第21話 口実と本音
「いやー、すんません。こいつは俺の連れでして。彼女、ちょっと怪我をしているので、あまり乱暴はしないで、話し合いで収めてはくれませんかね?」
明日希は、ヤクザに向かってそう言った。
てっきり、すぐに暴力を振るうのではないか、とメモリは思っていたが……、
しかし、明日希は話し合いという、平和的な解決を望んでいた。
優しく微笑みながら。
だが、それは馬鹿にしているような余裕な笑みとも取られることもある。
そんな表情で、相手に一歩、踏み込む明日希。
その行動は、『慣れている』と言った評価を下すのが正しいだろう。
相手はヤクザだと言うのに、一瞬も怯えることなく。
相手に、飲み込まれることもなく、自分のペースを維持している。
すごいな、とメモリは素直に思う。
明日希の背中を見て――あらためて見て、大きいなあ、と思う。
この背中にずっと、守られていたいと願うけれど、当然、できるわけもない。
ずっとなんて、そんな甘えたことは言っていられない。
いつかは、必然的に、別れてしまう。
どんな関係でも。人生とは、そういうものだ。
それに、記憶が戻れば、すぐにでも離れてしまうだろう。
だから、明日希に深い信頼を寄せることは危ないと言える。
とは言っても、それでまったく信頼を寄せないというのも、酷な話ではあるが。
深くもなく、浅くもなく。
調整の難しい平均の信頼を寄せることがベストだ。
それは、分かっている。
分かっているのだが――しかし、メモリは、
信頼を注ぐ行為を、抑えることができなかった。
信頼をすればするほど、好意を向ければ向けるほど。
別れる時が、つらくなってしまうから――。
そんな勝手な判断で、
今まで明日希に向かって心を開かないようにしていたメモリではあったけれど――、
だが、今。
この背中に自分の全ての信頼を向けようと。そう決意した。
明日希のことを、完全に認めていた。
「てめえ、本気で言ってやがんのかよ? ここを話し合いで収めるだって? いいぜ。全然いいぜ。このガキがこぼした玉を全て拾ってくるか? それか――、それが無理なら、倍にして返すか? その二択だよ、坊主」
ヤクザが、明日希の言葉に、そう答えていた。
メモリからは、明日希の背中で隠れているので、ヤクザの姿は見えていなかった。
けれど、声だけはきちんと聞こえている。
こぼした玉を、拾う。
別に、できないことではない。こぼしてしまったのは自分だ。原因は自分にあるのだから、それくらいはやってもいいだろうとは思う。
しかし、全部を探せるかどうかが問題であった。一つ残らず拾えるかどうかも、保証はできない。他の人が、既に拾っているかもしれない。それに、拾えたとしても、数を合わせるなんてのは、至難の業だ。
だからと言って、金額を倍に膨らませるというのも、無理な話である。
さっき、明日希は『勝っている』と言っていた。けれど、勝っていると言っても、ヤクザが持っていた玉の金額を、倍にするというのは、不可能でこそないが――だが、それに近いものと言えるだろう。
どっちにせよ、ヤクザの期待に応えられそうにはなかった。
「…………」
となると、この命令の答えはどうなるのか。
明日希の返答次第では、限界を越えた努力をしなければいけない。
メモリとしては、どこまでもついて行く気であった。
たとえ、不可能なことをすることになっても、
諦めずについて行く気であったのだけれど……、
しかし、明日希の言葉は、メモリがまったく、考えていなかったことであった。
「いやいや、二択だなんて、勝手に決めないでくれますかね。
俺は、ただあなたにはここでなにもせずに、おとなしく引き下がってほしいんですよ」
その明日希の言葉に、ヤクザは、
「はあ?」と呆れた声を出す。
メモリも同じように、心の中で声を出す。
そんなことを言えば、ヤクザの怒りはさらに増してしまうだろう。
この場を収めるはずが、どんどんと、悪化してしまうのではないか――。
そこで、メモリは、明日希がやろうとしていることに、気づく。
もしかしたらの可能性だけれど、恐らく、時は、順調に進んでいる。
ごくり、と唾を飲み込み。
明日希に全てを任せる。そして、じっと見つめる。
