第13話 メモリについて

 ――メモリについて、話をしてみよう。


 メモリは、最初からメモリだったわけではない。

 元々は一人の人間。十代の女の子だったのだ。


 どういう理由で、どういう目的で今のメモリになったのかは――ここでは語ることはできそうにはないが……しかし、そこにはきちんとした理由がある――それは確実である。


 それは、生きることに直結しているからだ。


 直結というか、それそのものではあるけれど。


 なんだかんだで、理由があり、

 メモリはその理由のおかげで、今のメモリになっていったのだ。


 作り上げられ、決められた時間を真っ直ぐに進んでいたメモリだったが、

 しかしある日のこと、メモリは、その道が半ばで途切れていることに気づく。


 途切れていて、

 逸れて、避けようとしてみたけれど、結局はコースアウトした……。

 今までと違う道なのは、確実であった。


 異変が体の中で蠢いていた。

 しかし、メモリはそれに気づくことはなかった。


 ただの不調かな……? その程度の認識でしかなかった。

 だから自分に迫っているものが、

 まさか全てを狂わせるものだとは、微塵も思っていなかった。


 そして――狂い始める。


 最初は、微かな頭痛。

 気にするほどのことでもないと、自己判断した――してしまった。

 すぐにその判断は間違いだった、と気づく。


 脳の中で暴れる記憶。

 メモリは、元々の女の子から『メモリ』になる時に、記憶を消去されていたのだ――もちろん、メモリはそんなこと、知るはずもない。


 脳を掻き回す記憶は、メモリに不快感を覚えさせる。

 冷静に、精神を落ち着かせようと努力したけれど……、だが、その努力は全て無駄になってしまう。僅かな暴走ではあったものの、メモリは短時間だけ、自我を失っていた。


 その間の記憶も、メモリの中では全て、綺麗になくなる。


 メモリの中にある記憶は、最低限の自分の情報。

 それと、ひとまずは、この研究所から逃げなければならない、という知識であった。


 自分を囲う筒状のガラスは割れていて、地面に散乱している。

 びちゃびちゃ、と水溜りを踏み、音を鳴らす。

 暴走した結果、出来上がったのがこの惨状だった。


 そして、メモリは駆け出し、研究所から抜け出した。


 研究員は、誰もいなかった。

 それに少しの違和感を覚えたが、しかし、逃げている今、都合が良いのは確かである。


 走り続けて――、本当に、誰にも会わずに研究所から抜け出せた――。


 だが、自分の容姿は、目立ってしまって仕方ない。そう思い、近くにテキトーに置かれてあった布で体を包み、目立たないようにすることはできた……いや、その姿こそ不審者に見えてしまうのではないかと思ったけれど、それでもまあ、さっきよりはマシである。


