第9話 抱える問題

「……っ、――目の前で、そうやっておにぎりをぷらぷらとぶら下げているのに、魚を釣るかのように釣り糸を垂らしているのに――そうやって『食うか?』って聞くのは卑怯。

 そんなことを言われたらいらないって言いたくなる」


「じゃあ、いらないんだな」


「いるけれど食べるけれど!」



 じゃあ最初からそう言えばいいじゃないか。そう反射的に言いそうになった。


 しかし、自分目線で考えてみれば、

 眠りから覚めたばかりで、出会った謎の人物に食べ物を「食べるか?」と聞かれて、素直に食べるかどうかと思えば――食べないだろう。


 そう考えると、素直におにぎりを受け取ってもぐもぐと食べているこの少女は、すごいのだろうな、と思う。明日希は少しだけ、尊敬した。


「――む。なにを、じっと見て。

 人がおにぎりを食べているところがそんなにもおもしろいと言うの?」


「なにが面白いんだよそれ。別に、他に見ている場所がないから、ただ単に視界に入っているだけだよ。お前なんてのはな。

 ――そうだな……。じゃあ、ちょうど良いし、聞きたいことがあるんだよ」


 ん? とおにぎりを口に含んだまま、少女が首を傾げる。

「なに?」という言葉を発することなく、同じ意味を示す。

 明日希としては食事後でも良かったけれど――、

 少女の方が質問を待っているような様子だったので、まあいいか、と質問する。


 それに、未だに現れない錬磨のことを考えれば、今の内にやっておきたいことである。


「お前はなんなんだ?」


 なんとも、雑な質問である。


 それでも少女は、すぐに答えた。


「何者なのか、ということ? それとも私の名前? 

 それとも、その二つを含めての、私という人間の全てのこと?」


「……まあ、全てのことが知りたいと言えば知りたいけれど。

 お前も全てをさらけ出すのは嫌だろ。だから、言わなくてもいいけど――、

 でも最低限として、名前くらいは教えてほしいものだけどな」


「メモリ」

 と、少女は一言で自己紹介を終わらせた。


 学校の転校生の自己紹介でも、これ以上のことを言うだろうが。

 しかし少女は、これ以上の情報を出すことはなかった。


 それもそうか――とは思うが。


 ともかく、あちらが名乗ったのだから、こちらも名乗るべきだろう。

 なので明日希も自己紹介をした。

 が、こちらも名前だけを教えるという、少女と変わらない自己紹介になってしまった。


 だが、少女――メモリに不満の顔はなく。


「…………明日希、明日希」と、呟いているだけであった。


 もしも、名前だけの自己紹介に文句を言われたところで、メモリにだけは言い返すことができるけれど――、


 それにしても。


 メモリ、という名前。


 なんとも珍しい名前をしているな、と思う。

 名字の方を知りたかったが、しつこく聞いたら機嫌を悪くしてしまうのではないか、と明日希は気にしてしまう。今更、なにを言っているのか、という感じだが……、

 しかし、気にしてしまう。


 メモリにはなにか、惹かれるものがある。

 それがなにかは、分からないけれど。


「それで、メモリ。お前、なんであのトラックの中にいたんだ? 偶然ならそれでもいいけどよ。あんな的確に襲われるトラックに乗るなんて、なにか理由でもあったのか?」


「襲われた? あのトラックって、襲われていたの?」


 きょとん、とするメモリ。明日希は、呆れた視線を向ける。


 あんなに分かりやすく襲われていた、というのに。

 メモリは、その事実に気づいていなかった。


 衝撃とか、轟音とか。気づくための要素は、あったはずなのに。

 本当に眠っていただけ。

 気絶ではなく、睡眠のせいで、襲われているということに気づけなかったらしい。


 体が頑丈というか、神経が図太いというか。


 鈍感――なのかもしれない。


「……襲われてたよ。その襲われたトラックを調べていたら、中にお前がいたんだ。

 じゃあ、襲われたことはもういいや。それよりも、お前はなんでこのトラックに乗っていたんだ? この街に侵入するためか? トラックに乗るなんて発想は、どこかの街に侵入したいって考えからくるものだし。お前に、この街に侵入する意思があったのかもしれないし。

 だとして、お前の目的は一体、なんなんだ?」


「そんなに一気に質問されても。まあ、とは言っても、別に目的なんてないよ。私は……」


 そこで、メモリの言葉が唐突に止まる。

 通常通りに開いていた目が、大きく開く。


 なにかを思い出した反応に、明日希も、自然と身構える。


 意味があったのか、なかったのか。

 結論を言えば、なかったのだけれど。

 しかし、していなかったところで損ではないので、無駄ではなかった。


「私は……逃げてい、た……? 研究所から、逃げて、夜の街を、駆けて――、

 トラックに乗って、そして今……、う、ううううううっっ」


「――おい、大丈夫かよ、おい!」


 メモリの突然の変化。

 よろめくメモリの体を支える。

 大量の汗をかいていることに、体に触れることで気づく。


 精神的ダメージが、肉体に影響を与えていた。


 そして――メモリの発言。

 言葉の欠片を集めて、繋げて。

 明日希はメモリが言いたかったことを、大体で理解する。


「逃げていたってことは、追われてる、ってことだよな……? 

 ならさ、メモリがここにいるってことは、メモリを追っている誰かは、もしかしたらここにくるかもしれない、ってことか……?」


『もしかしたら』という言葉を使ったけれど、しかし、正確には『間違いなく』だろう。


 まったく見当がつかない場所に行ってしまって、見失ってしまっても。

 それでも見つけ出すのが追手というものだ。


 諦めた、なんてあり得ない。

 どこまでも、しがみついてくる。厄介なのが、追手だ。


「――私は、私は、研究所から、でも……あれ?」


 メモリは無意識に、明日希の体を掴む。

 自分の体を、倒れないように、支える。


 そしてなんとも重要なことを、最大にして重大なことを、あっさりと呟いた。



「研究所にいたってことは分かる……でも、それより前の記憶が、ない……?」

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