第30話 化物同志

 そして、錬磨は頭を後ろに反ってから、前へ、思いきり突き出した。


 丸い坊主頭は、まるで砲弾のように、菊乃の額に向かっていく。

 当たれば、意識が飛ぶでは済まないほどの頭突きではあった。

 しかし、そんな大振り、菊乃に当たるわけがなかった――。


 菊乃はすぐに、錬磨から後退する。距離が開かれる。錬磨としては、距離を取ることが頭突きの目的だったので、当たらなくとも、困るわけではない。


 まあ、狙い通りではある。

 頭突きが当たれば、それが一番良かった結果だったが……。


 そして、錬磨が、思わずと言った様子で、笑みをこぼす。


 距離を取れたことに。

 今後の展開に、幅広いチャンスを生むことができることに――笑みをこぼす。

 笑い、笑って、口元を歪ませる。


 そうしていると、ぼそぼそと、菊乃の声が聞こえてくる。


「……男って、そういうもんだって言われても……、

 あたしが知っている人は、全員が全員、そうってわけでもないから知らないし。

 それに、真逆のような人が身近にいるから、なんだか掴みづらいっていうか――」


 声は聞き取れるけれど、しかし、内容までは聞き取れなかった。

 一体、菊乃がなにを言っているのか、錬磨には分からなかった。


 だが、次の瞬間に聞き取った、街のどこかで起きている騒ぎの音——。

 それで、菊乃が呟いていたのは、このことか、と、錬磨は勝手に勘違いをした。


 意識をして耳を澄ませば、聞こえてくる悲鳴のような声。菊乃も、耳を澄ましている。

 ぼそぼそと呟くのはやめたらしい。聞き取ることに、集中しているようだ。


 音の様子から、どうやらパチンコ店でなにかあったらしい。


 となると――いつも通りのことか。と、気にすることでもないことを確認した。


 なんだかんだで、明日希が関わっていることは確実だろう。もしも違えば、明日希に失礼ではあるのだけれど――だが、実際に関わっている明日希なので、こうしてすぐに疑われても、文句はまったく言えないのだ。


