第5話 回鍋肉(ホイコーロー)
ある町のある道にある、古びたレストラン「キャベツ」。
その店の第一号客となった成田は、扉の前を……素通りした。
「なんでよっ!?」
スッパーン! と勢いよく扉が開き、店員が現われた。扉はキイキイとかわいそうな音を出しながら、なんとか無事にくっついていた。
「おわっ! おったまげた!」
「おったまげたのは僕のほうです。僕にツッコミなんてさせないでくださいよ」
成田は「てへへ」と苦笑いをした。
「いや、やったのはなんとなくなんだけどさ。まさか、お前があんな反応するとは……」
これはおもしろいものを見たと、成田はクククッといつまでも笑っていた。
「やっぱり、お前も人の子なん……」
見ると店員は厳しい顔付きで、成田の後ろのほうを見ていた。
「? 何見て……」
成田が振り返ろうとすると、店員が乱暴に肩を掴んで引っ張った。
「おうわっ!?」
転びざまに、背中のほうから激しい爆発を感じた。
ズギャンッ!!
ドウッ!!
「な、な、な!?」
慌てて体を起こして見れば、店の向かいの道が黒い煙ですっぽりと隠れていた。
そして上を見ると、店員が拳銃を片手に、まっすぐ煙のほうを臨んでいた。
「おまっ! なにを!?」
店員は銃口から細々と流れている煙をフッと吹き消した。
「僕が撃ったのは道に置かれていた箱です。やっぱり爆弾でした」
「ばっ!? なんで!?」
「たぶん原因は僕だと思います」
店員は成田の首ねっこを掴むと、ズルズルと引きずって店のなかに入っていった。
「ちょっと、さっきの音はなんだい?」
店長が奥からバタバタと走ってきた。
「やつらが僕に会いにきたようです」
「やつらって……君がうちに来たときに話していたアレかい?」
「そう、アレです」
二人の間に淡々と流れる会話に、成田はただ唖然としていた。
「つか、いつまで掴んでんだよ!」
店員は初めて気付いたようで、いきなりパッと手を離した。
「痛っ! 落とすな!」
しかし店員は成田の抗議をことごとく無視した。
「して店長。預けていた武器を返していただきたいと」
「うん? そんなの預かっていたかな?」
「いえ、僕が勝手に置いていったものです」
「自分勝手にも程があるだろ!」
店員は成田のツッコミもことごとく無視した。
===
「店に迷惑はかけません。これは僕個人の問題ですから」
店員の目は、今までと違って真剣そのものであった。
店長もキリッとした顔で頷いた。
「わかった。だけど気をつけてね」
二人は連れだって奥に行き、戻ってきたときには、店員は体中にマシンガンやら薬莢やらをまとっていた。
店員はまだ座り込んでいる成田を一瞥してから、黙ってまっすぐ外に向かおうとしていた。
「おい待て! お前マジで行くのか!?」
「当たり前です」
店員は扉を開けようとしたところをピタリと止め、振り向きもせずに言った。
「だから僕個人の問題だっていっているでしょう」
成田は膝の上で両手をギリッと握りしめた。
「だからって、今から殺されに行こうとするヤツをほっとけるかぁ!!」
「誰が殺されに行くって?」
店員の声は冷たく低かった。
「それと、僕の名前は『おい』でも『お前』でもありません」
しかし振り向いた彼の顔は穏やかで、かすかな笑みさえあった。
「……店員、もしくはウェイターです」
店員は黒い煙がまだくすぶっている外へ出ていった。唖然としていた成田は、ハッとして店を飛び出した。
「って、そこは本名を言えよゴルァ!!」
そこには驚き顔の店員と、向かい合うように黒スーツにサングラスの男たちがいた。
「……って、ヤクザさん!?」
「アンタなんで出てきたんですか!」
ヤクザらしき人々にはビビッたが、成田は負けじと踏ん張った。
「あれで大人しく引っ込んでいろってか! 俺のツッコミをなめんな!」
「站住(動くな)!」
聞き慣れない声は、向こう側にいる男が発したものだった。
『てめぇら何をやってるんだ?』
===
(やべぇ、俺、英語わかんない)
成田は凍ったように固まり、ダラダラと汗を流していた。
『この人は一般人だ!』
店員が叫び返した。が、成田には何を言っているのかわからなかった。
『お前たちも無関係の人を巻き込みたくないだろう! 僕がこの人に事情を話すから場所を変えよう!』
男たちは腑に落ちないという顔をしていたが、かすかに頷いた。一人が何かを言って、仲間たちは一度引っ込んだ。
「すげぇな、お前、英語ベラベラなんだな」
