第35話 決着を

 壊れたロボットのように言語が乱れるメモリを、『危険』と判断したマスターは、まず、カウンターから飛び出した。


 メモリを安静にさせるために、傍に寄り、抱えて。

 安定している地面に寝かせようとしたところで、


 メモリは、微かに右腕を動かし、

 マスターの腹に手の平を押し付けて、言う。


『がぎ、ぎぎが’&%排除排除排除(’&排除排除排除排除排除排除)’’&排除排除排除排除排除排除排除排除)(’&%$排除排除排除排除排除排除排除排除排除排除排除』


 メモリの手の平から漏れるように溢れ出してくる光が、どんどんと、小さく凝縮されていく。

 その時、一瞬だけ――まるで、

 この世界の全ての時間が、例外となる場所なく止まったような感覚がした。


 その後、光のラインが、マスターの腹を突き破る。


 大きな穴を開けて、背中から倒れるマスター。

 そして、マスター同様に、大きな穴が開いた店の壁。

 メモリは、外の世界を認識したのか、ゆっくりと、歩を進めていく。


「っぐが……メモ、リ、お前は……っ」


 声を出すことも、激痛に繋がるというのに。しかし、それでもマスターは、臆することなく声を絞り出す……けれど、その声は、メモリには届かない。

 メモリは、倒れたマスターには、もう目を向けることなく、すぐに店を出ていってしまう。


 そして、街へ、侵入してしまう。


「…………っ」


 遂にはマスターも、声が出なくなり、意識すらも、危うくなって……。


 必死に、意識を落とさないように粘るマスターだが、

 体の限界は、やはり非情にもやってくる。


 彼女の後を追うべきだというのに。

 危険が、子供たちに迫っているというのに。


 マスターは、体を動かすことができなかった。


 ぴくりとも動かず、仰向けになりながら、天井をただ、見つめる。


 残してきてしまった、子供たち。

 全員の顔を思い浮かべて、呟く。


 ――ちくしょう。


 声にはならずに、心の中で反響する言葉。

 マスターの言葉は、これで最後となった。


 ―― ――


「…………」


 思わず無言になってしまったのは、東だった。

 目の前の光景には、まあ、ある程度の予想はしていたものだったが――、とは言え、実際に見てみて、予想通り以上の光景を見てしまい、東は、微動だにせず、固まってしまった。


 なぜなら――、東が、明日希の元に戻ってきた時。


 明日希は、蜘蛛の兵器の一体を、ボロボロに壊していたのだ。


 東でも、壊し方くらいは分かる。兵器のボディは硬いため、拳だろうが、刀だろうが、恐らく、どんな武器を使ったところで、ダメージを与えることはできないだろう。

 しかし、そのボディとボディを繋げている部分――、関節は別である。


 とは言っても、そんな弱点に、椎也がなにもしないわけがない。

 そこには、きちんと対策が講じられていたはずだが……、

 ――その対策は、簡単に破壊されていた。


 関節部分にあった、ボディと同じ素材で備えていたガード。

 それは、明日希の拳によって、破壊されていた。


 粉々に、木端微塵に、粉砕されていた。


 そして、破壊の後の末路。

 それが今、敗北している蜘蛛の兵器というわけである。


「東か……、――無事だったのか。

 それにしても、なんか、ファッションセンスが変わったか?」


「服が燃えただけだよ。

 お前の方は、もう少し丁寧に壊すってことができないのかよ」


 そんな、どうでもいいような会話をしているのは、

 二人にとっては、休憩を挟んだ後の、準備体操的なものなのだろう。


 はっきりとした言葉はなくとも、

 今後の展開くらいは、簡単に読めてしまうというものだ。


 戦うことは、避けられない。

 しかし、さっきとは、戦う理由が違う。


 東は、復讐や恨み。

 そんなものは一切合切、失くし、

 ただメモリを回収するという仕事のために、明日希と戦うことを決めた。

 それに加えて、

 もう一人の自分を克服するという意味も込めて、明日希の前に立っている。


 これは、明日希を自分の都合で利用していることなのだが、


 だが、それでいい。

 ――それが、いい。


 芹菜のことがあろうが、関係なく。

 今は、こうして変わってしまった――前に、進んでしまったのだ。

 だったら、進んだのならば、進んだなりの、新しい生き方で過ごしていくしかないのだ。


 たとえ、かつて親友だった男を騙しても。

 裏切っても、恨んでも。

 今、こうして明日希の前に立ち、

 刀を心臓に突きつけているとしても、それは東であって、東でしかない。


 昔のようにはいかない。


 ここですぐに、態度を切り替えることはできない。


 戦うことでしか、分からない。


「それでしか分かり合えないとしたら、不便なもんだよな……」


「? なんか言ったか?」


 なんでもないよ、と答えて――東が刀を構える。


 明日希の方も、さっきまでの、逃げることばかり考えていた態度とは、まったく違かった。

 生きるという意識を全面に押し出した構えをしていた。

 明日希も東と同様に、心の中でなにかの整理がついたのかもしれない。

 そして、自分なりの答えを導き出せたのかもしれない。


 昔ほどの覇気があるわけではないけれど、しかし、贅沢は言っていられない。

 自分だって、昔ほどの覇気があるわけではないのだ。

 これに関しては、お互い様である。


 互いに、劣化していたのだ。

 退化したまま進んでしまっていて……、

 そして今、やっと進化できるかもしれないのだ。


「なあ、明日希。お前は今、メモリがどこにいるのか知っているのか? 知っているのなら、教えてくれ。それを聞いたら、もうお前にはなにもしないし、この街からすぐに出ていくよ。

