第23話 逃げた先の騒動

 明日希は、優勢を維持したまま――、

 そのまま勝てるのではないか、と言えるくらいには、相手を追い詰めていた。


 しかし。

 それにしても――、思う。


 一対十五、だと言うのに、ここまで実力に差が出るのだろうか。

 これは、相手が弱いのか、それとも明日希が強いのか。

 たぶん、後者だろうな、とメモリは思う。


 このままいけば、勝てるとは思うけれど――、


 だけど相手への対処が多いために、一撃一撃は、軽くなってしまう。それは相手を倒し切れないという状況を生むことになる。

 倒されない相手は、すぐに立ち上がり、再び戦闘に参加してくる。

 まるで、ゾンビのように――蘇ってくる。


 さすがに、いくら明日希が強いと言っても、何度も何度も起き上がってくる相手を、何度も何度も倒すというのは、精神的にきついものがある。


 見えないダメージは、明日希に蓄積されていく。

 たまにであるが、膝をつく。


 疲れという縛りが、徐々に徐々に、明日希を締め上げていく。


「――ち、くしょう、が!」


 前からくる攻撃と、後ろからくる攻撃が――同時に迫る。


 なので、明日希は前方に向かい、自分から、攻撃に当たるだろう予定時刻を早める。

 前方の攻撃をすぐに対処し、それから後ろへの対処へ移る。


 結果的に、どちらも防ぎ切ることはできたけれど、明らかに、疲れているのは明日希だ。

 確信を持って言えるほどに、明日希は分かりやすく、息を切らしていた。


 このままでは、勝つ前に、疲れで負けてしまう。

 そんな危機を感じた明日希は、焦ってしまったのか、相手の攻撃を避け切ることができずに、肩を、ナイフで、ほんの少しだけ、斬り裂かれた。


 些細な傷なので、なんともない。しかし、その怪我に一番の反応を示したのは、カウンターで店長と一緒に話をしていた、メモリであった。


「明日希っ!」

 と叫びながら、メモリは駆け出し、明日希の元にへ向かった。


 もしかしたら、今の一撃が致命傷になった、とでも思っているのかもしれない。

 そんなことはないけれど――だが、メモリの位置から確認など、できそうにもない。


 だから、メモリが焦ってしまうのも仕方のないことではある。

 だが、それでも、明日希は叫ぶ――叫ばないなんて、できなかった。


「ば――馬鹿野郎ッ!」


 ここは、戦場だ。

 女で子供であるメモリが来れば、すぐにボロボロにされてしまうだろう。

 それは、目に見えていることである。

 だから、明日希はすぐにでも動きたかった。

 ――しかし、明日希の意図を知って、邪魔をしてくるのは、もちろん、ヤクザたちである。


 ヤクザは、標的を変えた。

 明日希ではなく、

 明日希が大事に思っているであろう少女――メモリに。


 あっという間に、駆けてくるメモリを、ぐるりと囲む。

 そして、攻撃の意識を、メモリの方へ切り替える。


「てめえら……。――メモリは、関係ねえだろうがッ!」


「関係ない? はっ――てめえと関係していることで、こいつは関係してるじゃねえかよ。仲間はずれか? てめえのために動いてくれる。助けるために、割り込んでくれる良い女の子じゃねえか。それを関係ないと括ってしまうのか? 

