第18話 混乱、加速

 街で起こっている事件は二つ。


 一つは、警官二人を殺すほどの力を持つ、侵入者の一件。


 一つは、紫が言う、

 いつもの『あの馬鹿』がやんちゃをしているために起こっている騒ぎの一件。


 その二つの事件の存在は知っているのだが、まさか、二つの事件の裏に隠れて、菊乃と錬磨の喧嘩という、第三の事件が発生しているとは思ってもみなかった。


 放っておけば、街が破壊されるかもしれない。

 既に起こっている事件の二つよりも、気にかけておかなければならない事件である。


 だが、まだ信じられない。

 もしも、していたのだとして――となれば、菊乃からのアクションがないことには納得できる。あの菊乃でも、自分と同じ力を持つ、しかも男である錬磨には敵わないだろう。

 それは、錬磨の兄である鍛波が一番、よく知っている。


「――ん? どうしたんだ? 外をそんなにじっくりと見て。なにか事件に関する重要なことでも見つけたのかよ? もしも見つけたら、手柄は全部うちのもんな。

 お前が見つけたんだったら、手柄は全部うちにくるだろうし」


 はっはっは、と笑う紫。

 上司として最低なことを言っている自覚はあるのか。


 ともかく。


 紫のことは放っておき、鍛波は窓の外を、じっと見つめる。


 なにかを見つけたわけではない。

 なにかに、反応したわけではない。


 反応したわけではないとは言っても、目で見えるものには、反応していないということだ。

 そうではなく、鍛波が反応したのは、感覚と言えるものだ。


 なにかがきそうな気配がしたから、念のために見てみた、と言った具合である。


 そして、鍛波のその反応は間違っていなかった。


 なんだよ、無視すんなよなー、と子供のように拗ねる紫には目も向けずに、見る。


 視界の先にある、五階建ての建物。


 些細な、たとえ対象の近くにいたところで気づくことはない程度の、微妙な建物の揺れ。

 もちろん、鍛波は気づいていないけれど、しかし、異変だけは感じ取っていた。


 ずずず、と揺れている。

 と言うよりは、ずれている。


 だんだんと、鍛波にも視認できるようになってくる。


 そして――傾き、歪み、建物が崩れ落ちていく。


 積み木を崩したような崩壊の、光景。


 さすがにこれには、衝撃には、轟音には、

 子供のように拗ねていた紫も意識を外に向ける。


 すぐに仕事モードに入った紫は、着崩している制服をきちんとした見た目に整え、


「なんだか、笑いごとでは済まなくなってきたなあ」


 ――と。


 そもそも、同僚二人が殺されている事件が起こっているので、笑いごとではないのだが。


 だが、紫にとっては同僚が二人も殺されたことなど、いちいち気にするまでもない、笑いごとなのかもしれない。それはそれで、警官としてどうなのかと鍛波は思うが。


 しかし、自分の胸に手を置いて聞いてみれば、信じたくはなかったけれど、鍛波も、同僚二人が死んだことに心を痛めているのかと言えば、そんなことはなかった。


 それよりも、自分よりも下の子供達のことで頭が一杯だった。


 鍛波は、菊乃達の兄貴的な存在であり、同時に保護者的な存在でもある。


 なので、頭が一杯一杯になるまで心配をするのは当然のことであった。


 完全な私情である。


 仕事に私情を挟んでしまうのは『やってはいけないこと』の上位にランクインするほどのことだが、しかし、上司が上司なので、それについては考える必要はなさそうである。


 私情と言えば紫。


 紫と言えば私情。


 そんな関係性が出来上がっている。

 そのため、紫の部下である鍛波が私情を挟んだところで、お咎めなし。


 暗黙の了解のようなものである。


 だからと言って、そう頻繁に挟むことはしたくない。

 したとしても、二、三回くらいで終わらせたいところである。


 全てが私情なのは、まあ紫だけなのだが。


 すると、


「お、おい――あれ」

 と、珍しく、声を荒げたのは紫だった。


 いつもは冷静沈着。普通のことでも、普通を越えたことが起こったとしても、滅多に驚くことがない紫が今――なぜか、驚いていた。


 なので、鍛波はその様子に、釘付けになってしまっていた。


 一瞬とも言える硬直の後、鍛波は紫から視線をはずす。


 紫でも驚くことはあるのか、と、失礼だが、再認識した。


 ――それから、紫が指差す場所へ視線を向ける。


 その先では、

 建物が崩れたことで巻き起こっている灰色の粉塵が、光景を遮っていた。


 影だけが見えるが、すぐに、その影が誰なのか、予測がついた。


 予測というよりは、もう答えに近い。

 答えそのものを、鍛波はもう分かっている。


 ……菊乃と錬磨。


 二人は、崩れた建物の瓦礫の上に立ちながら、互いに見つめ合っていた。


 睨み合っていた、と言うべきだとは思うが。


 さっき、予想していた自分の考えが今――的中している。

 鍛波は思わず、ぞっとする。


 本当に、喧嘩をしている。

 誰にも止められない――止まらない。


 しかし、まだ、手があると言えば、ある。


「……キクが、好きで好きで仕方なくて。

 それに、錬磨にとっては頼れる兄貴的な存在で。

 この場面では間違いなく、明日希の出番なんだけど――、

 ――言ってしまえば、明日希しかあの二人を止めることはできないんだけれど――」 


 と。


 鍛波は、ちらりと紫の方を向く。


 目で、表情で訴えてみたものの、

 だが、返ってきた答えは、『期待はするな』というものだった。


「『あの馬鹿』しか頼れないことは、うちだって分かってる。

 けど、今、あいつも騒ぎの中にいるんだよな。しかも、あいつが元凶で。

 それに、あいつのことだ。

 自分で起こした厄介な事態よりも、もっと厄介な事態に巻き込まれているかもしれない。

 菊乃と錬磨の喧嘩なんていう、ドデカいイベントよりも、さらにドデカいイベント、のな」


 紫がそう言うのならば、そうなのだろう。


 同じアパートに住んでいて、長い付き合いであり、

 まるで姉弟きょうだいのような関係である紫がそう言うのならば、やはり、そうなのだろう。


 解決を優先するのならば、明日希の力は借りたいところである。

 だが、たとえ実力があったとしても、子供を事件に絡ませるのは、絶対にしたくなかった。


 鍛波はそう考える。

 だから、動く。


 自分の足で動き、自分の体で対応し、自分の頭で考える。


 それが警官の仕事だ。

 パトロールをして、いざ事件に遭遇すれば人任せだ、なんて。

 そんなことは言わせない。


 自分だってきちんと動くんだ、というところを。

 誰かに、ではなく――、見せるために、鍛波は駆け出す。


「おい待てっ! ――っ、鍛波!」


 紫が、制止の叫びをぶつける。

 しかし、鍛波は止まることなく、進んでいく――。



 警察署内から出て――外。

 いつもとは違う理由で、騒がしい街。


 混乱や不安を抱きながらも、決意を覚悟に変えて、街を突き進む。


 菊乃と錬磨。


 二人が今いる場所へ向かう。


 そして、


 ――その、途中で。



 

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