鋪の嵐

第17話 警察署内の二人

「……駄目ですね。全然、繋がらないです。

 ――まったく、キクの奴はどこでなにをしているのやら」


「お前の教育に嫌気でも差したんじゃないの? あの年頃の子は、少しでも嫌なことがあったらすぐにでも逃げ出すからねえ。

 まあ、菊乃はそんなことないだろうが……、

 でも、あの馬鹿ほどの根性があるわけでもないしなあ」


 警察署内。


 軽いパニックが起こっている、今。


 のん気に会話をしている警官二人は、

 書類を片手に持ちながら、なんとも落ち着いた様子であった。


 事件が起こっていることなど感じさせない、平和的な雰囲気である。


 事件は、まあ――現在進行形で起こっているわけだが。


 必要以上に慌てても、仕方がない。

 だからこそ、このお気楽ムードなのかもしれない。


「キクなら心配いらないと思いますけれど――でも心配なんですよ。

 あの子がいくら強いと言っても、いくら『ヒーロー』だと言っても、心配は心配なんですよ。

 一応、あの子は女の子ですからね」


「女ってのは男よりも強いもんなんだよ。にしてもお前は今、『ヒーロー』だけど心配って言ったけどさ。自分の弟の事は心配なんじゃねえのか?」


「錬磨のことですか……。あいつのことは、さすがにどうでもいいとか思っているわけではないですけれど、あいつは大丈夫だって、確信を持って言えますよ。

 心配するだけ無駄ってものです。昔からそうでしたから。

 どこに行こうが、なにをしようが。

 帰ってこない日が続いたことはあっても、大きな怪我をしたことはないですから。

 しぶとく、生き残っていますし。

 精神的にも、肉体的にも、僕よりも全然強いですからね」


「まあ、それもそうか。

 ……お前よりも弟の方を部下に欲しかったもんだなあ」


「僕は構わないですけれど。あいつに今の僕の立場を譲っても構いませんけれど。

 たぶん、先輩でもあいつを従わせるのは無理だと思いますよ? 

 手がつけられない問題児ですからね、あいつは」


 錬磨のことを、嬉しそうに話す兄――、一角いちづの鍛波たんば


 彼は携帯電話を再び操作する。

 もう一度、菊乃に連絡を取ろうしたのだ。


 しかし、予想通りに、菊乃が電話に出ることはなかった。


 困った……、と、呟く。どうしよう。


 今、街には警官二人を殺すほどの凶悪犯が侵入しているらしい。

 だから、すぐに逃げてくれ、と報告しておきたかったのだけれど。


 電話が繋がらないのならば仕方ない。

 自分で適応してもらうしかないだろう。


 それに別件として、街ではいつも通りに問題児が暴れているらしいことも教えておきたかったのだが――同時に、それも叶わなくなった。


 菊乃にはいつも通りに、そちらの事件を任せようと思ったのだが、どうやらそう都合良くはいかないようだ。


 どちらの事件にも(片方は、事件と言うほど事件ではないが)、意識を向けなければいけないようだ。その状況に苛立ち、自分の携帯電話を握り潰すかのようにして力を込めているのは、鍛波の上司である、柴村しばむらむらさきであった。


 彼女は前髪を手でかき上げながら、怒りマークを額に浮かべて、鍛波を睨みつける。


 理不尽だということは、紫も鍛波も分かってはいるが、紫は引くことができずに、鍛波は相手が上司なのでなにも言えずに、ずっと、膠着状態のままであった。


 そのまま数分が経ち、結局なにも変わらず、事件は悪化したままだった。


 無駄な時間を過ごしてしまった。そこで紫が溜息を吐く。そして、叫ぶ。


「――あああああああああああああもうっ! 

