叙の嵐

第25話 ここから先は

 自分を追いかけてくる人物は、一体誰なのだろうか。


 明日希は、黒マントで全身を包む人物に、そんな感想を抱く。

 ……本音を言ってしまえば、

 なんとなくではあるけれど、この謎の人物の正体を、知っている――。


 約一年ほど、見てはいない。だが、成長期を既に過ぎているので、肉体が急激に変化することはないだろう。だからこそ、明日希が思う人物と、いま自分を追いかけてきている人物の肉体がそっくりであったことで、正体を導き出すことができたわけだ。


 まあ、だからと言って、フレンドリーに話せるわけではないけれど。

 もしも、明日希の予想が当たっていれば――最悪の展開である。


 最悪の相手。

 予想が当たっていることは、ほぼ確実。


 だからこそ、こうして追われているのは、必然だった。


「――完全に、あっちはこっちを殺す気できてるよな……。思いきり、刀を振ってきたし」


 さっきの一撃には、当てる前に寸止めさせるとか、ギリギリではずすとか――そんな、『生かすため』の作業などは、欠片もしていなかった。

 殺すための決意をし、殺すための最適な行動をし、

 殺すためになんの躊躇いもなく、殺すために刀を振ったのだ。


 その一撃は、掠ったものの――、

 だが、咄嗟に避けれたことに、奇跡を感じる。


 恐らく、二度目はない。

 次に同じことをされた場合は、斬られる自信がある。


 いま、メモリの手を引き、逃げることができているけれど――あの武器は厄介だ。


 伸びる刀身。

 それが活躍するとなると、この直線の道は、圧倒的に不利だ。

 攻撃を避けるのは、至難の業である。


 自分一人だけならば、多少の傷を覚悟すれば、避けられないわけではない……、しかし、今はメモリがいる。別に、足手まといに思っているわけではない。

 相手が相手なのだ。

 手加減などできるわけもなく、手加減などすればこちらがやられてしまうからこそ、ここは本気でやるしか、行動の選択肢はないのだ。


 本気を出すためには――メモリがいると、やりにくい。


 だから、メモリを逃がすことが、最優先事項になるわけだが――、


「だったら……」


 その先の言葉は、飲み込まれ、出番は終わる。

 それから、明日希は、手を打つ。


 ここの道は一直線。進んで行けば、パチンコ屋があるはずだ。


 さっきの今で、時間はあまり経っていない。

 もしかしたら、ヤクザたちは、まだ暴れている頃かもしれない。

 だがそれでも、メモリをここに置いておくよりは、多少危険でも、マスターの傍に置いておいた方が安全だろう。思った明日希は、すぐに行動に移す。


 しかし、実行してからすぐ――行動を遮るものがやってくる。


「明日希っ――上っ!」

 

