第45話 最後の関門

「明日希もお兄ちゃんも――大好きっ」


 そう言って、芹菜は。


 明日希が目の前にいても、自分を説得してくれていることを理解しても。


 時間という鎖に縛られている芹菜は、自分の翼を、心臓の真上にある胸に、

 ――突き刺した。


 じゅわあ、と溶ける自分の体を見つめることもせずに、芹菜の機能は、停止させられた。

 機械的に見れば、強制シャットダウン――いや、バッテリーを壊したのか。

 人間的に見れば、死、ということになるのだろう――。


「芹、菜……?」


 かすれた声しか出ない明日希は、あの時と変わらない感情を抱き、

 やはり自分はなにも成長していないということを、痛感させられた。


 目の前で死んでいく芹菜の顔は、あの時となにも変わらない。

 これから死ぬと言うのに、笑顔で、満足そうな顔であったのだ。


 こっちは、全然、満足ではないというのに。不足でしか、ないのに……。


 また明日希は――、助けられなかった。


 自分の手は、なにも掴めないほどに、隙間が多い。


 ―― ――


「今度は、なにも責めてこないんだな、東」


「今のお前に、なにかを言うことができるのは、それこそ芹菜くらいだろう。

 偉そうなことを言うつもりはないけど、お前はよくやったと思うよ。

 文句なしの、最善のことをしたと思う――」


「でも、失敗した」


「俺でも無理だった。未来がどうなるか、なんてのは分からない。だから、テキトーなことは言えない。もしかしたら、芹菜が助かっていたかもしれない可能性も、あるのかもしれないけど、そんなことを言っても仕方ないだろ。

 それに、今回のは昔とは違って、これは芹菜が望んだ死だ。

 みんなを守るために、命を懸けた、妹の最後の晴れ舞台だ。

 納得なんて、できないに決まっているけど、納得するしかないだろ。

 ――納得してやるさ、無理やりにでもさ」


「そっか……」


 明日希の言葉が最後だった。


 それ以降、明日希と東の会話はなかった。

 錬磨と菊乃の方も、会話はなかった。

 交差するような、それ以外との会話もなかった。


 声を出すことが、なんだか今、してはいけないことだと――雰囲気があったのだ。


 だからこそ、しんみりとした――まるで、誰かが死んでしまったような重い空気が支配していたのだが……、

 それを破ったのは、さっきから黙ってばかりだった、椎也である。


『ん? どうしたんだい、みんな。まるで、芹菜がもう生きられないと、勝手に決めつけているような態度だけれど――。

 言っておくけど、これは悪ふざけじゃないから。

 だから、黙ってその拳を置いてくれるとありがたいね、菊乃』


 からかっているのだと思った菊乃は、兄貴に向かって拳をお見舞いしようとしたが、拳を振るよりも早く、椎也に止められてしまった。


 どうやら、おふざけではなく、珍しく真面目な話らしい。


 まあ、肉体ではなく、偵察蜂への攻撃だったので、止めなくても良かったわけだが。


「なによそれ――、兄貴だって、見てたでしょ? 芹菜は死んだよ。

 いま、目の前でしっかりと見てたでしょ。

 これ以上、変な期待をさせないでよ。これ以上、掻き回すなら、本気でぶつわよ、兄貴」


『お前は形だけを見たんだろう? 心臓と脳だけが必要不可欠な芹菜が、体を焼いただけで、体を貫いただけで死んだと決めつけるのは、どうだろうねえ? 

 その二つに問題がなければ、まだ機械を代用すれば、生きられると言うのにさ』


「でも、機械で代用したからこそ、記憶が飛び、メモリが生まれたんだろ? 

