第20話 不安の先の独断専行

 じゃらじゃら、と音を立てながら。

 鉄の玉が出てくる機械に囲まれているメモリは、どうしたらいいのか分からなかった。

 おどおどしているだけで、不安だけが溜まっていく。


 しかし明日希の、


「ほら、少し分けてやるから、そこで突っ立ってないで隣でやれよ」


 との言葉に、素直に従う……メモリは明日希の隣に腰かける。


「えーと、これってどういうこと?」


「うん? パチンコだよ、パチンコ。記憶がないとか関係なく、メモリの年齢は――まあ知らないだろうけど……知らなさそうだよなあ。だから今回は、ここに入ってもらったんだけどさ。……なんだ? もしかして、不満だった?」


 メモリは、

「いや、そういうわけじゃないけど」と、言う。

 不満ではないのは確かだ。


 しかし、どうしていいか分からない今は、不満ではなく、不安が付きまとう。

 未知の体験に、心が落ち着いていない感じだ。


 なので、もじもじと両足を擦り合わせる作業に没頭する。


 すると、明日希がいきなり、メモリの方へ体を乗り出してきた。

 驚きが強く、メモリは思わず、後ろに避けてしまう。


 そんな反応にも、明日希は気にする様子はない。

 さっき買って、手に入れていた鉄の玉をメモリに渡す。


 玉の入った箱を渡されたメモリだが、しかし、渡されたところで、どうすればいいのか分からない……、結局、メモリはさっきと同じことを続けることにした。


「いや、気持ちは分かるけど……。とりあえず、やってみればいいんじゃないのか? 

 やったことがあることをすれば、失くした記憶を思い出すかもしれない、ってのは、記憶を取り戻す方法には必ずと言っていいほど出てくるからさ。

 でも、俺はその逆を突いてみたんだけど――、したことがない、新鮮な気持ちでいれば、記憶が戻るかもしれないと思ったんだけど――どうだ? 記憶、戻ったか?」


 そんなに早く戻るわけがないし、パチンコなんかで思い出せるわけがない。

 そう、明日希に言おうとしたメモリだったが、でも、明日希の本気の目に――自分を、本気で心配してくれていることに――。

 一番に考えてくれて、真剣に取り組んでくれているその表情を見たら、そんなことはとてもじゃないが言えなかった。


 だから、


「……まあまあ、かな」

 と言っておいた。


 決して、嘘ではない。


 これは、気分的なことが関係あるのかもしれないが――なんだか、記憶の中が蠢いているように感じる……、気がする。この場にいることで、記憶が呼び起こされているのかもしれない。


 しかし、パチンコ屋で記憶が蠢くのも、どうかと思う。


 パチンコなど、やったことがないと思うけど――、もしもやっていたとして、記憶を失う前は一体、どんな女の子だったのか……。メモリは自分で自分を信じられなくなりそうだった。


 勝手なイメージではあるが、メモリにとって、パチンコとは駄目な人間が辿り着く、末路のような気がしてならない。そこに明日希がいるのは、違和感なく受け入れることができるのだけれど……、だが、自分がここにいるのは、なんだか場違いな気がして、なんとも居づらい。


 それは、自分は駄目人間ではない、と言っているのと同じことだが。


 しかし、それだけではない。

 ここは男の居場所な気がして。

 女である自分は居てはいけないのではないか、と思ってしまうのだ。


 実際、この場には男しかいない。

 それに、明日希くらいの年齢の青年もいなかった。


 どこを見ても大人。

 しかも、あまり関わりたくない大人も椅子に腰かけている……、

 じっと見ているわけではないけれど、周りの大人達は、揃いも揃ってこちらを見ている。


 メモリはその視線にゾッとする。


 すぐに出て行くべきだ。

 メモリの中の本能が、そう叫んでいる。


 さっきからずっとがまんをしていたのだが、さすがに、限界を越えている。


「――ねえ……そろそろ出よう。なんだか不穏な空気が流れてるし、突き刺さるような視線があるし――、早く、さっさとここから出ようって!」


 メモリは静かに叫ぶ。

 だが、明日希は落ち着いた様子で、返事をした。


「待て待て。今、すっごく勝ってるから、あと二時間ほど待って」


「やっぱり予想通りに駄目人間だっ!」


 メモリの言葉に、「む」と声を漏らした明日希だったが、しかし、今はそれどころではなかったらしい。目の前の機体に釘付けになったまま、意識は完全に、そっちに飲み込まれている。

