承の嵐

第2話 砂上の都市【澱切】

 砂漠地帯の丁度、ど真ん中に位置する街――『澱切よどぎり』。

 この街は、旅の者や、遭難者からすれば、オアシスに感じるものだろう。


 しかし、勝手に入って勝手に出て行くことができるほど、この街は優しくはなかった。


 囲まれているのだ。

 巨大な壁に、ぐるりと三百六十度、囲まれているのだ。


 理由は単純に、怪しい者を侵入させないためだろう。

 だが、たったそれだけで雲にまで届いている壁を設置するとは思えない。

 つまり、それとは別に、他の目的がある。


 それは、温度調整である。


 ここは砂漠なので、もちろん暑い。

 夜や早朝はそこまでではないだろうが、昼は別だ。


 皮膚を焼くほどに暑い。

 まるで細胞が燃焼されていくかのような熱さなのだ。


 その暑さをがまんできる人間は少ない。

 砂漠地帯に住んでいるのにもかかわらず、

 澱切に住んでいる人々は、暑さにめっぽう弱かったのだ。


 ここで壁の役割が出てくる。

 雲にまで届いている壁には、小さな、見えないレベルでの穴が開いていた。


 そこから砂漠の『暑い』を『暖かい』にまで落としてくれる冷気を出しているのだ。

 住んでいる人々が暑さに耐えているのは、砂漠本来の暑さに耐えているのではない。

 快適に、過ごしやすくなった環境になったから、耐えているのだ。


 耐えている、とはとても言えないが。


 ようするに、温度の方が人間の方に適応した、ということだ。


 その壁のおかげで、壁の中は過ごしやすい空間になっている。


 外とは段違いの空間。


 それほどの差があった。


 砂漠の中にありながら、他の都市とあまり変わらない過ごしやすさである。

 だが一つ、問題というか、厄介なことがある。


 囲まれているということは、閉じ込められているとも言える。

 中にいる人間は自発的に外に出ることなど、あまりない。

 たまにしかないのだ。


 過ごすために、生きるために必要な物は、だいたい街の中で手に入る。

 なので、外に出る必要は、まあないのだけれど――。


 となると、この街の唯一の出入り口である、門。

 そこを見張る門番には仕事がない。


 仕事がなくて、することがなくて――つまりは暇なのだった。


 外からくる物資を運ぶ業者は、搬入日が決まっている。

 週に二日。週始めと、週終わり。


 真ん中の五日は、出る者がいなければくる物もないのだ。

 門番なんているのか? と疑問に思うことは、多々ある。

 愚痴ってしまうほどには、平凡で退屈な、毎日だ。


 ―― ――


「いいよなー。中にいるやつらは快適な温度で過ごせてさ。今の俺達みたいに地味な汗をかかないでぐっすりと眠れて。本当、門番なんて仕事を押し付けられたのは運がなかったよなあ……」


「ま、そうネガティブになるなよ。考えてもみろ。なにもしなくてよくて、自由に遊んでいられる。こうしてトランプにすごろくにゲーム、映画やアニメ鑑賞に、しかも漫画まで持ち込み可能。これで金が貰えるんだぜ? いい仕事じゃねえかよ」


「こういうものは快適な所でやってこそ、一番楽しめるものなんだよ。俺の中では『遊べる』よりも『快適』の方が優先度が高いんだ。『遊べればそれだけでいい、それだけあればなにもいらない』、なんつうお前と一緒にするなっつうの」


