第29話 男ってのは
「そうか」
鍛波はそれだけしか言わず、それ以上、東になにかを言うことはしなかった。
追いかけることも、引き止めることもせずに。ただ、見つめているだけであった。
これ以上の用件はないだろう、と思った東は、止まっていた足を動かし、前に進む。
そして、冷静になって、やっと分かった。
明日希を前にすれば、我を忘れてしまうという鬼門があるのだが、しかし、分かった。
そう――再認識した。
気にしてはいる。それは仕方のないことではあるけれど。
だが、なにも、明日希に全てをぶつけるほどではない。
この一年でなんとか、落ち込んだ心を、平常にまで戻すことはできたのだ。
感情を、操れないわけではない。
心が弱いからこそ、我を忘れる。もう一人の自分に負ける軟弱な精神など、持っているだけで邪魔である。だからと言って捨てるほど、もう一つの人格に全てを任せるほど、東は、自分という個人を安く見ているわけではないが。
負けるかよ。
そう呟く。
明日希を前にしても、我を忘れることなく、自我を持って。
過去を乗り越え――だが、全てを無視をするわけではないけれど。
過去を気にしながらも、しかし、今と未来を生きるために。
自分は、今やるべきことをするだけだ。
「確か、明日希はメモリと一緒にいたよな……。マスターに預けてたけど……まあ、それはあとでいいか。椎也にも任せてあることだし。とりあえずは、もう一度、明日希のところに行くか。
最悪、戦うことになるが、これも仕事だ、仕方ない――戦うことに変わりないし、さっきと同じだけど、でも違う。今度は、復讐なんてもんじゃない。ただの仕事だ。
言葉で済めばそれでいいし、済まないのならば戦うしかない。
ケースバイケースってところか……」
刀をくるくると。
手の上で弄びながら歩く東は、ふと、昔のことを思い出し、微かに笑う。
「もしも、今ここに『あいつ』がいれば、縦横無尽に走り回って喧嘩を止めたんだろうな。そして、俺たちはいつの間にか、無理やりに仲直りをさせられている。
今、あらためて思い出して見てみると、なんだかほとんど『あいつ』の思い通りに動いていたんだな……でも、まあ、今回は『あいつ』でも無理か――無理だろう。
俺はもう『やる』と、そう決めたから。他人の決断に介入できるほど、『あいつ』も、深くまで届いてくるほどに、鋭くはないしね――」
ここから向かう先。
視線の先には、明日希がいるだろう。
そして、もう一つの人格である自分も、そこにいるのだろう。
敵は二人。
話すことができる者と、できない者。
考えてみれば、明日希との喧嘩など簡単なもので、笑えてくるレベルだ。
だから、集中するべきものは、自分自身との戦い。
自分との戦いとはすなわち、精神との戦いだ。
自分自身に自信を持つ東としては、負けることなどない。
それはもう、勝ちが決まったような、確実な戦いだ。
ルートが決まる。
ゴールが見える。
あとは、走り抜けるだけ。
―― ――
菊乃と錬磨の戦い。
一般人が見れば、なにがどうなっているのか、どういう状況なのか。どちらが優勢で、どちらが劣勢なのかは、まったく分からない。
レベルが高く、遥か上空に存在している。――もしも、運良くどちらが優勢なのか視認できたとしても、見た事実は秒単位で変動している。
そのため、その事実が偽りなく存在できている時間も、これまた秒単位である。
二人は、互いに攻撃力と防御力が凄まじい。攻撃していても、相手の体に傷をつけられるのは、数千の攻撃の中の、数十回程度なのだ。
その数十回とつけられた傷も、ダメージというダメージとして、肉体に蓄積されているかと言えば、そうでもない。
ダメージは、ゼロのように。
ゼロに等しく。
ゼロそのものと言える。
傷を受けているのは、戦っている本人たちではなく、周りの建物であった。
街が、破壊されていく。
さすがに、街という巨大なものでも、二人の攻撃を細部に喰らえば、ひとたまりもない。
「はあああああああああああああッ!」
「らあああああああああああああッ!」
途中から、言葉さえも交わさなくなった二人は、ただ叫ぶだけであった。
攻撃は止まずに続き、拳と蹴りが、入り乱れる。
菊乃が放った空中での拳。その、直線の突きを、錬磨は身動きが取れない空中で、一回転し、なんとか足の裏を、拳にぶつける。
