第44話 最善の悪手
宣言するように、そう名乗った錬磨と菊乃。
最後まで言えたのはいいことだったが、すぐに芹菜の追撃があり、油断していた菊乃は、翼の攻撃を足に喰らってしまう。
錬磨の方は、一撃目はなんとか避けることができたが、菊乃が攻撃を喰らったことに意識を持っていかれたせいで、二撃目を避けることができなかった。
そして、ダメージを負った二人は、地面に叩きつけられる。
悪循環が生まれてきている。
格好良く登場し、格好良く二人を助けて――というイメージをしていたが、しかし、実際は絶体絶命のピンチであり、錬磨と菊乃は、表情で「助けてくれ!」と、明日希と東に訴えていた。
「なんで助けにきたお前らが助けを求めてんだよ……。やっぱり、まだまだ隙が多いよなあ」
「――すんませんっす! まだまだ修行不足でしたっす!」
「ちょっとっ! さっき助けてあげたんだから、感謝はしてよ、馬鹿っ!」
「キク……、俺を支えてくれるのはいいけど、
もっと優しくしてくれ――。痛みで意識が飛びそうだ……」
わあああごめんっ! と謝る菊乃は、抱えていた東を地面に下ろす。
女の子に持ち上げられているのは、男として屈辱ではあったものの、今の状況では仕方ないか、と思う東……。それに、菊乃を女の子として扱っていいのか、曖昧なところだ。
「東、いま、なんか失礼なことを考えてた?」
全然まったく、と言葉なく表情で菊乃に伝える東は、
「……さっきはありがとう。あと、それと――、……ただいま」
と。
一年間、勝手にいなくなってごめん――それも、一緒に言ってしまいたかったけれど、それはいま言うべきことではないだろうと思って、言うことはしなかった。
今は、「ただいま」だけで充分である。
「うん、おかえり。
本当は、一緒に芹菜にも言ってあげたかったけど、今は無理そうよね。まともな状態に戻してあげないと、おかえりも言ってあげられないし、ただいまだって、芹菜も言えないしね」
すると、優しい目で芹菜を見る菊乃の隣では、錬磨が鬱陶しく騒いでいた。
「おし、よっしゃっ! 芹菜、待ってろよ!
今から俺と明日希さんと東さんと……――が、助けてやるからな!」
「あたしを抜くな! 女だからって、仲間はずれにしないでくれる!?」
『いや、僕も抜かれているよ?』
錬磨へ、厳し過ぎるツッコミを入れていた菊乃の耳元で、やかましい騒音が鳴り響く。
だが、それは菊乃にとって――だ。
他のメンバーには、聞こえてはいないようであった。
その音の正体は、偵察蜂であり、菊乃が嫌に知り尽くしているものである。
知りたくもないというのに、日常的に見てしまうから、嫌でも分かってしまうのだ。
「……そんなところにいたの? 兄貴……」
『その表情は怒ってるの?
まあまあ、そんなに感情的になっていると、顔にしわが増えるよ、菊乃』
「うっさいバカ兄貴! さっさと部屋から出てこいっての!」
些細な、いつも通りの兄妹喧嘩。
それを見ながら、明日希は、平和だなあ、と思う。
と、こんなにものんびりムードだが、戦場のど真ん中である。
明日希たちは、大きな隙という隙を見せているのに、
芹菜はまったく、攻撃する素振りすらも見せなかった。
様子でも見ているのだろうか――。
だとしたら、考えるほどの知能はあるのか。
暴走という状態は、解けているのかもしれない。
もしかしたら、芹菜の自我は、あるのかもしれない――。
そう思って、芹菜をよく観察していると――、
「あ……あ――、みん、な……?」
芹菜の口が、そう言っているような形を作っており、それと同時に声も出ていた。
さっきまでのような、破壊された言語ではなく、
きちんとした、明日希にも東にも、他のメンバーにも分かるような言葉で、
芹菜は、そう言ったのだ。
「芹菜……?」
明日希のその呟きに、他のメンバーも芹菜に意識を向ける。
芹菜が、こうして暴走状態から帰還したのは、やはり、あの頃のメンバーが全員、この場に集合しているからなのかもしれない。
結局のところ、暴走状態を元に戻す方法は、記憶喪失の症状を改善させる時と、あまり変わらないことなのだった。
記憶に根強く残っているであろう光景や、物や、人を見せれば、それによって失った記憶や、人格というのが、引き出されていく。
現に、いま、芹菜は元に戻りかけているのだから、間違った解釈ではないだろう。
すると、明日希を押しのけ、前に出て、
らしくもない、震えた声を出したのは、東であった。
妹のことなのだ。
常に、とまでは言わないが、基本的に冷静である東が声を荒げるのは、妹が絡んだ時くらいしかない。明日希はよく見ていた光景であるが、菊乃や錬磨からすれば、あまり見ない貴重な東の姿である。
「大丈夫か!? 体に異常はないのか!? 芹菜!」
「うん、大丈夫……、だと思うけど。
お兄ちゃん――でも、長くは続かないと思う……」
芹菜以外の全員が、芹菜が意識を取り戻したことで、
もうハッピーエンドの道を走っていると、内心で決めつけていた。
しかし、芹菜は違かった。
みんなとは、違う結末を予測していた。
だからこそ、その結末を避けるために、
みんなが思ってもいなかった結末を、作ろうとしていたのだ。
「このままだと私は、もう一度、暴走すると思う……。
自分の体のことだから、それくらいは分かるんだよ、お兄ちゃん。それに、明日希——」
芹菜は、東を見て。