 メモリのことなど、忘れているかのように無視していた。


「…………」


 明日希に助けられた、と言っても、だが、共に危険を味わうことはさすがにできないと思ったメモリは、決断する。しなければならない。

 ここは、一人で逃げよう、と決めて。


 椅子から降りる。

 今まで一人だったのだから、それが元に戻るだけだ。

 そう軽く考えて、そして、出口に向かって真っすぐ進んでいく。


 途中、曲がり角。

 どん、と壁に激突したかのような硬さを感じ、遅れて、誰かとぶつかったことに気づく。


 きゃっ、と声を上げて尻餅をつくメモリ。

 尻餅をついているからこそなのかもしれないが――、

 相手を見上げてみれば、まるで巨人なのかと思ってしまうほどに、迫力があった。


 すぐに謝ろうとしても、しかし、声が上手く出なかった。

 恐怖なのか、驚きなのか。

 それとも、ただ単に人との接点がなかったからなのか。


 まるで、喉になにかが詰まっているように、

 栓でもしてあるかのように、声が遮断される。


 ぱくぱく、と口を開閉させて、相手を見上げるメモリ。


 それを見下ろす、男。

 見た目で分かるのが、この男、ヤクザというやつだった。


 高級そうなスーツに、煙草の匂いを満遍なく付着させている。

 イヤリングに、ネックレス。手には指輪。

 眩しいほどに、キラキラと輝いていた。


 そんなヤクザは、銀色の玉が溢れんばかりに入っている箱を、五つ、手に持っていた。

 ただ、その内の三つは、メモリとの衝突の時に落ちてしまったらしい。

 地面を転がる銀の玉が、ころころと店中に広がっていく。


 中身のほぼ全部がこぼれてしまっている。

 ヤクザは、怒りの表情を隠そうともしないで、メモリのことを睨みつけていた。


 思わず、うわあ……、と声を漏らしてしまった。


 厄介事に巻き込まれないように、と明日希を置いて一人で行動したというのに。

 だが結局、今、こうして厄介事に巻き込まれている。


 というよりは、自分で巻き起こしてしまったのだけれど――こうなるなら、明日希と一緒にいれば良かった、と、言っても仕方のないたらればを言ってしまっていた。


 とりあえず、


「え、と、あの……本当に、ごめんな、さい、で……す」


 そう謝るけれど。


 どんどんと萎んでいく声に苛立ったのか、ヤクザは大声を張り上げて、


「――ふざけんじゃねえぞ! 子供がこんなところをちょこまかと歩いてんじゃねえ! どうしてくれんだこの玉、せっかく勝ってたのに、ほとんどがパーじゃねえかよ!!

 この意味が分かるか、ガキ。てめえのせいで破産だっつうわけだよ! 謝って済むとか、そんな甘えたことを言うわけじゃねえよなあ!?」


 大人げない言葉が、メモリの心を揺さぶり、殴りつける。


「う、うあ……あ、ああ――」


 ヤクザの、殺意が込められた叫びに、メモリは怯えたまま、なにもできなかった。

 ただ、棒立ちのままである。

 もしも、アクションを起こしていたとしても――、この事態が解決に向かいそうにないということは、メモリはよく分かっていた。


 つまりは、八方塞がり。

 メモリではどうにもできない。

 言い換えれば、メモリだけの力では、どうにもできないだろう。


 だから、ちらりと。メモリは明日希の方へ視線を向ける。

 いや、ギリギリのところで、視線を戻すことには成功した。


 メモリは、明日希を一度、裏切ったのだ。

 勝手にこの場から逃げようとしたのだ。

 それは、明日希を信用しなかったということだ。

 それなのに、今更、明日希に助けを求めるなんて……。

 そんなの、自分勝手で、わがままではないか。


「……明日希に、迷惑をかけられないよ」


 トラックから助けてもらい、それに、街まで連れてきてもらって。

 そして、一緒に記憶まで探してくれると、明日希は言った。

 そんな彼を裏切ってしまった自分を、今更だけれど、嫌に思う。


 最低だ、と思う。


 人の親切を踏みにじり、好意を拒絶し、信頼を裏切った。


 今、こうしてヤクザに絡まれているこの状況は、最低な自分にはお似合いだ、と思う。


 助けなんてこないのは、当たり前なのだ。

 そう自分に言い聞かせるメモリは、でも、少しだけ、

 些細な期待だけれど、しかし、思ってしまう。


 明日希は、助けにきてくれないのかな、と。


 こなかったところで、大したことはない。

 当然の結果であり、ここで見捨てられたところで、切り離されたところで――、


 メモリは全然気しないし、気にしてはいけないことなのだ。

 そんなことは、分かっている。百も承知で、心の中に刻み込んでいるはずなのに。


 だが、メモリは抱いてしまっている。


 期待、してしまっている。


「……なにをぶつぶつと。――言ってやがんだよ、このガキッ!」


 メモリの心の声が、無意識に出てしまっていたらしい。

 内容までは、さすがに聞き取られることはなかったけれど。


 だが、ヤクザの苛立ちを加速させるには充分であった。


 額に、血管が浮かび上がる。

 ヤクザはメモリに向かって、ぐいっと手を伸ばす。


 その手は、メモリの胸倉を目指す。


 このまま、胸倉を掴まれれば、メモリの体は持ち上げられるだろう。

 足は浮き、身動きが取れなくなる。

 されるがままに、反撃などできない状態になってしまう。


 それは、分かっているのだけれど。

 それでも、しかし、メモリは抵抗せずに、避けることもしなかった。


 いや――できなかった、と言うべきか。


 回避するアクションを起こす前に、メモリは、自分の肩になにかが触れたことを感じ取る。

 一瞬ではあったが、意識は全て、そこに集中される。

 だからこそ、ヤクザから迫る手を避けることも、弾くこともできなかったというわけだ。


 そして。


 メモリを後ろに下げながら、『彼は』メモリよりも前に出る。



 明日希は、メモリよりも、前に出る。

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