「あれは中国語です」
店員は「フウッ」とため息をついて、店の壁に持たれかけた。銃やら弾やらがガシャガシャと音をたてた。
「時間がないのでだいぶはしょりますけど、わけを話しましょう」
成田はゴクリと息を飲んだ。
「僕は昔、ここに、前で、仲間が、回鍋肉に、ました。こういうわけでして」
「どういうわけだ。はしょり過ぎだろ!」
店員はチッと舌打ちをした。
「じゃあ順を追って話していきますよ。
まず、僕がここで働く前、僕は中国でボディガードをしていたんです。そのときの仲間が彼らです」
成田は、離れたところで、じっと待っている黒スーツ集団を見た。
「ちょい待ち。なんで仲間がお前を襲うわけ?」
「ちょい黙れ。当時、僕は大学生で、バイトを探していました」
「よくもまあ、そんなバイトをやる気になったな」
「フロムBで見つけました」
「聞いたことねーよ」
「フロムBの『B』は、Blackの『B』です」
「なんか納得しちゃったのがヤダなぁ」
「話を続けますよ。
僕は早速、面接に行って、すぐに雇ってもらいました」
「向こうもよく学生を雇ったな」
「僕の銃の腕前がよかったんでしょ」
成田は、大学生が雇い主に銃口を向ける図を思い浮かべたが、それは有り得ないとして、すぐに頭から排除した。
「仕事の内容はそんなに難しいものではありませんでした。中国に渡ってある人物を守るだけ。それで時給1500円」
「内容のわりに安いんだか高いんだか……」
「僕は仲間たちと一緒に上海に行きました。蟹酢と蟹用ハサミと蟹用スプーンを持って」
「上海蟹が目当てか!」
「ところで上海蟹に蟹酢はあまり美味しくないんですよね。個人的に」
「知らねーよ」
(食ったことないから)
===
「あと別の場所で食べた回鍋肉もイマイチでした」
「今すぐ中国の方々にあやまれぇ!」
しかし店員は成田の言葉など聞いていないようだった。
「ええ、まさか毒が入っていたとは……」
「……毒?」
成田は眉をひそめた。
「ええ、雇い主を暗殺するために敵方が用意した猛毒入りでした」
「お前よく生きてたな」
「冗談じゃありませんよ。死ぬほど不味いものを食わされました」
「……猛毒なんじゃなかったっけ?」
「そこで僕は回鍋肉を作り直して、敵方に毒入りを送り付ける作戦を命じられました。
しかし僕は致命的なミスを犯してしまい、作戦は失敗してしまったんです」
「失敗?」
店員はしょんぼりとした暗い顔を成田に向けた。
「あそこの回鍋肉はキャベツではなく、ニラを使ってたんです」
「……うわぁ、致命的」
「それで敵方にばれてしまって……、解雇された僕はここに来た、というわけです」
成田と店員は脱力して、盛大なため息をついた。そのとき成田は背後から殺気にも似た気配を感じた。
黒スーツの一人が立っていた。
「ぎゃあああ!! 中国人さん!!」
「あ、この人は日本人ですよ」
成田は半泣きになりながら「へ?」と聞き返した。中国はいいところですよ、と店員はにっこりと笑った。
「僕が雇われていたのは日本の企業です。えっと確か……ボンゴレ・コーポレーション?」
「安藤コーポレーションだ。『ん』しか合ってねーし。まったく、お前は相変わらずのようだな」
黒スーツがニヤリと笑った。
成田は睨み合っている二人の顔を交互に見た。
「お久し振りですね。大五郎さん」
「桐崎大吾(キリサキ ダイゴ)だ! キサマふざけてんのか!」
瞬間、成田はこの大吾とかいう男に親近感を覚えた。
「わかりました。大誤算」
「……もういい。本当にまったく変わってないんだな」
桐崎大吾は額に手を当てた。だいぶ(精神的に)疲れているようだ。
「話は終わったのか? そろそろ始めたいのだが」
「……成田さん、店に戻って、動かないでくださいね」
「あっ! おい……」
「終わったら、美味しい回鍋肉を作ってあげますから」
店員は颯爽と店の前から立ち去った。成田は待てと叫びそうになったが、声にはならなかった。
店から離れたところで、店員と大吾たちは銃を構えた。
「……って、二軒隣まで移動しただけかい!」
店の前で成田がツッコミを入れた。
===
張り詰めた空気のなか、店員と大吾は微動だにせず、睨み合いを続けていた。
ここで先に仕掛けてきたのは大吾のほうだった。大吾が放った銃弾は店員の頬を掠っただけだった。
(こいつ、ちっとも動きやしねえ。俺がわざと外して撃ったのがわかったのか?)