 そして、記憶が戻れば、また暴走する――。繰り返しじゃないかよ、そんなの」


 椎也の言葉に、東がそう反論する。


 確かに、芹菜には生きていてほしいけれど、しかし、

 記憶がないまま、苦しんだままで生きてほしいとは思わない。


 そうまでして生きたところで、芹菜は、本当に幸せなのだろうか――。


 ただ、苦痛を伸ばすだけではないのだろうか――。


 そんな考えが、頭の中をぐるぐると回る。

 生きていてほしい、と素直に言えない東は、苦痛の表情を浮かべる。


 考えるべきは、芹菜が記憶を残したまま、問題なく生きられること。


 そんな、不可能にも近い考えだが、その不可能に近い可能性を、絶対に出来ないことと決めつけている東には辿り着けないところに、その『答え』というものはある。


 誰にも届かない答え。

 椎也だけは、辿り着いている、答え。


 すると、その答えがある部屋に、音が響き渡る。

 ――こんこん、と、何度も何度も聞こえる音は、まだ怪しんでいるような気持ちが、見て取れる。まだ、悩んでいるのかもしれない。この考えは、本当に合っているのか、どうか。成功するのか、どうかなど。

 余計なことを考えているために起きる、躊躇いだ。

 そして、最終的にどうでもいいと思ったのか、考えていることを全て捨てて、ノックをする、などという、まどろっこしいこともやめて――彼は、無理やりに正解の扉を、こじ開けてきた。


 明日希が入る。

 答えを見つける。


 椎也と同じ、立ち位置へ、登り詰める。


『……なんだい、明日希』


「椎也、もしもの話――。

 俺の肉体を使っていいと言ったら、芹菜のことを助けることは、できるのか?」


 明日希の申し出に、椎也は、「――へえ」と感心したような声を出す。


 本当のところを言えば、椎也はこの答えが、このメンバーから出るとは思っていなかったのだ。だから、そろそろ答えを言ってあげようかと思い、タイミングを狙っていたのだが……、

 まさか、それよりも早く、しかも明日希が見つけ出すとは――。

 椎也でも、驚きである。


 しかし、明日希なら納得ではある。

 これでも、椎也の上にいた男なのである。


 チームのリーダーとしての力は、椎也も認めるところではあるのだ。

 そんな明日希からの申し出である。


 雑に答えることはできないし、するつもりもなかった。


『もちろん、できるさ。でも、それは同時に、メモリと明日希の立場を入れ替えるということになるけど、明日希は、その覚悟ができているということなのかい?』


 立場を入れ替える――。


 その言い方、表現は、一度、聞いただけでは理解できずに、首を傾げてしまうものではある。

 だが、それは錬磨や菊乃に限っての話であり、明日希にはもちろんのこと、頭の回転が早い東にも、その言い方で無事に伝わっていたらしい。


「――っ、明日希、待て! 

 お前は、メモリの代わりに自分が兵器になってもいいってことなのかよ!?」


 東が、慌てて明日希に聞くと――、

 明日希は、「ああ」と頷いた。


 東が見た明日希の目は、

 絶対に言ったことを曲げないという意志を、全面に押し出した強さの目であった。

 この目を見た時、

 相手が引いたことは一度もないということを、東はよくよく、知っている。


 芹菜がいつもそうなのである。


 たった少しの些細なことでも、他にも方法はいくらでもあるというのに、

 芹菜は自分で見つけた方法を、絶対に覆すことはせずに、やり遂げた。


 その途中で、誰がなにを言ったところで採用されることはなく、

 全て、拒否されて終わるのだ……。


 それは、明日希の言葉だろうが、東の言葉だろうが、関係なく、突き進んでいく。


 そんな目を持つ明日希に、なにを言っても無駄だろう。


 それでも、明日希が犠牲になることはない。

 そんな感情が、溢れ出てくる。


 しかし、説得なんて無駄なことだ。

 そう思いながらも、だが、引くことはしなかった。


 芹菜の影響が、明日希にも出ているが、兄貴にもしっかりと出ているのだ。


「――やめろ。お前は、メモリのように記憶が無くなってもいいって言うのかよ。

 俺と、芹菜と――椎也や、錬磨や、キクとの思い出が、全部ッ!

 消えてもいいって、言うのかよッ!」


「そんなの、嫌に決まってるだろ! 忘れたくないよ――当たり前だろそんなこと! 

 確認するまでもないことじゃねえか!」


「だったら、なんでお前が――」



「これが俺の、罪滅ぼしだ」

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