を作るというのは無理な話だ。

 中にはすぐにでも友達を作ってしまう者もいるが、それはそれ。玉子はそれではない。

 ただ、意外に感じるが――。


「まだ友達と言える友達はいないので、今日は玉子だけで大丈夫です」


 無理な笑いをしながら言う。

 これ以上、そんな痛々しい笑顔を見たくなかった襲麻は、先に進んだ。


 さっき中断した場所から、案内を再開した。

 音楽室や化学室など、解説など一言で終わってしまうような部屋を案内する。


 案内、と言っても、説明を長々とするわけでもない。

 時間はたっぷりとあるが、

 ゆっくりと案内したところで、あっという間に全て終わってしまった。


「ありがとうございます。どうにかこれで迷わないで済みそうです」

「だといいけどな」

「ですね」


 自覚はないらしい。

 玉子のことだ、学園内を知っていても、興味がすぐにあっちこっちに行ってしまい、結果、迷うことになりそうだ――と襲麻は予想した。

 そんなことを心配されているとは、玉子は知らず「……?」と首を傾げていた。


「それじゃあ先輩……」

「――ああ、じゃあな」


「早いっ!」


 もう帰る気満々だった襲麻は、玉子のツッコミにピクリと反応した。もう役目は終わったはずだが……、まさかまだなにかあるのだろうか。不幸が寄ってきそうで少し不安である。


「えっと、まさかまだなにかやらせる気か? 

 町まで案内してくれ、とかは今日はもう無理だぞ?」


「それもお願いできるならしたいですけど、それは今いいです。玉子的には、こうして案内をしてくれたので、なにかお礼がしたいかな、なんて考えたりしてまして。

 暇、ですよね? 駅前に美味しいクレープ屋さんがあるので、一緒に食べませんか? 

 もちろん、玉子の奢りでいいですよ」


 クレープ――、薄い生地の上に、果物や生クリームが乗り、包まれているあれか。断る理由は特にない。……ないのだが、襲麻は甘いものがあまり好きではないので、乗り気ではなかった。

 答えなど分かり切っているが、襲麻は花と巡の方をちらりと見る――と、


 まるで瞬間移動でもしたかのように、後ろにいた二人は、いつの間にか目の前、玉子の隣にいた。三人で仲良く手を繋ぎ、「よし、行こう!」と。

 襲麻一人が嫌だと言ったところで、決定が覆ることはなさそうだった。

  

 ―― ――

 

「ふぅー、すっごくすっごく、おいしかったですー」

「だねー。いちごがやっぱりおいしかった」

「いや、ブルーベリーが一番おいしかったけど」


 人間なのだから、それぞれの好みが違うのは当たり前だ。

 当たり前なのだから、そんなことでいちいち喧嘩をしないでほしい。

 コメントもなんとなく退行している気もするし……。


 三人を眺めながら、襲麻は溜息をつく。


 いつの間にか夕方になっていた。

 空は赤く、地面も同じように。


 ぼーっと空を眺めていると、ひょっこり、と、玉子の顔が襲麻の視界を埋めた。


「先輩、一緒にクレープ、食べれば良かったですのに、もしかして嫌いだったのですか?」


「……まぁな。

 嫌いじゃないけど、好んでは食べないな。

 洋菓子よりは和菓子の方が好きなタイプだし」


「そ、それは悪いことをしてしまったかもです! 玉子は悪い子ですか!? 

 もしかして洋菓子と一緒で、玉子のことも嫌いですか!?」


「洋菓子と一緒だよ。嫌いじゃない」


「それって好まないってことですよね!?」


 そういえば、そうなるか。

 間違えた、と気づく。すぐにでもフォローをしようとするが、玉子は「あわわわ」と両手を振って、分かりやすく慌てていた。

 襲麻がなにかを言ったところで耳には届きそうになさそうだ。


「別に嫌いじゃないぞ。全然、好きな方だ」

「え……そう、です、か」


「なんだよ?」


「あ、あ……っ、なんでもないですなんでもないですっっ!」


 さっきよりも激しく両手を振っていた。なにかを誤魔化しているようにも見える……敏感にそれを感じ取ったのは、花だった。

 遅れて巡も玉子のおかしな様子に気づき、ある可能性を見つけた。


 ぼそっと、巡は花に向かって耳打ちする。


「もしかしてだけど、玉子ちゃん、襲麻に惚れちゃったんじゃ……」

「……かもね。ああ見えて、外面そとづらは良いからね、襲麻は」


 まるで内面はダメ、みたいな言い方が気になったが、

 近くに長くいた花の感覚だと思って、特に意識はしなかった。


(……うーん、ライバルが増えたって言うのに、冷静だなぁ、花は。自分に自信があるのか、それとも玉子ちゃん程度に取られない、とでも思っているのか……。

 焦ってあたふたするよりは、全然良いのかもね――)


 と、そう思っていた巡だが、


「大丈夫大丈夫、襲麻が年下に手を出すことはないし、大丈夫だろうけどね、うん大丈夫——」


 見るからに、冷静ではない花だった。まるで呪文のように自分に『大丈夫』と言い聞かせているのは恐いし、痛い……、というか隠す気はもうないのか、と呆れてしまった。

 これは聞かなかったことにすればいいのか、それとも指摘した方がいいのか、悩むところだ。


「花、漏れてるから。少しは自重しよう」


 悩んだ結果、一応、止めておくことにした。

 このまま暴走されても困る。


 冷静さを取り戻した花は、抜けた魂が戻ってくるまでに時間がかかったが、戻った後は早かった。すぐに巡を、キッと睨む。


「……あんたはなにも聞かなかった。

 なにも知らない、関係も全てリセット、それで了解?」


「そんなわけないでしょうが。しかも、さらっと関係を他人まで戻そうとしないでくれるかな? 

 別に、周りに言いふらす気なんてないから、私くらいには相談してくれてもいいんじゃん。

 同じ女同士なんだし」


「余計なお世話」


 ぴしゃりと拒否されてしまった。

 そう言われてしまえば、無理に頼ってくれと言う訳にもいかない。

 自分の力でどうにかしたいと本人が望んでいるのならば、それを尊重してあげるべきだろう。


「でも、たまになら……」


 弱々しく呟かれた、花の一言。


「え……?」


「――っ、なんでもない!」

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