そして、明日希を見て――優しく、微笑んだ。
「良かった……、私のせいで、お兄ちゃんと明日希が、喧嘩していると思ってた。それはもう、殺し合いにまで発展しているかもと思っていたけど――、
うん、見る限りだと、それはないようだね。それは、すっごくすっごく、安心したよ」
胸に突き刺さるようなことを言われて、思わず視線を逸らした東と明日希。
その様子に気づいた芹菜が、ああ、と全てを理解した。
好きな人のことだから。自分の兄であるから。
表情だけで、語りたくないことを、
なにを思っているかということくらいは、簡単に読めてしまうのである。
「……あ、うん、ごめんね、二人とも……。
私のせいでなんだか、大変なことになっていたみたいでさ……」
つらそうに笑う芹菜は、泣きそうな感情を、無理やりに抑えているように見える。
自分のせいで、二人が喧嘩してしまったことに、
強い責任を感じて悲しくなっている――のではない。
芹菜は、自分の中に潜む悪意……、暴走が、迫っていることに。
そして、その対処をすることに、結末に、悲しんでいたのだ。
今から芹菜がおこなうことは、言えば、東も明日希も、他のみんなだって、絶対に止めるような――、今までのみんなの努力を、無駄にするようなことなのだ。
でも、これしか今、迫る暴走を止める術はないのだ。
暴走してしまえば、もう自分の意思では、体を動かすことができない。
だから、今の内にやっておくべきことなのだ。
それに、タイムリミットが、どんどんと近づいてきている――。
悩んでいる暇も、迷っている余裕もない芹菜は、すぐに実行に移す。
自分だけ言いたいことを言うような、勝手なことばかりしているような、わがままばかりだけれど――今だけは、みんなに甘えたかったのだ。
こうして、短い時間だったけれど、戻ってこれたことに、芹菜は嬉しさを隠すことができなかった。もっともっと、みんなと話したかったし、謝りたかったし、伝えたい気持ちがあった。
しかし、どうしようもないことが、無情にも、芹菜を追い詰めている。
「おい――、芹菜、なにをしてんだよ……。それ、自分の翼じゃねえかよッ!」
明日希の叫びに、芹菜は、ちらりと明日希の方を見る。
その時、明日希との思い出が、色々と蘇ってくる。
それについてくるように、兄との思い出。
そして、他のみんな……。
我武者羅のみんなとの思い出も、蘇ってくる。
楽しかった思い出。
悲しかった思い出。
嬉しかった思い出。
つらかった思い出。
言い出したら、きりがないほどに溢れてくる思い出に――比例するように。
涙がぼろぼろと、芹菜の両目から溢れ出てくる。
「え……あれ……?」
自分が泣いていることに気が付いた芹菜は、もう一度、覚悟を決め直す。
泣いているということは、まだ、この世界に未練があるということ……。
いや、完全に消したというわけではなく、
未練はしっかりと、まだまだ残ってはいるけれど――。
それでいいのだ。
未練を残すことが、本望なのだ。
芹菜は、指で涙を拭って、気持ちを切り替える。
自分の翼を掴んでいる手に、さらに力を入れる。
背中についているこの翼。
意外にも硬く、途轍もない熱を持っている。
芹菜の手は人造人間ということで、鉄だ。なので、この熱さにはそれなりに耐えられる――とは言っても、防御面よりも攻撃面の方が優れている芹菜は、こうして翼を持ち続けていられるのも、そろそろ限界であった。
このまま持っていれば、間違いなく手が溶けて、どろどろになってしまうだろう。
そんな危険性も迫っている。
暴走も近づいている。
そろそろ、時間であった。
命を落とす、時間であった。
「――明日希、お兄ちゃん」
芹菜は、翼を持つ手に入れる力を、さらに強めていく。
「椎也くんに、錬磨くん、キクちゃん――。
それと、ここにはいないけれど、鍛波さんに紫さんにマスターに、街のみんな全員――。
こんなにたくさんの人に、私はすっごくすっごく、愛されていた!
こんなに嬉しいことはないよ! 私の人生での、ピークだよ!」
「なに、を、言ってんだよ、芹菜。――これからだろうが! ここでお前の暴走を食い止めて、お前をまともに戻して、それからみんなで、一緒に過ごすんだろうがッ!
なのに、なんだよ……。そんなことを言いやがって!
まるで、今から死ぬとでも言いたげな表情で、そんな前振りをしやがってッ!」
「うん、そうだよ――。私は、自分の手で死ぬんだ、お兄ちゃん」
その決定的な一言に、東はなにも言うことができなくなった。
それは、明日希も、他のメンバーも同じであった。
止めることなどできなかった。
もちろん、止めたいという気持ちはある。すぐにでも止めたかったけれど、目の前で必死に、自分以外を助けようと努力している芹菜を見たら、止めることなどできなかった。
してはいけないとまで思った。
でも、
「ふっ――、ざけんなああああああああああああああッッ!!」
明日希だけは、まだ折れなかった。
折れずに――折れても、また繋ぎ止めるように修復して。
何度も何度も、まるでゾンビのように蘇って。
明日希は、芹菜の前へ、踏み出していく。
そして、芹菜の前に辿り着いた明日希は、
芹菜の、自殺をしようとしている手を掴もうと、自分の手を伸ばした。
――その時である。
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