第8話 彼らの日常
神神明日希の特徴として、まず最初に挙げられるのが、その赤い髪の毛だ。
誰の目で見ても、一番初めに目に入るだろう。
それくらいには、圧倒的な存在感だ。
もちろん地毛ではない。明日希だって、元の色は黒髪である。
だから髪が赤いのは、ただ単に染めただけなのである。
最初は遊びのつもりで、なんの覚悟もなかった。すぐに落ちると思っていたのだ。
しかし、どう試行錯誤しても、赤い髪は一向に、色が落ちることがなかった。
ずっと、ついたまま。
明日希の頭に、張り付いたまま。落ちることがなかった。
他の色で塗り潰そうとしても、変わらず。結局、赤くなる。
まさか、この赤髪と一生、付き合うことになるとは。
明日希自身、毛ほども思っていなかった。
覚悟がなかったので、無理やり覚悟を決められた――というわけである。
まあ、髪が赤かったところで、困ることは特にない。
街にいたら嫌に目立ってしまう、ということくらいか。
明日希の事情を知っている街の人々は、日常的な光景として、自然と意識を向けてしまうけれど……、だからと言って絡んでくる、ということはない。
見守っている――そんなような視線なのだ。
それがくすぐったいと言えば、くすぐったいが。しかし、嫌な気はしない。
それに、これから先、街から出ることもないだろう。
なので、髪が赤いからと言って、気にすることもない。
他の街に行った時に、変な風に目立ってしまう、ということもないのだから。
そんな明日希は、壁に背中を預けている。
隣で横になっている少女の顔を見ながら、のんびりと、
早朝の気持ちの良い空気を吸っていた。
この場所が、ゴミ置き場でなければもっと良いのだけれど。
そう何回も思ったが、今の状況は、街の人々に見せるには、あまりにも危険過ぎた。
眠っている少女を取り囲む、街でも有名な不良チームのメンバー全員。
この状況を見れば、誰でも、『セクハラ』だとか、『襲った』だとか、濡れ衣を着せてくるはずである。こっちとしては少女を助けたいだけだと言うのに。
変な誤解をされたりするのが恐いし、面倒くさい。
だからこそ、この見つかりにくい場所にいるわけだ。
そんなわけで、こうしてきたくもないゴミ置き場にいるわけだが。
明日希以外のほぼ全員のメンバーが今、ぐっすりと眠っている状態である。気持ちの良い寝顔、とはさすがに言えない。顔の一部は腫れたり、紫色に変色したりしている。
見るだけで痛そう、と思えるほどである。
中には腫れていない者もいるにはいるが。
しかし、ダメージは残っているのだろう。
ふらふらと、体のバランスが取れていない。
ばたり、と倒れる者が続出である。
そろそろ、全員が眠った頃だろうか、と思うが――、
だが一人、明日希に話しかける者がいた。――錬磨である。
「明日希さん、この子、全然起きないっすね!」
眠る少女を真上から覗き込みながら、錬磨が言う。
明日希は錬磨の頭を、横から小突く。
小突かれた錬磨は、真横からの攻撃だったからか、防御ができずに、吹き飛んだ。
突く、と言うと手のイメージがあるが、しかし明日希は手ではなく、足で突いた。
つまり蹴りである。
つま先で、突いたのである。
小突いた程度、とは言え、手よりも強い衝撃が、錬磨を襲う――、
だがそれでも、錬磨は起き上がる。
そして、平然と元の位置へ戻ってくる。
「明日希さん、この子、起きないっすねー。全然、起きないっすねー」
「…………」
同じことを繰り返す錬磨を見て、明日希は沈黙した。
さっきからずっと、こんなやり取りが続いている。
錬磨の方は学習をしないのか、毎回繰り出される明日希の蹴りを、避けようとはしなかった。
全てを、受け止めようとでもしているのか。
なぜだ、と疑問に思う明日希だ……しかしよく考えてみれば、錬磨は理由があってこんなことをしているわけではないのだろう、という結論に至る。
理由はない。ただの遊び。
暇潰し程度に、明日希と向かい合っているのだろう。
この蹴られている状況も、体を頑丈にするための修行なのかもしれない。
錬磨なりの、だ。
ならば明日希としても、今更ここでやめるという選択肢を選ぶこともできなくなった。
このまま、この少女が起きるまで、錬磨の修行に付き合ってやるのもいいか、と思い、
明日希は続けて、錬磨を蹴る。段々と、躊躇いがなくなってきた。
なんだか、どんどんと――マジ蹴りになってきた。
「痛い! 明日希さん、それはマジで痛いんで少し威力を抑えてくれると助かるん――」
「なに甘えたこと言ってんだよ! お前の修行のためにやってんだぞ?