 ともかく。


 少しばかり、意識が騒ぎの方へ向いてしまっていたけれど、さすがに、二人は相手の不意を突いて攻撃する、卑怯道まっしぐらな行動を取ることはなかったようだ。

 しかし、相手の隙を突くことは、卑怯に見えるかもしれないが、これも、れっきとした戦略である。二人は、わざわざチャンスを棒に振ったようなものなのだ。


 だから、二人はまだまだ子供なのだった。


 東ならば、今のチャンスを棒に振ることはなかっただろう。上手く、活かすはずだ。


 不意打ちをしないまでも、だが、次の一手への準備はしそうなものである。


 椎也ならば、逆に、相手の隙を突くことしかしないだろう。常にチャンス。

 チャンスしか起こさせないような攻撃を、常にしているようなものである。


 明日希に関して言えば、気分的な行動をするので、彼の行動はあまり、読めない。

 そう――例外的な男なのだ。


 そして。


 菊乃と錬磨。


 明日希に、東に、椎也。


 たった一つの年の違いしかないはずなのに。なぜ、こうも大きな差があるのだろうか。


 力の、違いなのか。

 ――いや、純粋な力ならば、二人の方が圧倒的に強いだろう。


 だから、そうではない。

 明日希たちの強さは、ただの、腕っぷしの強さだけではない。


 力だけではなく、生まれ持つ、能力だけでもなく。

 磨き上げた、技術だけでもなく――、


 それだけではなく、今まで積み重ねてきた経験が、大きな差を生み出している。

 それだけと言うには、あまりにも大きなステータスではあるけれど。


 差が出ているのは、その、経験値の差だったというわけだ。


「……まったく。男ってのは、諦めも悪ければ、馬鹿騒ぎも好きなの?」

「基本的に、男は自由人で、トラブルメーカーだからな」


 錬磨は自分自身で、そう分析する。自覚がありながらも、しかし直そうとしない男という生き物は、やはり、女がいないと駄目なのである。

 放っておけば、すぐにでも身を滅ぼしてしまう。絶滅を願うような生き方をしているのだ。


 救えないほどに、こぼれ落ちていくような人生を歩んでいるのだ。

 同情なんてするつもりはない。


 菊乃が吐いた溜息は、同情の意味ではなく、

 少しだけ男を理解できたかもしれないという、安心の溜息だった。


 そして、菊乃は、


「分かったわよ。もう、降参しろなんて言わない。男ってのは、力づくで地面に叩き伏せなくちゃ分からないみたいだから、容赦はしないわよ、錬磨」


「…………ああ、きやがれっ!」


 菊乃の化け物じみた力を理解している、同じく化け物じみている錬磨は、身構える。

 しかし、その構えは、不意を打つようにして地面から飛び出してきた、『奇妙なもの』のせいで崩されることになる。


 蜘蛛のような形をした、兵器。

 ――蜘蛛の兵器。


 駆動音を響かせながら、空中でバランスを取ろうとする蜘蛛の兵器。やがて、安定を掴み、体勢が真っ直ぐになる。そして、錬磨に視線を集め、プログラムで決められていた仕事をこなそうとするけれど――だが、時間がかかり過ぎた。


 とは言っても、時間としては数秒。全然まったく、遅いとは言えないし、遅過ぎなんてのは、大げさにも言えないのだが……、しかし、菊乃からすれば、遅過ぎる数秒である。


 やがて、唐突に。

 錬磨の視界から、蜘蛛の兵器が消える。


 言葉を吐き出す暇もなく、錬磨はただ、呆気に取られる。


 だが、咄嗟に目で追っていたので、見逃すことはなかったようだ。


 どうやら、蜘蛛の兵器は、菊乃に殴られて、ビルに叩きつけられていたらしい。


 そう――ボロボロで、あと一撃でも喰らえば崩壊してしまうような、ビルへ、容赦なく。


「――って、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおいッ!?!?」


 錬磨の叫びは遅く、ビルの崩壊の音に、かき消される。


 化け物じみている二人であるが、しかし、人間ではある二人なので、崩壊に巻き込まれてしまえば、さすがに、命の安全は保証できない。しかし、避けるには距離が近過ぎているため、瓦礫の雨を凌ぐことを無傷でおこなうのは難しい。


 数が多過ぎて、対処できない。

 行動がまったく、間に合わない!


「う――うわうわうわっ! 錬磨ごめん! ちょっとやり過ぎたかも!?」


「おいおいっ! 手を合わせてごめんのポーズを取るくらいなら、瓦礫を取っ払ってくれよお願いだからっっ!」


 のん気に「了解」と答える菊乃には、危機感というものがまったくないように見える。

 実際、ないのだろう。


 この危機的状況を、危機的状況として認識していないのかもしれない。


 気にするまでもないような。

 問題とするまでもないような。


 些細な、日常ということか。


「たくまし過ぎるだろ」


 思わず呟く錬磨は、菊乃を見て、自分と比べて。

 どれだけ自分が情けないかを再認識する。

 女である菊乃があれだけ余裕だと言うのに。

 男である自分は、なぜこんなにも焦っているのだろうか――。


 馬鹿馬鹿しい。


 錬磨は冷静に、落ちてくる瓦礫を、一つ一つ丁寧に。側面を打ち、横に払っていく。

 そして、何回か繰り返していると、どうやら崩壊が収まったらしい。

 危機的状況からは、どうにか脱出できたようだった。


 ふう、と息を吐く。

 すると、菊乃がとことこと近づいてきて、


「さっきまで、あたふたとパニックになっていた錬磨くんじゃないですか? 

 いきなり冷静になってどうしたの? あたしのおかげ? ねえねえ、あたしのおかげ?」


 にしし、と笑いながら。

 馬鹿にしながら寄ってくる。



 ――うっっ、ぜえ。

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