 と、メモリの声。


 なんとなくではあるけれど、状況を把握した明日希は、周りを確認することなく、一心不乱に、逃げることだけに意識を集中させる。

 メモリを引っ張り、前に突き出しながら、一歩一歩と。

 力強く踏み込み、そして出し、前へ進む。


 ――真下を見て。

 一点だけを目指していた明日希の努力が認められたのか、

 背中を狙っていた攻撃は、直撃することなく、地面を抉る。


 攻撃を、避けることができた。


 そこで、明日希は後ろを振り向くなんて、余裕たっぷりの行動はしない。

 ただ、前だけを見て――パチンコ店に辿り着きそうなところで、大きく叫ぶ。


「マスタぁあああああああああああああああああああああああああッッ!」


 明日希は、マスターがヤクザたちをもう既に倒しているという前提で叫ぶ。

 そして、返事を待つ。

 すると、マスターが店から外に出てくる。


 血だらけ――いや。

 返り血を浴びているという、

 見る人のほとんどが、悲鳴を上げて逃げ出してしまうような外見をしていたが。


 その光景には、メモリも恐怖を抱いたらしい……、びくりと震える様子が、明日希にも感じ取れた。だが、そんなメモリの恐怖心に気を遣っている時間はない。


 まあ、仕方ないか。

 そう思い、明日希はメモリを抱え上げる。


「――きゃあっ!?」


 慌てたメモリの声が聞こえたが、完全に無視する。

 今は逃がすことだけを考える。

 メモリへのフォローは、また今度だな、とあと回しにして。


 そして明日希は、マスターに向かって、メモリを思い切り、投げ飛ばした。


 ―― ――


「――へ?」


 投げられる寸前、明日希が、自分を抱えてなにをしようとしているのか、運良く(運悪くかもしれないが)読み取れてしまったメモリは、咄嗟に抗議をしたけれど――、

 だが、明日希の行動は早く、その抗議は悲鳴と混ざり合う。

 そして溶け合い、一体どちらなのか区別がつかないものになっていった。


「――っぅううう――やっ、ああ――ああああああああああ――っきゃ――ぁああっ!?!?」


 全力で投げられたメモリには、かなりの勢いがついていた。


 このままでは、受け取る側に大きな負担がかかってしまう――、

 しかし、そんなことを心配している間にも、着地の時間は、あっという間にやってくる。


 まるで、隕石のように落ちていく。

 メモリからすれば、どうなっているのかは分からない。

 ただ、臓器が暴れ回る感覚がしているだけだ。


 そして――。


 メモリは、マスターの腕の中に、すっぽりとはまった。


 優しく、受け止められている。


 ここに来るまでについていた威力は、綺麗さっぱりに消えている。

 マスターが、どうやら受け止める時に、威力を消していてくれたらしい……。


 自慢のそのハンドテクニックで。

 ダメージを、ゼロに変えていた。


「…………」


 その慣れた手つきでの、流れるような作業に魅了されたメモリ。受け止めてくれたマスターにお礼を言うこともできないまま、ただ、見上げているだけであった。


 すると、


「マスター、あとは任せたっ!」


 という、明日希の声が聞こえてくる。


 距離を見れば、かなり遠いことが分かる。この距離を投げ飛ばされたのか、と他人事のように思えてくる。着地点が少しでもずれていれば、メモリの体は地面に容赦なく叩きつけられていたことだろう。それを考え、思わず体がぶるりと震える。

 だが――まあ、今の結果を見れば、

 マスターは絶対に受け止めてくれると信用できるから、心配などないのだが。


「…………大丈夫か? まったく、明日希も無茶なことをするな」


「え、と――大丈夫、です」


 メモリは、震える声でそう言う。

 マスターは苦笑いをしながら、そして口を開くことがないまま――メモリを抱えたまま歩き出した。恐らく、マスターは自分についている返り血のせいで、メモリが恐がってしまった、と考えているのだろう。

 確かに、恐かった、けれど。しかし、それは見た目の話である。

 助けてくれた、という一歩踏み出した印象からすれば、恐くもなんともない。


 優しさを知ってしまっている。

 マスターに抱いているものは、好印象だ。


 けれど、メモリは人と話すことが苦手だった。マスターも、似たようなものだった。互いにコミュニケーションを取るのが苦手だったのだ。だからこそ、今――沈黙の空気なのである。


 このまま沈黙というのも、居心地が悪い。なので、とりあえずは……、


「それじゃあ、少しだけこの格好でがまんしてくれるか? 

 すぐそこに俺の店があるんでな。そこで一休みしよう」


 明日希に、「任せた」と一方的ではあるが、頼まれてしまったので、ここでメモリのことを放っておくわけにはいかない。そう思ったマスターは、大人な対応を見せる。

 ただ、なぜかメモリを抱えたまま移動を開始したのは、分からないところではあるが。


 目的地がすぐそこならば、怪我などしてないメモリのことは、下ろして歩かせればいいとは思うけれど……、しかし、逆に近いからこそ『下ろす』という作業が面倒なのかもしれない。


 メモリとしては、抱えられているこの格好は、恥ずかしいものだった……だが、下ろしてくれ、と言うのも、勿体ない体勢であった。


 受け止められた時から、この格好だったのかは、あまり覚えていないが。


 メモリは今――お姫様抱っこをされている状況だった。


「あ、」と声をかけようとして、すぐに引っ込んでしまった言葉を、メモリは取り戻そうとはしなかった。――まあいいかな、と思いながら。

 今は、この格好を楽しもうと思い、ちらりと、明日希がいるであろう方向を見る――けど。


 しかし、明日希の姿は、もうなかった。

 そして、どんどんと遠ざかって行く自分——。


 メモリは、後ろを向いたまま、振り向いたまま。


 元の位置に戻すことはなかった。

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