 だとすれば、てめえは俺たちと同じくらいの最低野郎だぜ?」


 吐き出される言葉。

 相手をすることない、と判断した明日希は、ヤクザたちをかき分けて、すぐにメモリの元へ向かう。しかし、数で圧倒され――壁を作られ。

 疲れが溜まっている明日希では、前に進むことができなかった。

 そんなことをしている間にも、メモリの拒絶の悲鳴が聞こえてくる。

 拳を強く握り、自分の歯を砕いてしまうかのような力で、歯を食いしばる。


 自分のせいで。

 自分のせいで、メモリを危険な目に遭わせてしまった。


 明日希の中にあるのは、たった一つの、後悔だった。 

 後悔だけがそこにある。


 すると、ヤクザリーダーが、手でくるくると回していた拳銃を、明日希の眉間に突きつける。

 あとは、引き金を引くだけで、頭を吹き飛ばすことができるのだが……、

 弾も入っているので、殺すことは、確実にできる……のだけれど。

 しかし、それは『できる』だけであって、『やれる』かどうかは別問題であった。


 引き金を引けるほど、ヤクザの方は、精神力が強い方ではなかった。


 ここで、迷いなく引ける分、精神的には明日希の方が強いと言えるだろう。


 ただし、相手が『悪』であり、『害』である場合に限るのだが。

 ともかく。


 その、たった少しの、躊躇いの時間。


 刹那の時間が、明日希を――、

 そして、メモリを救う結果に導いた。



 ――もう、誰もいないと思っていた、客。

 こんな状況でも変わらずパチンコをしている、一人の大男。


 彼は、いつの間にか、明日希の元へ、辿り着いていた。


 そんな例外的な彼は、



「一人でやれることでも、二人でなら無理なこともある。――明日希。

 お前は今、その子と一緒にいるんだ。そのことを忘れているんじゃない。

 だからこういうことになる。

 だから、こんな絶対絶命のピンチになって、この俺に助けられることになるんだ」



 そう言って、明日希に向けられていた拳銃を、掴み、捻じり――捻じ曲げた。


 あり得ない方向に曲がった拳銃は、本来の用途としては、もう使えないだろう。

 それが意味することは。


 武器の消滅。

 それは、自信の喪失。ヤクザたちの、絶対なる必殺の、紛失。


 勝機を取りこぼした。

 絶対にしてはいけないミスをしてしまった。


 ヤクザたちは、立ち向かう気力など、もうない表情をしていた。

 しかし、それは集められた十五人だけであり、

 ヤクザリーダーは、まだ、闘争心を胸の内に秘めていた。


 拳銃はなくとも――武器はある。


 自分の体という武器を信じている彼は、いきなり現れた大男に向かって、拳を放つ。


 しかし、拳は真横から現れた明日希の手によって、絡め取られ。

 その勢いを利用され、体が投げ飛ばされる。

 地面に叩きつけれたヤクザリーダーは、息を吐きながらも、しかし起き上がる。


 今度は迂闊に近づくことはせずに、しっかりと距離を取る。

 その場所で、近くにいた、表情を絶望に染めている部下の顔を、殴りつける。


「さっさと起きろ、てめえら。俺を置いて逃げるとか言うんじゃねえだろうな?」


 その言葉に気を引き締めたのか――ヤクザたちは、崩れていた構えを直し、戦闘態勢に入る。

 狙いは、明日希と、メモリと、いきなり現れた大男だろう。

 その証拠に、ヤクザたちは、三人のことをずっと、睨みつけている。


 しかし、その敵意がこもった視線は、唐突に遮られることになる。


 なぜなら、大男が、明日希とヤクザたちの間に割り込んだからだ。

 それに、なんだかのこの構図は――、

 まるで、ここは俺に任せて先に逃げろ、と言わんばかりの構図であった。


 その予想は、当たっている。

 この大男の正体を知っている明日希としては、

 悩むことなどなく、答えはすぐに出てくるものだ。


「……助かったよ、マスター」


「気にするな。身内の馬鹿野郎を助けただけだ。これも教育だと思っていれば、全然、許容できる危険だ。いや、少し言い方に勘違いがあったな。

 ――こんなもの、俺は危険だなんて思ってはいない。

 だから安心しろ。ここは俺に任せて、さっさと逃げろ、明日希」


「できるかそんなこと。これは俺が売った喧嘩だ。俺が収めないと駄目だろうが」


「いつもは逃げてばっかで、後始末もろくにしないお前が、今に限ってそんなことを言うのか。思い通りにいかない子供だ、お前は。その成長には嬉しいものだが、しかし、いまお前は、いつもとは違う、大切なものを持っているのだろう? 

 その子を危険に晒してまで、まだ、してやると言っている後始末を手伝うと言うのか?」


 大男――マスターは。


 明日希に背を向け、視線も、顔も、向けようとはしなかった。


 言葉だけのやり取り。あまり感情を出さないマスターではあるが、今の状況には、さすがに明日希に向けて、怒りを持っているらしい。

 それは、声の感じからして、なんとなくで分かった。


「…………」


 明日希としては、メモリを危険に晒したヤクザたちを、最低でも一発でも二発でも、殴りたいところではあったが……、

 しかしそれは、メモリを今、危険に晒してまでやらなければいけないことではない。


 それに、元を辿れば、こんな状況を作り出してしまっている自分が、メモリを危険に晒してしまった張本人とも言える。だからこそ、後始末は自分でやるべきだと思っていたのだけれど……、しかし、後始末よりも、明日希がやるべきことは、たったの一つだけである。


 メモリを助ける。


 危険を、取り除く。


 それだけなのに。簡単な、一言なのに。

 自分は、そんなことにも気づけなかったのか。


 なんだかんだと言いながら。

 メモリのためだと言いながら、自分のことばかりを考えていた。


 それに、気づかされた。

 やはり、まだまだこの人には敵わないな、と明日希は思う。


 そして、すぐにメモリの手を取り、走り出す。


 いきなりで、唐突だったために、「ひゃわあっ!?」という悲鳴なのか、驚いた声なのか、よく分からない謎の奇声を発していたメモリ。


 だが、逃げるということを理解してからは、落ち着きを取り戻す。

 明日希の速度に合わせて、走る。


 マスターには、駆け出す時にはなにも言わなかったけれど、あそこで何か、声をかけていれば、恐らく「言葉をかけるくらいならさっさと行け!」と言われていたことだろう。

 お礼は後々、しに行かなければならないな、と今後の予定を確認しながら、明日希は走る。


 一直線に。

 パチンコ屋が見えなくなるくらいに――、そろそろ、距離を稼げたと思う。


「まあ――とりあえず、ここまで来れば、ひとまずは安全だろう」


 完全とまでは言えないが。

 よほど運が悪くなければ、新しい騒動に巻き込まれることもない――はず。

 そんな笑い話のような気軽さで言ってみたところ、


「…………え、」


 明日希とメモリが逃げてきた場所。


 もうここは大丈夫だろう、と思い、安全を手に入れた場所。


 そこで出会った、黒いマントで全身を包み込んでいる青年——。


 彼は、今、街で大きな騒ぎを生んでいる、侵入者による事件――その犯人であった。


 どうやら、明日希なのか、メモリなのか。

 それとも青年の方なのかは分からないが。



 よっぽど、運が悪いらしかった。

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