「あっそ、まあお前がそう言うなら別に文句は言わねえけどよ。

 だったらお前、中の仕事に移動すればいいじゃねえか。ここよりもきついはきついだろうけど、それでも退屈はしなさそうな仕事なんだろ?」


 まあ、と若い警官の男は頷こうとした。

 だが頷こうとしただけで、結果、頷いてはいない。


 思い出したのだ。中の仕事は退屈ではないだろうが、けれど、過酷であると。


 命がいくつあっても足りない。言い過ぎではない表現ではある。


 一年前の情報ではあるが、中にある街の状況というのはいつでも、どこでも、同じ。


 どのタイミングで誰かに聞いたところで、返ってくる答えは同じなのだった。


『街が破壊される、なんて日常茶飯事』


『一日に一回は必ず、事件や問題が起こる。まあ、必然よね』


『死ぬ覚悟を持っていないとやっていられない。

 こっちは大人で相手は子供だけれど、言わせてもらえば恐怖しかないのよ。

 あの悪ガキ共には』


 こんな答えばかりだ。

 三つとも違う答えではあるけれど。

 だが三つとも、街に起こる『異常』のことを言っている。


 異常だが――しかし。

 街にとっては、起こっている『異常』も、

 時が経つにつれて『日常』になっているのではないか。


 慣れ――というもの。


 だが、男は中の様子など分からない。

 どういった状況なのかも、同様に。


 なのでそんな噂を聞いて、それでも中の仕事をしようとは思わなかった。


 だから頷かなかったのは当たり前の反応、と言えるものだろう。


「いや、中での仕事は遠慮しておこう。やはり門番が一番だよなあ。中で仕事をすれば、事件専門の職場にいなくとも駆り出されるとか聞いたことがあるしなあ。

 そういう厄介さを考えれば、まあ快適でなくとも、危険が少ないと言えるこの門番という仕事が、一番良いのかもなあ」


「そういうことだよ。お前はおとなしく俺とお喋りでもしていればいいんだ。いいじゃねえか。門番つっても、夜中から朝までだ。

 その後は自由気ままに休日と変わらない日々を過ごせるんだからよ」


「違いねえな」

 言って、椅子に座り直す男。テーブルの上にあるコップを掴む。


 コーヒーを、ずずず、とすすって口内に流し込む。

 一杯だけ飲んだが、足りなかった。


 なのでおかわり、と二杯目を注ぎに行こうと立ち上がる。


 すると、


「ああ、俺のもついでに注いどいてくれ」


 友人の言葉が耳に入り込む。


 嫌な顔をしたものの、

 一つも二つも大した手間にならないだろう、と思い、


「了解」と頷く。

 この友人には色々と恩がある。これくらいはいいだろう。


 窓側に向かって――、コーヒーを注ぐ前に。

 男は窓から見える光景に、少しだけ違和感を覚える。

 違和感というよりは、もうそれは既に『変』の域に達していたが。


 異変だ。


 じっと見つめる。

 もしかしたら自分の勘違いかもしれない。そうであってほしい。 


 視力が弱くなった影響で幻覚でも見えているのか。しかし、そうではない。


 見えているものは、正真正銘に、本物と言えるべきものであった。


 窓の外。

 まだこの門までは距離があるが、そんな距離はないに等しい。

 空間はすぐに潰されて、詰められることはすぐに予測がついた。


 こちらに向かってくるトラック。

 今日は業者がくる日ではないから、

 業者でないことは分かるけれど。なら、旅人なのだろうか?


 蛇行運転なのは、単に力が尽きそうだからなのか。

 しかし、トラックの中は快適のはず。


 砂漠地帯の中にいても、体調を悪くすることなどないのだけれど――ともかく。


 どうでもいいことに思考を使うのはストップ。今は、現実を見るべきだ。


 目的なくこちらに突っ込んでくるトラックには、迷いがない。

 蛇行運転なのは、運転に慣れていないからなのか。しかしそれでも、真っ直ぐに進もうと努力はしているようである。しかし、速度を落とさないところを見ると、まるで最初からこの門に突っ込もうと計画していたのかもしれない。


 遠慮なく、トラックは門へ突っ込む――はずが。


 少しの操作ミスなのか。

 門のすぐ真横、門番専用の待機場所である小屋に、トラックが突っ込んだ。


 ―― ――


 たった数メートル。些細な距離。

 しかし――結果、一人の男の命を奪った。


 呆気ない音。


 ぐちゃり、なんて音は鳴らず。

 本当に、小さくどうでもいいようなものを潰したかのような、

 ぷちっ、という音しか鳴らなかった。


 そんな音で男は死んだ。友人が、死んだ。


 預かったコップを持ちながら、目の前の光景を見る。

 力が抜けて、コップが落ちる。


 ガラスが割れる音。

 その合図で、男は友人がトラックの下敷きになったことに気づく。


 赤い血が男の真下に流れてきて、靴裏を濡らす。

 歩けば、赤い足跡がつくだろう。


 男は、動くことができなかった。


 下敷きにされている友人の手が、足が。

 先っぽだけ、見えていて。

 男にはその手が、自分に助けを求めている手に見えた。


 そして――、責められているのだと思った。


 確かに、発見したのは男だった。

 トラックとの距離は充分、時間もあった。事前に回避しようと思えばできたのだ。

 だが男は逃げるチャンスを棒に振ってまで、

 相手を観察することに時間を使ってしまっていた。


 結果――得られたものはなく、人間一人、失ったわけだけれど。


 遠回しに言えば、男が友人を殺した。とも、言えなくもない。


 責められても反抗できるわけもない。

 罪を償えと言われたら、もちろんするだろう。


 しかし、そんな自己満足も、満足にできなかった。


 唐突に、トラックの扉が、勢い良く開いた。


 そして、全身を黒いマントで包んだ青年が、顔を出す。


「おい」


 と、声がかかる。


「そこのお前。質問をするな、文句を言うな。

 いいから黙って俺に従え。めんどくさいから手短に言う。――この門を、開けろ」


 青年の顔は隠れているので、当然のように分からなかった。


「早くしろ」


 青年に追加で言われる。そう言わせるほど、男は動かなかった。


 潰された友人を見て。現れた青年を見て。

 見て、見て。行ったり来たりと、視線を泳がせて。

 使うことはないだろう、と思っていた。使いたくはない、と思っていた――。


 そんな、人殺しの道具である、拳銃を、腰から抜き取り、青年の顔に向ける。


 そして、感情が、爆発した。


「……ここから先には通さねえぞ。ふざけんな犯罪者、人殺し……よくも、よくもぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!」


 叫ぶ。そして拳銃の引き金を引いたが――しかし。


 銃声は鳴らず、銃弾も出なかった。

 なにが起こったのか、冷静に状況を確認する。


 視線は真っ直ぐ。

 その先――、拳銃の銃口がなかった。


 どうやったのかは不明だが。

 つまり、銃口は半分以上、斬り落とされているのだった。


「……は、は、一体、なん、だって言うん――」


 呟いた声は、最後まで発声させることは叶わず。

 男の言葉は、途中で止まる。


 そしてぼとり、と。

 男の頭部が地面に落ちた音が、血溜まりの部屋に響き渡る。


 それから、この悲惨な状況を生み出した青年は、一人で。


 死者を相手にせずに、宙に向かって、呟いた。



「さて。――どうしようか、どうやって、中に入ろうか」

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