すると、明日希よりも早く、ヤクザが動いた。
動いた。
行動を起こさせることが、明日希にとっての、目的である。
先に手を出した方が負け。とでも自分の中のルールにでもあったのだろうか。
もしかしたら、後々の言い訳にでも使おうとでも思っていたのかもしれない。
それは、分からないけれど――、ともかく、
明日希はずっと、相手が手を出すことを待っていた。
相手が出せば、こちらも出せるから――という理由で。
そして、ヤクザは明日希の胸倉を掴み、自分の方へ引き寄せようとした。
だが、それよりも早く、明日希は相手の手首を掴み、真上に捻り上げる。
それから。
鈍い、嫌な音が、明日希の背中を貫通して、メモリの耳に届く。
慌てて耳を塞ぐメモリだが、しかし遅い。
一瞬だけ遅く、ヤクザの悲鳴が、少しだけ、メモリにも聞こえてしまった。
聞いているだけで、痛みを共有してしまいそうな叫びが、店内に響き渡る。
そして、ヤクザの、手。
ヤクザの手首は――折れている。
明日希が折った――折り曲げた。
そのことに、明日希はなにも感じていない様子だった。
それもそうである。
明日希が折ったのだ。躊躇もなく、折ったのだ。
ここで、明日希がそれを痛そうだと思ってしまうのは、あまりにも無責任だ。
それに、相手に失礼である。
同情するくらいならば、最初からやるな――、明日希には覚悟がある。
「――て、めえ……洒落になって、ねえぞ、マジで……ッ!」
「喋れるんですね。大した精神力だ、と思ったんですけど。それくらいの痛みは、激痛の中には入りませんよね。まあ、色々と文句はあるんでしょうけど……でも、最初に手を出してきたのはそちらです。こちらはギリギリのところで、正当防衛ってところでしょう」
「正当防衛、だと? ふざけん、な、一方的な虐殺みてえなもん、じゃねえ、かよ……」
ヤクザのその言葉に。
明日希は馬鹿にしたような表情で、ふっ、と笑う。
「なんだっていいですよ。正当防衛だろうが、虐殺だろうが。俺にとってはなんでもいいんですよ。あなたがこのまま引くのならば、なにもしません。でも、仕返しすると言うのならば、ここで潰しておきます。それに、むかつくんですよね――、さっきまで勝っていたのに、いきなり負け出して、すっからかんです。パチンコに苛立っているんですよ――」
明日希の怒りは、どうやらパチンコに向いているようだった。
その怒りを、ヤクザにぶつけているに過ぎない。
そう――、メモリを助けたのは、たまたまだったということだ。
いや、完全な偶然ではないだろうが、明日希だって、メモリのことを助けたいと思って、助けたのだろう。しかし、それは怒りをぶつける『ついで』に過ぎない。
口実でもある。
勝手に想像して――妄想と現実の差に、メモリは気分が落ち込む。
自分で、勝手に自爆していることは分かっているけれど。
それでも、メモリは簡単に気分を切り替えることはできなかった。
自分が助けられたのは、ついでだったのか。その事実に、ショックだった。
私を『助けること』を目的として、助けてくれたわけじゃない。そう、自分に告げる。
重く、圧し掛かる。
事実は体を、小刻みに震わせ、心音を激しくさせる。
ついで。ついでなのか。
それもそうか。
自分は、彼を裏切ったのに。彼が自分を助けてくれるなんて、そんなこと――、
「パチンコに苛立っている、というのもありますけれど。
それとは別に、本命はこっちですけれどね――」
明日希は、一旦、言葉を区切り、そして。
「――お前がメモリを怖がらせてるから、なんだかむかつくんだよッ!」
――ありえない。
そう心の中で言い切ろうとしたところで。割り込むようにして言われた明日希の言葉に反応して……、メモリは、伏せていた顔を上げる。
見えるのは、明日希の背中。
表情は、まったく分からない。
しかし、その背中を見て。背中だけを見て。
メモリは、今の言葉は嘘ではない、本物の言葉であったことが分かった。
明日希は、自分のために、怒ってくれている。
その事実に、心臓が躍る。
嬉しかった。
ただただ、嬉しかった――。
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