 キクは電話に出ないし、事件解決は進展なしだし、侵入者もどういう容姿なのかも分からないしっ! あの馬鹿は街で騒いでやがるし! 部下は頼りないし、うちの給料は少ないし――どうなってんだよこりゃあ!?」


 最後の方は、言わなくてもいいことだとは思うけれど……心の底からの不満だったのだろう。

 制止も聞かずに、漏れてしまっていたらしい。


「……はあ」と曖昧に頷くことしかできなかったのは、鍛波も、悪いと言える。

 その態度にイラっとして、紫の怒り数値が、さらに上がっていく。


 事件とか、紫が言うあの馬鹿とか。

 苛立たせる要素はそれくらいのものだと思っていたが。

 どうやら、鍛波も貢献しているのではないのか、というのは紫の勘違いではなかったらしい。


「『はあ』、とか、『へえ』、とか。

 お前はいつもいつも頷いているだけだけどよお、自分の意見ってものはないのかよ。

 言っていいんだぞ? どんどんと、うちに構わず、

 先輩後輩関係なく、意見くらいは言ってもいいんだぞ?」


「本当に言っていいのですかね? だって、先輩は僕が意見を言うと聞いてくれないし、最終的には生意気だって言って、怒るじゃないですか。

 だから、僕も色々と学習して、先輩の怒りには触れないようにしていたのですけれど――、

 本当に言っていいんですか?」


「別に構わないよ。いつもいつもあの馬鹿に文句を言われてるからな。

 相当、ヤバいことを言わなければ怒ることはないし、蔑ろにもしないよ」


 紫にとっての相当のヤバいこと。それは、鍛波にはまったく分からなかった。


 しかし、女性相手に言ってはいけないことは、当てはまるのだろう。

 そう考え、鍛波は意見を絞っていく。


「それじゃあ――。

 文句と言うより、意見と言うよりは忠告のような、注意のようなものなんですけれど……、

 先輩。足を広げて、股を広げてカップラーメンを食べるのはどうかと思いますよ?」


「日常的なことを言ってきやがった! 

 ここは事件についてとか、仕事への取り組み方とか、不満だとか、文句とか! 

 そういう愚痴を言い合うところだったじゃん! 

 なんでいきなりさっきの状況への不満がぶつけられてるんだよ! 

 しかも、いいだろうが別に! 股を広げようがなんだろうが! 

 うちにとってはあれが一番、気が楽になる体勢なんだっ!」


「別にいいですけれど。署内でやるのはいいですけれど――、

 いい大人なんですから、外でやらないでくださいね」


「やらねーよ。お前はうちのことをなんだと思っていやがんだ」


 まったくもう、と強気な紫である。さっきの言い方だと、外でやるわけがないと言い張っているのだけれど……、しかし、鍛波は外でたまたま、紫が股を広げてコンビニ弁当を食べているところを見てしまったことがある。


 なので、今の紫の言葉を、完全に信用することはできそうにない。


「…………」


 紫のことが気になる鍛波であったが、さすがに、ここまで忠告して、それでも尚、やるわけがないだろう、と思い――これ以上、しつこく言うことはしなかった。


 そのまま、手に持っている携帯電話――、


 画面に出ている『菊乃』という文字を、ただじっと、見つめる。


 もしかしたら、電話がかかってくるかもしれない。

 希望を抱いて待つが、恐らく、その希望はもうないだろう。


 たとえ手が離せなくとも、菊乃はなにかしらの合図を出してくるはずだ。


 たとえば、電話を繋げたままなにも話さない。


 たとえば、ワンコールだけして、切る――などなど。


 出られないなら出られないなりのアクションを起こしてくるはずなのだが。しかし今回は、それがない。ないということは、あの菊乃でも、無事ではない、ということになるのだが。


 鍛波は、そっちの方が信じられなかった。


 あの子が無事ではない、なんてことは、あり得ない。


 信頼とか、信用とかではなく。

 肉体的に、実力的に、そんな状態にまで落とされることはないはずなのだ。


 あるとすれば、菊乃と同じ実力を持っている人物と戦った時くらいなものだけれど――、

 しかし、そんな人物などいないだろう。


 鍛波の知っている限り――、敵にそんな人物はいない。


 だが、


「…………いや、あの二人は確かに、犬猿の仲だけどさ。

 でも、それも遊びの延長で、友達だからこその真剣ではない喧嘩だと思っていたけれど……、

 もしかして、錬磨……、お前は今、キクと戦っているのか……?」



 鍛波にしては珍しく、

 いつもならば外してしまう予測を、今回は完璧に当てていた。

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