ほら、立て立て、こっちはまだまだやり足りないんだからさ!」
「一体、いつ誰がこんな嫌がらせが修行だと言ったんですか!?」
あれ? もしかして違った? と心の中では思っていた明日希だったが、
しかし、ここまでやってやめることはできなかったのだろう。照れ隠しのように、だがそんな可愛いものではまったくなく、本気で殺しにかかるような威力で、蹴り続ける。
普通の人なら躊躇ってしまう威力の。
普通の人なら躊躇ってしまうほどの数の蹴りを繰り出す明日希。
彼に躊躇いはなく、しかし、それは明日希が異常なのではない。
異常と言うのならば、明日希ではなく、錬磨の方だろう。
あれだけ蹴られて、あれだけの威力で蹴られて。しかし錬磨は痛いと叫ぶことはあっても、決して表情を苦痛に歪めることはしなかった。ずっと笑顔なのだ……。
明日希とのじゃれ合いを、楽しんでいるのだろう。
蹴りの一つ一つを、しっかりと味わっているのだろう。
正直に言ってしまえば、気持ち悪い。
だが明日希は錬磨を信頼している。その逆も、また然りだ。
まあ、さすがにその光景には他のメンバーも引くだろうが。
しかし、気にしない。
そんなことよりも――変化が訪れた。
今、最優先に気に掛けるべき、変化である。
横になっていた少女が、小さく声を出す。
目を覚ましたという合図だろう。
だが、完全に意識が戻ったわけではないらしい。
寝転がったまま、体勢を変えている。
起きるか、起きないか。どちらに転んでもおかしくはない不安定な状態。
そこに、錬磨は明日希の蹴りを躱し――躱し。少女の元へ辿り着く。
少女は起きていない。
にもかかわらず、錬磨は大きな声であいさつをぶつける。
「――おっす! やっと起きたのかおはようッ!」
「お前は顔が近いし声がでかいんだっつうんだよッ!」
躱された蹴りを自分の位置に戻した明日希は、すぐに次の蹴りへ移行。
少女の元へ逃げた錬磨の横顔に向けて繰り出し――蹴り抜く。
いつも通りに錬磨が吹き飛ぶ。
しかし心配することはない、と明日希は分かっている。
なので、いま起きたばかりの少女に、大丈夫、と説明しなくてもいいだろう。
すぐに起き上がってくるはずだ。そして、うざいくらいに絡んでくるはずだ。
しかし、今回は錬磨にしては珍しく、立ち上がりが遅かった。
錬磨が壁に激突した時に舞った砂埃のせいで、どうなっているのかが分からない。
錬磨は、起きているのか、寝転がっているのか。――まあいいか、と明日希は思う。
今は錬磨のことは放っておいてもいいか、と。明日希は少女に意識を向ける。
少女は、明日希を警戒し、少しずつ後退していく。
よく見れば気づかないほどの、ゆっくりとした後退だった。
なんだか、場馴れしている、とでも言うのか。そんな雰囲気だ。
静かな抵抗。
少女はゆっくりと、明日希をどうにかするための、戦略を練っている。
そんなに警戒しなくとも、襲って食べよう、なんてことはしないのに。
思った明日希は、そう言えば、とポケットに手を突っ込む。
さっき、この少女は空腹で倒れたのだ。
ならば、と取り出したのは――、
昨日、夜食で食べようと思って買っておいた、おにぎりである。
「…………」
その時、ごくりと喉が鳴る。
が、明日希ではない。
おにぎりを見ていたら、お腹は空いてきたけれど、しかし明日希ではない。
喉を鳴らしたのは他でもない――少女の方である。
しっかりと、釘づけである。
明日希など見ずに、おにぎりだけを見ている――。
そこまで見られたら、あげたくなくともあげたくなってしまう。
「……食うか?」
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