第3話 ラインナップ その3

「信じる信じないはお前の自由だ」


 鴉野の言っていることはもちろんハッタリであり、そもそも脅しにもなっていない。

 動けば死ぬぞと言うが、なぜ死ぬのか? ということだ。

 根拠がない。

 別に状況が変わったわけではないし、動いたところでなにも起こったりはしない。


 しかし、ハッタリと分かっていても、もしかしたら……、と思ってしまうのが人間だ。

 分かっていても――たとえば透明な壁があって、自分のことを守ってくれるにもかかわらず、自分めがけて飛んでくるボールを、思わず避けてしまうように。

 ないはずのバッドエンドを考えてしまい、意識が、少しでも持っていかれることになる。


 そこを狙った。

 ごく僅かな、蚊が通れるほどの小さな隙間と言える隙。そこを突いた。


 だっ! と駆ける鴉野の動きに、男の反応が遅れた。


 鴉野思想、研究者としては――動ける研究者だった。

 頭脳を使うのが得意なのと同じように、体を動かすことも得意だった。

 体勢を低くし、相手の懐に潜り込むように、すっと入り込む。


 握った右拳を下から真上に振り上げ、男の顎を目指す。


 ガッッ、と顎にヒットしたかと思ったが、鴉野の拳は防がれていた。

 ――拳銃だった。顎の代わりに殴ったのは拳銃。

 しかも、銃口がこちらを向いている。


「中々やるじゃねぇか。けどな」


 引き金が引かれた。パァン! と渇いた音が鳴り響く。


 完全に偶然だ。よく避けられた、と鴉野は自分を賞賛した。


 鴉野の頬から一筋の血が流れ、顎を伝わり地面に落ちていく。

 間一髪。あとほんの少しでも遅れていたら、間違いなく顔面が吹き飛ばされていた。


 しかし安心してはいけない。

 一発で終わるはずがない。

 何発、入っているのかは知ったことではないが――、二、三発で終わるはずがないだろう。


 銃声が連続して鳴り響く。


 鴉野はごろごろと横に転がりながら、銃弾を躱していくが、全てを躱せるはずもなく、肩と横っ腹が熱くなってきた。撃たれたと気づくのに、数秒が必要だった。


 だが、ここで止まるわけにはいかない。


 男をチラリと見れば、弾が無くなったのか、新しく弾を入れる様子だった。

 恐らく、最初で最後のチャンスだろう。


(やるしかねぇ。

 その余裕を崩してやる、いっぺん痛い目を見やがれ、クソ野郎ッ!)


 鴉野が立ち上がった。

 暴れる激痛を抑え込み、男の死角である真横からの攻撃に行動を移す。


 完全に入った――、そう思った。


 しかし、


「おいおい、おめでたい頭をしてやがる。本気で殺す気で、俺はここに来てるんだ。それなのにもかかわらず――拳銃を一丁しか持ってきていないなんてこと、あると思うか?」


(まずい――)


 遅い。


 鴉野が自分の失態に気づく時には、全て終わっていた。

 新たに現れた二丁目の拳銃。

 その銃口が、鴉野の胸に押え付けられていた。


 連続する銃声。

 三発の銃弾が、鴉野の肉を抉る。

 痛みなど感じず、気怠さが鴉野を襲った。


「――があっ、がばぁっああ!?」


 力が入らない。受け身も取れずに、鴉野は前のめりに倒れていく。

 倒れた時の衝撃が傷口に響いたが、そんなことを気にする余裕など、あるはずがなかった。


「心臓を射抜いたわけじゃねぇが、死ぬだろ、普通に考えて」


「……て、めぇ……は」


「俺か? そういや名前を教えていなかったな。けど、言う必要があるか? 

 お前、このまま死ぬっつうのによ。――ま、いいか」


 男は二丁の拳銃をしまう。もう戦う意思はないらしい。

 ――勝負はついたのだから。

 このまま鴉野は死ぬだろうから。それが分かっているからこその行動だった。


「俺は辰実たつみ一元いちげん。『ドラゴン・ファミリー』のリーダーだ。

 まぁ、作ったばっかの組織だし、知らないのも無理はねぇだろうな。

 けどな、これからどんどんと力をつけていく。この町の裏を、支配するほどな」


「本気……か?」


 裏――、それは殺し合いの抗争に飛び込むことであり、自殺志願者と思われても仕方のないことだ。鴉野も裏に関わりたくないからこそ、こうやって静かに実験をしていたのだが。

 この男――、辰実一元はわざわざ自分から死地へ飛び込もうとしていた。


「本気さ。こっちにも、――死ぬ覚悟ができるほどの理由を持っている」


 なにをこんなに語っているのか、と気づいた一元は、溜息をつきながら鴉野に背を向けた。


「さて、ここに囚われていた子供達は逃がしておくぜ。

 なんだったか、ラインナップとかなんとか。そいつらも同様にだ」


「普通、の生活が、送れるとでも……?」


「気の持ちようだ。けど、確かに異常を自覚してる奴は危険だろうな――『超能力者』に『馬鹿力バカ』か。言ってもそんなもんか。――なら話は早い。そいつらは俺が面倒を見るだけさ。

 それ以外はテキトーに保護機関にでも任せる。結局は、それで済むだろ?」


 異常を持たされた子供、トラウマだけを刻まれた子供。

 どちらも普通の生活を送れるようになるまで、時間がかかるかもしれない。

 でも、それは時間が解決してくれる。


 こうして実験は潰れた。

 もうこれ以上、悲劇が増えることなどないだろう。

 不幸の世代は、この子供達だけで充分だ。


「最後にお前の名前を聞いておこうか。同類の組織を潰したりと、先手を打って邪魔されないように被害を最小限に抑える手法を取ったのは感心するな。

 調べたが、お前は誰も殺していないそうだし。

 敵にしては、殺すのがもったいないと思うほどの男だったぞ、お前は」


 鴉野は朦朧とする意識の中、震える声を絞り出した。


「……鴉野、思想」


「ああ、覚えておこう」


 一元がこの場を去るのと、鴉野の意識が落ちるのは、ほぼ同時だった。


 最悪の実験。

 それは出来たばっかりで、初々しく、後に三大勢力の一つと呼ばれるまでに成長する組織によって、中止にまで追い込まれた。


 悪夢は終わった。

 今、この時は――だが。


 ―― ――


 時は進む。

 小さな子供が高校生になるほどには、時代は進んでいた。


 そして、彼女も同じように、前へ進んでいた。


 御門巡。

 その身に異常を宿した少女は、再び戻ってきた。


「懐かしい――とは思わないかな」


 電車の窓から外を見て、ぼそりと呟いた。

 隣に座っている人などいないので、独り言を聞かれる心配もない。


 残り二駅だった。


 残り二駅で、かつて地獄だった場所に戻ってくる。


 ――ひずみ市へ、辿り着く。

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