 誓うさ。

 二度と、お前の前には姿を現さないと誓う。

 だから教えろ。メモリは、どこにいるんだ?」


「お前が街に居ようが、俺になにをしようが、別になんだっていいよ。

 それよりも、なんでお前がメモリを知ってる? なんで追ってる? 

 まさか――、お前がメモリに、なにかしやがったのか?」


 その時、明日希と東の視線がぶつかり合う。


 明日希の表情。そして、目の色が変わった気がした。


 完全ではないが、闘志というものが、明日希の中から溢れ出していることに、東は確信的に気づくことになる。同時に、明日希から向けられている、久しぶりの敵意。

 少ないながらも、しかし含まれている殺意に、心が躍っていることに、自覚を持つ。


 一方的な喧嘩では、あまりにも不公平だ。


 片方が殺意を持ち、片方が敵意を持ち――、だからこそ成り立つ平等の喧嘩である。


 芹菜がいなくなった、あの時から。

 東は、明日希と本気で喧嘩をすることがなかった(それは、単純に出会うことがなかったから、というわけなのだが――)。

 明日希は、芹菜の罪に押し潰され、一歩退いた、戦闘とは思えない戦い方になっていたのだ。

 それも、さっきのことではあるけれど、しかし、今は違う。


 芹菜の罪を感じながらも、メモリという少女のために、

 明日希は、罪を償わなければいけない相手に、敵意を向けていた。


「……別に、これと言ってなにかをしたつもりはないんだけどね。けど、俺が知らないところでなにかをされていたって可能性は……、否定できないな。

 俺は、ただの下っ端に過ぎないんだからさ」


「下っ端、ね……。なんだよ、それ。お前はどこかの組織にでも入ってんのかよ。

 だったら、お前を利用すれば、お前の上司とやらに繋がるかもしれないってことか。

 ――そしたら、メモリが抱えている問題も解決できるってことになるのか……」


「解釈は自由だ。そこからお前が、俺と戦う理由を見つけることも自由だ。

 ただ言えることは、ここで俺を止めないと、メモリを救えないってことだよ、明日希。

 メモリを救うか、俺を攻撃することに抵抗を持つ自分を救うか、選べよ」


 その、東の示した選択肢に、


「当然、メモリを救うに決まってる」


 明日希は、即断で答えを引き出した。


 他者を救うか、自分を救うかならば、もちろん、他者を救うに決まっている。

 自分くらいならば、いくらでも犠牲にできるというものだ。


 それに、東への抵抗というものは、完全ではないものの、

 しかし、無くなったと見てもいいだろう。


 明日希には、死ねない理由がある。

 芹菜が、自分の体を犠牲にしてまで、生かしてくれた、この体。

 生命を、簡単に絶命させていいものではない。

 相手がたとえ東だろうとも、芹菜の兄だろうとも、関係ない。


 明日希は、死ねない。


 防衛本能が、しっかりと機能しているのだ。


「そうか……。なら、昔からつけようと思っていたが、芹菜に止められてできなかったことを……、今ならできる『決着』ってのを――つけようか。

 どっちが本当に強いのかどうか、チームのリーダーはお前だが、実力までお前に劣っているとは限らないぞ、明日希」


 刀で風を切りながら。


「……懐かしいな。お前のそのテキトーな剣道。

 教える奴がいなかったから、独学でやったからこそ、型がめちゃくちゃなのは仕方ないけどさ――それでも、充分にいい線、いってんだよな……。

 まあ、それは俺も似たようなものなんだけどさ」


「――柔道、か」


「いや、柔道なんて枠組みには入らないと思うけどな。でもまあ、無理やりに入れるとしたら、そこだろうなあ……こっちも独学で、まったく、柔道が関係なくなっちまったけどさ。

 ――拳と剣の戦いとしては、変わらないだろ」


 明日希は、自分の手の平に、拳を打ちながら、言う。


 互いに、覚悟が決まったらしい。

 そして、戦闘体勢に入る。


 少しでも、一歩でも動きを見せれば、それでゴングが鳴り響いてしまうほどには、場が静寂に包まれていた。――びりびり、と雰囲気が震えている。

 空気が、二人の意識に飲み込まれている。


 そして――

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