第7話 自称ヒーロー

 早朝のこと。


 一軒家が立ち並ぶ住宅街。

 静けさが支配する、落ち着いた空間。


 そこを。

 少女――、阿波原あははら菊乃きくのは、散歩をしていた。


 この散歩は、強制ではない。

 自分自身で決めておこなっている、散歩である。


 よく近所のおばさんに、

「若い子なのに、朝早くから散歩なんて偉いわねー」と言われるが、菊乃にとってはなにが偉いのか、よく分からなかった。怠け癖? 最近の子は、それが多いのかもしれない。


 別に、凄いことをしているわけでもない。

 自分の中での当たり前のことをしているだけである。

 なのに褒められるというのは、なんだか、馬鹿にされている気分だった。


 そう――、まるで「二足歩行ができたねー」と言われる感じだ。

 言われて少し、むっ、となる。


 おばさんの方だって、悪意があるわけではない。

 分かっているが、少し苛立つだけだ。


 まったく、誰が『若い子』の評判を落としているんだか、と思うけれど――ともかく。


 早朝なので、人は少なかった。

 いや、いるにはいるが、しかし、菊乃と仲が良い人はいなかった。

 いつもはいるはずなのに……気になるが、こういうこともあるだろう。


 毎日毎日、約束しているわけでもない。

 今日は一人か、そう思い、道を進む。


 黙々と散歩。すれ違う人が数人いたが、あいさつをされることはなかった。

 それに苛立っているわけではないけれど、菊乃はなんだか、機嫌が悪かった。


 それは、いつもは気を遣って抑えている力が出ているくらいには、機嫌が悪かった。


 足を踏み出せば、地面が凹む。


 足跡がくっきりと残り、誰が歩いたか、すぐに分かる。


 ずん、ずん、と鈍い音が響く。

 その音によって、目が覚めてしまった人もいるかもしれない。

 起きた人達は外を見て、菊乃の輝くような金髪を見て――しかし、怒ることはないだろう。


 怒りよりも、感謝の方が強いからである。

 ただ、別に、いま起こされたことに感謝をしているわけではない。

 菊乃の今までの善行に感謝しているからこそ、今の悪行には目を瞑ろう、と思えるのだ。


 これくらい、気にしないでいいだろう。そう思えるくらいに、菊乃は信頼されている。


 なぜか――。

 なぜなら菊乃は、『ヒーロー』なのだから。


 しかし、これは菊乃が自分で言っている――つまり、自称ヒーローなのである。


 他人よりも力が強かったから。ただそれだけの理由で――

(それだけ、と言うには、あまりにも力が強過ぎだったが)、

 菊乃はヒーローを目指したのだ。


 いや、目指す、の過程を吹き飛ばし、既に、もうヒーローだ、と言い張っていたが。


 菊乃にとっては、生まれた時からもう自分はヒーローだったのだ。

 そういう星の下に生まれてきたのだと、そう信じ切っていた。


 子供の言うことだ、と放置していたのは大人だ。

 そのせいで、菊乃は自分が普通の人間であることを自覚しないまま、自分はヒーローであると信じ切ったままに、成長してしまっていた。


 だからこそ、今でも菊乃は、自分はヒーローなのだと、そう認識している。


 敗北をしないために、常に上を目指し、菊乃はトレーニングを続けている。


 この散歩も、トレーニングの一種である。

 とは言っても、休憩のようなものだが。


 毎日だ。

 毎日、義務のようにトレーニングをして、体を鍛えている。


 女の子なので、ムキムキに、とまではいかないが、

 それでも細い腕は、女の子にしては力があるくらいの、太さである。


 だが、しかし――力は、途轍もない。

 それは、この街の全員が知っていることである。


 岩を砕く。

 鉄を砕く。


 菊乃の力は、こんなものではない――とは思う。

 だが、これ以上の結果が出たことがないために、判断のしようがない。


 検証したい、という気持ちはあるにはあるけれど。

 しかし、菊乃は実験体ではない。


 しないのが一番だ。しない方が、絶対にいいのだ。


 菊乃が敵に回った場合は、誰も、対抗できる者などいないのだから。


「うーん」


 すると、菊乃がバンザイをして、伸びをする。


「気持ちのいい風だなー」


 唐突に、そう言った。

 声の調子からすれば、苛立っているわけではないように見える。


 なら、さっきの力強い、地面をも凹ませるあの踏み込みはなんだったのか。


 どうやら、菊乃はただ寝起きで機嫌が悪かっただけ、らしい。

 今やっと、きちんと目が覚めたのだろう。菊乃の視界は、綺麗な世界になっていた。


 鮮明に、全てを濁りなく映し出していることだろう。


「こんな日でも、兄貴は部屋にこもりっきりなのかなあ……。

 つまみ出してこようかな、マジで。割と本気で」


 そんなことを考える。

 どこにいるのか分かれば、引っ張り出せないこともないのだが。

 けれど問題として、まず、どこにいるのか分からない。

 なので、菊乃は自分の兄を引きこもりから脱却させることができないでいた。


 最近は全然、会っていない。

 声も、顔でさえも見てない。写真でさえも、同様に。


 家に、兄の写真はまったくない。

 ゼロ、と言えるほどだ。

 なので兄の顔を忘れてしまいそうになる。さすがに、ないとは思うけれど……。


 だが来年、再来年……、このまま顔を確認しないままに生きていたら、いつかは忘れてしまうのではないか――、と、最近は密かに怯えている。


 会いたいけれど。

 会いたいのに――会えない。


 会える可能性を探るのならば、兄の親友に声をかけてみる、という手があるのだが。


 そして、ちょうど今。

 その親友を視界の先に捉えたわけだけれど――、


 その親友が、自分の想い人……、


 だからこそ冷静ではいられなかった。


 助言をしてもらいたかったのに、そんなことはどうでもよくなった。


 自分の想い人である青年――、神神明日希が自分の知らない女の子と一緒にいれば、そりゃあ冷静ではいられない。

 しかも、こっちの気持ちをなんにも知らずに楽しそうにしていれば、尚更。


 菊乃は意識が吹き飛んだのかと思った。

 だが幸いにも、なんとか自我は保っている。


 けれど、力は抑えられなかった。

 フルパワーで地を蹴る。

 そして一直線に、明日希の元へ、突っ込んでいく。

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