第38話 メモリと芹菜

『え――?』


 明日希と東、二人の言葉が綺麗に重なった。


 重なったと同時に、迫る危機に対して取っていた構えに使っていた力も、自然と抜けていく。

 ここまで脱力したのは、メモリの声が、言葉が、言い方が、全て、似ていたからだった。

 というよりは、まったく同じで、同一だったのだ。

 似ているとか、そっくりだとか。

 複製されたとか、クローンだとか。

 そんなレベルではなく、まったく一緒。

 数値では分かるはずもない、温もりのようなものが一緒だったのだ。


 それに、面影が一緒だった。


 もう、この世界には存在していないはずの『彼女』が、まるで、そこにいる気がして……。

 二人も、いるはずがないと無理やり言い聞かせているけれど、しかし、それを否定する材料が、目の前に多くある。

 ここまできて、まだ信じられないと思うことは、できそうにない。


 二人は、言えば自分の精神が崩れてしまうような『彼女』の名前を、しかし叫ぶ。

 もう叫ぶことができないと思っていた、名を、叫ぶ――。



「メモリ、お前は――お前はっ、芹菜なのか!?」



 だが、その叫びに、返答はなかった。

 メモリは、苦しみながら、辺りを無差別に破壊していく。


 さっきの、メモリの言葉。明日希と東の名を呼んだのは、必死に抗うメモリが、一瞬だけ肉体の暴走に勝てた、ということなのだろう。

 だが、すぐに肉体の操作の権利が、メモリの手からこぼれ落ちてしまった。

 だからこそ、今、視界に明日希と東がいるというのに、

 メモリは、気づいていない様子なのだろう……。


 名を叫んでも、気づかず。


 そこに『いる』という事実を、認識できていない。


 苦しみの中で伸ばした手を、あっさりと振り払われたようなもの。

 神様は、メモリを助けようとはしてくれなかったらしい。


「…………ふざけんなよ」


 呟いたのは、明日希か、東か――。どちらなのかは、分からない。

 もしかしたら、二人とも、言ったのかもしれない。それは、どちらにしても構わないが。


 そして、変わることなく、揺るがないことは、ただ一つ。

 彼らは、この言葉と同じ感情を、胸に抱いているということだった。


 いま起こっていること。

 いままで起こっていたこと。

 これから起こることの全てに対して、その感情を抱いたのだ。


 すると、その時――、

 耳障りな音が聞こえてくる。

 意識を向けた東は、音の正体にいち早く気づいた。


 羽音。自分の周りをうるさく飛んでいたからこそ分かったのだ。

 それに、この羽音は、自然のものではない。作られた羽音、ということだ。

 東は、自分の耳の真横を通り過ぎた瞬間を狙い、

 片手で素早く、音の原因である『それ』を捕まえる。


 音の正体は、蜂であった。とは言ったが、蜂とは言っても鉄のような感触で、見たことがあった。ついさっき、見たばかりであるから、記憶に新しかったのかもしれない。


 そして、東ではなく明日希が、

 作られた蜂の向こう側で、面白がるように笑っている親友に向けて、問いかけた。


「――わざわざここを飛んでいるってことはさ……俺たちの前に現れたってことはさ――、

 なにか、知っているんだろ、椎也」


『――うん、まあ、知ってるね』


 椎也は、悩みながら、言葉を選びながら――。

 しかし、面倒臭くなったのか、いつも通りにしようと決めたらしい。

 いつも通りのままの、椎也の言葉が聞こえてくる。


 多少のノイズ音が、耳を削ってくる。

 しかし、構わず、聞こえてくる音に耳を澄ます明日希と東は、

 耳は椎也に向かい、だが、目はしっかりと、メモリに向いていた。


『もう分かっているとは思うけど、メモリは芹菜だよ。

 ――どうだい? 面白いことになっているんじゃないのかな? 

 あの頃みたいに、また芹菜を奪い合ってみればいいんじゃないのかな、二人共——』


 機械を通しての、椎也の声。


 その声は、騒がしい外の世界で、なぜか嫌に、しっかりと、響き渡っていた。


 ―― ――


 その頃。


 錬磨と菊乃は、二人にしては珍しく、地に伏していた。

 肉体はボロボロ、血が、体のあらゆる箇所から流れ出ている。

 血溜まりができるほどの量が、二人合わせて――。


 気絶まではしなかったが、しかし、いくら化け物と呼ばれている、人間以上の力を持つ二人でも、傷はつけられるし、痛みも感じる。

 ダメージだって、ないわけではない。


「――――っ」


 自分から流れ出ている血が頬に触れた感覚で、上の空だった意識が戻ったのか――菊乃が起き上がろうと無理やり体を動かそうとする。

 だけど、すぐに力が、痛みのせいで入れることができなくなる。

 そして、再びさっきと同じ状況——、

 地に伏している状態へ逆戻りであった。


 だが、ただの傷で感じる痛みならば、がまんして、たとえ体が壊れようとも、たとえこの命が危険に晒されようとも、起きる菊乃ではある――、

 けれど、今は起き上がることができなかった。


 違う痛みが、縛っているのだ。


 妙な痛み。

 心の痛み。


 傷ではなく、戸惑いからくる、痛みとは言えないもの。

 しかし、いつも通りの体調を維持できないところを見ると、これは傷ではなく、病と言った方がしっくりくるのかもしれない。

 そして、これは錬磨も同様に、同じ症状を抱えながら、地面を離れることができないでいた。


「…………なあ、菊乃。あいつ、芹菜……だったよな?」


「――うん。間違いなくそうだと思う……。どうしてあんな姿なのか、あんなにも明日希と東の名前を呼んでいたのかは、分からないけど――」


 と、菊乃は言うが。


 だが、明日希と東の名を呼んでいたのは、菊乃にも予想がついているものだった。

 恐らく、あんな『人間とは思えない姿』をしていても、仲が良かった二人のことは、しっかりと記憶に染みついていたのだろう。

 そして、記憶通りに行動したのだとは思うけれど、でも、

 あの姿のことまでは、なんなのか、分からない……。


 だから二つを一緒にして、分からない、と言ったのだろう。


 しかし、錬磨は、


「そんなことはどうでもいいんだよ」


 ――と言う。


 錬磨は、痛みによって、体が千切れそうな感覚に襲われるが、そんなことなど構わず体を起き上がらせる。……まだ、上半身しか起き上がらせることはできず、下半身は未だに地面に着いているが、それでも――これは充分な成果と言えるだろう。


「どうでもって……。

 ――なんでよ! 芹菜があんな姿で――」


「姿なんてどうでもいいんだ。確かに、気になるけどさ……、死んでるって、聞かされているけどさ――メモリが芹菜なら、それはもう、芹菜だろうがよ! 

 それに、今は格好なんて、問題じゃない。

 あいつはここを通る時、俺たちを攻撃する時――泣いてただろ? 芹菜の言葉で、呟いていただろ? それで分かった。あいつは、ただの暴走列車なんかじゃなくて、一人の人間として、まだ人格が残っているんだよっ!」

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