大吾はもう一度ピストルを構え、今度は額を狙った。
すると店員もすばやく構えて撃った。二つの銃弾はまっすぐ向かい、二人の間でぶつかった。続けて三発撃ったが、すべて同じ結果だった。
「やるじゃねえか」
大吾はニヤリと笑った。
「しかし、わかりませんねぇ。あのとき作戦に失敗した僕を憎んでいるなら、何故あの場で殺さなかったんです。あれから四年も経っているというのに」
もう一発、弾はまたもぶつかりあった。
「馬鹿を言え。俺があんなエロ親父なんかのために動くかよ」
「……何かされたのですか?」
「されてない。俺は個人的にお前を殺そうと思ったんだ」
大吾の放った銃弾を、店員は横に飛んで交わした。
「? 僕が大吾さんに何かしたと?」
「しただろが! 不味いからと言って毒入りの回鍋肉を食わせやがって!
つか何でお前は平気なんだ! こっちは半身不随になりかけたっていうのに!」
「? 平気なのは当たり前でしょう?」
店員はコテンッと首をかしげた。
「鋼鉄の胃袋かチクショー!」
まるでコントのような二人の様子を、成田は扉の陰から見守っていた。
「……すっごく怖いけど、すっごくツッコミたい」
店員は大吾の足をめがけて撃った。弾は膝のあたりを掠っただけだったが、これで動きづらくなったはずだ。
あとは利き手のほうの肩を撃って終わらせるつもりだった。
(できれば諦めてくれればいいんだけどなぁ)
しかし大吾の目を見れば、そんなことは有り得ないとわかる。ここで見逃せば、またあとで襲撃に来るかもしれない。大吾の後ろにいる三人の仲間も気になる。
(逆上して店にまで攻撃してきたら……)
すると店員は銃口をまっすぐ、大吾の頭に合わせた。
「はい、そこまでぇ!」
シュンッと風を切るような音がしたかと思うと、頭の横に衝撃が走った。
(……皿!?)
パシンッ!!
そのまま跳ね返った皿を受け止めたのは、
「君に人殺しをさせる気はないよ」
なんと店長だった。
===
「てっ、店長!?」
いつのまに!? と成田は自分の後ろの入口を見た。
「てめぇ、何を!」
三人の黒スーツたちが銃を取り出そうとした。
「やめろ、お前ら!!」
撃たれた足を押さえながら、大吾が叫んだ。
「兄貴!?」
「俺個人の問題なんだ。お前らが手を汚す必要なんてない」
(爆弾用意させた時点で、手を汚すも何も……)
成田はそう考えたが、それを口に出す勇気は持ち合わせていなかった。
「それに、もう阿呆らしくて何もやる気が起きねぇよ」
……確かに。誰もがそう思っていた。
「さあて、皆、私の店に来なさい。ご近所が空き家だからといって、こんな騒ぎじゃ誰かが警察に通報したかもしれない」
怪我した二人を支えて、全員が急いで店のなかに入っていった。
初めて成田以外の客(ということになるだろうか)を迎えた店内は、しんと静まりかえっていた。
(気まずい……)
店員と大吾はむっつりと黙ったまま、目を合わすこともなかった。
店員の頭には包帯が巻かれ、大吾の足も手当てされていた。
「お待たせ~」
店長が誰も待っていないのに料理を運んできた。しかも回鍋肉だった。
(何を考えてんだ、あのオッサン!)
黒スーツ三人組は、すぐに料理に手をつけた。成田も口に運んでみた。なかなか美味しかった。
あとの二人は複雑そうな顔で回鍋肉を見つめていた。とくに大吾は顔色が青ざめて見える。
「食べてみてよ、ほら」
店長はつとめて明るく料理を勧めた。
先に手をつけたのは、なんと大吾のほうだった。
「食べれるんですか?」
大吾は頬を赤くしながら、隣の店員を睨みつけた。
「これはニラじゃなくて、キャベツが入っているからな」
大吾はそれきり黙って、回鍋肉を掻き込んだ。
そして店員も口に運び、「美味しいです。すごく」とつぶやいた。
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