威力は相殺されるが――けれど、威力は殺せても、衝撃までを殺すことはできなかった。錬磨は防御の反動で、真後ろに吹き飛ばされる。
直接的なダメージはゼロに等しいものだが、しかし、壁に激突し、瓦礫が背中に突き刺さったことを考えれば、ゼロだとは言えないかもしれない。
だが、それでも、
「いってて……」
傷口をさするだけで耐えられるレベルでの、怪我しかしていない。
そして、冗談交じりに言う錬磨は――思う。
なんだよ、全然強いじゃねえかよ、と、素直な感想を心の中でこぼす。
菊乃が強いのは、分かり切っていることはではあった。しかし、男と女の違いはさすがにあると思っていたのだ。だから、自分の方が性別として強いと、能力として上であると思っていたのだが――、けれど、菊乃に、そんな常識は当てはまらなかったようだ。
錬磨は、自分が完全に劣っていると分かるほどに、菊乃が反則的に強いことを、知る。
このままやり合えば、負ける。そのビジョンが、視界の先でちらついていた。
「……そろそろ降参してよ。
あんたも、女の子に殴られるなんて醜態、晒したくはないでしょ? あたしも、男の子を殴り続けるなんて暴力的なイメージを、街のみんなに植え付けたくないし」
「いらない心配すんじゃねえよ。しかも、そんなもん、今更じゃねえか。お前は女の子、なんて表現は似合わねえ、化け物だ。――モンスターなんだよ、俺もお前も」
錬磨の言葉に、「むぅ」と顔を歪ませる菊乃。
そして、一瞬で、錬磨の元に歩み寄る。
菊乃からすれば、ゆっくりなのだろう。
しかし、錬磨からすれば、高速の動きだ。
まるで、全力ダッシュのようで。
近づく迫力は、一歩引いてしまうほど。
そして、菊乃の膝蹴りが、錬磨の腹部に突き刺さる。錬磨が背を預けていた壁が、さらにべこっと凹み、建物自体が崩れてもおかしくはない形を作り出していた。
しかし、建物は崩れることなく、そこに建ち続けている。だが、あと一撃でも入れば、すぐに崩れてしまうくらいには、ボロボロではあったけれど。
「ぐうっ――ッ!」
「どうして、そこまで粘るのかな……。だって、これ以上続けても、負けるのは確定じゃ……、ないけどさ。でも、展開的に分かるじゃん! 予想つくじゃんっ!
それなのにどうしてあんたたち『男』は、いつまでも、粘って、しがみついて、決してっ!
自分からは手を離さないのよ!?」
「そんなのは、」
そんなものは、決まっている。
それが、男という生物だから。
そうとしか、錬磨には言えなかった。
菊乃の質問への答えは、これしか持ち合わせがなかった。
これは、明日希が昔に言っていた言葉である。しかし、言った明日希も、誰かから聞いた、とのことらしいが、それでも。錬磨には、明日希が眩しく見えていた。
その言葉は、刻み込まれるように、染み込まれるようにして、残っている。
今でも忘れないようにと、頻繁に思い出しているほどの言葉である。
自分から手を離すということは、自分に負けることと同義である――。
人が死ぬ時とは。
敗北する時とは。
実は、他者など関係なく、いつまで経っても、どこまでいこうとも、自分自身に負けなければ、負けではないのだ。
それは『自分にさえ勝てれば、全てのものに勝てるのだ』と――そこまでの意味があるのかは、錬磨には分からなかったけれど。
だが、もしも。
自分で付け足すことができるのだとすれば、間違いなく、その通りだと言うだろう。
そう――その通り。
自分に勝てれば、全てに勝てる。
自分を越えれば、最強無敵。
錬磨は、そう信じ切っている。
自分に勝てれば――。
だが、だからと言って、相手を無視するわけではないけれど。
「――たとえ負けることが分かっていても、手を離さないのが男ってもんだ。お前は明日希さんを見てきたんじゃねえのかよ? 好きなんじゃねえのかよ!? ――だったら分かんだろ。
男ってもんがどんなものなのか、焼き付いているはずだろうがよ、その目によ!
それに、なにを勝手に負けムードを漂わせてやがんだ。
――俺は、負けちゃいねえ。明日希さんを越えるまでは、負けらんねえんだよッ!」
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