 その姿のまま、街を歩く。


 ここがどこなのか、分からない。

 なぜ自分は逃げようとしているのかも、分からない。


 なにも分からなかったけれど、なんだか……ここを離れなければいけない、ということは、なんとなくで分かった。それだけ分かれば充分である。動くための、理由にはなる。


 どこか遠くへ――。


 なら、足で動くよりも、乗り物を使った方が効率が良いだろう。

 そう思った時である。


 そこで起こる、メモリの不運。


 それは、研究所の者が一人、メモリを追っている、ということだった。


 真っ直ぐに、迷いなくメモリに向かって来る。

 全身を黒いマントで隠した、青年に見える体格の人物。


 彼は、メモリのことを『メモリ』と確信すると、

 躊躇いなく、持っていた拳銃の引き金を引く――。


 弾丸は運良く逸れたものの――、だが、メモリに当てる気はあったようだ。


 いや、当てる気しかなかったようである。

 青年はすぐに、二発目を発射させる。


 命の危険を感じたメモリは、青年から距離を取る……、だが、青年の方は逃げる相手を効率良く追う技術でも持っているのか、まったく、距離を取ることができなかった。


 ずっと、ずっと、追ってくる。逆に、距離を詰められている。


 どんな道を通っても。

 人が通れないような道を通っても。ぴったりと、追ってくる。


 そして、一時間ほどの鬼ごっこが続いた頃である――、そろそろ、逃げている側としては、精神的にきついものがある。だが、逃げることしか、メモリにはできなかった。

 なので、きついと感じることはあっても、逃げるのをやめようとは思わなかった。

 思えなかった。


 でも――、気持ち的に負けていなくとも、コースの取り方では負けているわけである。


 この街のことをよく知らないメモリ。

 もしかしたら、記憶があれば知っていたかもしれない……。

 だが、今は知らないので、どうでもいいたらればだ。


 そして、メモリはあっさりと、行き止まりの道を選んでしまった。


 今までが、運が良かっただけだろう。

 二回目、三回目の曲がり角で、今と同じ状況になっていたのかもしれないのだ。

 よくもまあ、ここまで来れたものだと思う。


 けれど――まだ、諦めない。


 どこにも逃げられず、逃げようがない八方塞がりの状況で――、だが一つだけ、手はあった。

 運が良ければこのまま逃げ切れるような、そんな都合の良い策が。


 ――メモリの脳内を駆け抜ける。


「…………神様、どうか私を連れて行ってください――」


 メモリは呟き、


 そして、微かな希望に、自分の中にある全てを詰めて――身を任せた。


 ―― ――


 メモリを追って道を曲がった青年は、唐突に現れたトラックに驚き、目を見開く。


 一歩間違えれば、轢かれてしまっていた……。

 だが、咄嗟に避けることで、なんとか最悪の結末を回避することができた。


「…………」

 しかし、別の問題が浮上する。


 行き止まりのはずのこの道――、そして、その先。

 メモリの姿がどこにもないことに、青年は疑問を感じる。


 確かに、この道に入ったはずだが……。

 隠れている可能性もある……だが、人間一人が隠れられそうな場所は、どこにもない。


 信じられないが、いきなり消えた――と結論を出すしかない。


 もちろん、そんなことはないと言い切れるが――。


 どうしようかと迷った末に、彼は、すぐに行動することに決めた。

 止まっていても進展はしないのだ。



 青年――、域波いきなみあずまは、ポケットから携帯電話を取り出す。


 そして、親指で一つのボタンを押してから、耳に当てる。


 ワンボタンで繋がるところを見ると、よくかける相手なのかもしれない。


 仕事相手か、上司か。

 どちらにしても、東が腰を低くして出るのは必然だった。


 ワンコールが終わる前に、相手が電話に出る。

 もしもし、も言わずに、すぐに話を本題へ。


 内容はメモリのことだ。

 東は『見失った』と報告したのだが、けれど相手はすぐに、


『場所は分かる、すぐに追いかけてくれ』

 

 と指示を出す。


 東としては、面倒だった。

 だがこれも仕事なので、すぐに「了解」と返事をした。


「――じゃあ場所を教えてください。どうせ隠れているのでしょう? 

 さっさと終わらせましょうよ。

 こっちも色々と、仕事の後なので疲れているんですから」


『隠れている、なんて誰が言ったんだ? 移動しているよ。

 さっきも今も、変わらず同じ速度で、この街からどんどんと離れて行っている――』


 む、と眉をひそめながら。


「どういうことですか?」

 と電話の相手――、上司に問いかけようとした東。

 けれど開いた口は、すぐに閉じることになった……気になることがあったのだ。


 ――さっきの、自分を轢き殺そうとしていたトラック(わざとではないのだろうが)。

 時間差はあったものの、まるでメモリと入れ替わるようにして、姿を現していた。

 そして、突然、消えたメモリの姿。


 ここから導き出される真実は、

 メモリはもしかしたら、そのトラックの中にいるのではないか?


 それはそのまま、推測を越えて、答えである。


 すると、


『正解だよ、東君。その通り――、百点満点の完璧な答えだ。

 じゃあ、なにをするか、分かっているじゃないか。メモリを追って、君も利用できるものを全て利用して、メモリを追うんだ。――どこまで行こうが構わない。制限なんてなしだ。メモリを生きて連れ帰る、という依頼さえ守ってくれるのなら、大体のことには目を瞑ろう――』


 と、指示が出る。

 いつもなら、細かい指示や、制限がかかるものだが……、

 今回に限っては、そういう面倒はないようだ。


 メモリを『生きて』『連れ帰る』ことができれば。


 なにをしようと構わない――とのことらしい。


 制限がないのはやりやすいが、

 ただ、やり過ぎないように気をつけなければ、と身を引き締める。


 その依頼を、あらためて了承する。

 ここで中止することはできないのだが、まあ、一応だ。


 相手に確認を取る、というよりは、

 自分に確認を取った感じだった――そして、電話を切る。


 女の子を本気で捕まえる。

 自然と、手を緩めてしまう依頼ではある……、いつも以上の行動が無意識にできなくなる類のものなので、確認することで、自分に喝を入れたようなものだ。


 そして、どうやら喝を入れたことで、東の中で覚悟が決まったらしい。


「――よし」

 ぱんっ、と頬を叩き、気合を入れ、

 道の端に止まっている、メモリが乗っているのと同じ外見をしているトラックを見つける。


 運転席に入り、持っていた拳銃を、運転手に突きつける。

 眉間を簡単に吹き飛ばせるほどの距離で、東は、心を殺して。


 依頼を、完璧に達成させるために。



「言う通りに運転しろ。しなければ殺す。

 簡単なことだ――命と仕事、どちらを取るかってことなんだからさ」

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