砂上の都市と群像の嵐

渡貫とゐち

起の嵐

第1話 火種

 走る。

 走る。


 私は、走る。


 ただただ、目標に向かって、一直線に走っている。


 その目標が良い理由ならば、これはまるで、

「青春しているなー」とでも言えるようなことだとは思う……、

 それに、爽やかな汗を流している、とは思うけど――。


 でも、私が今かいている汗は、冷や汗だった。


 まずい状況への、どうしようもない状況に向けての、汗だった。


 目を背けたくなる状況に、目を背けていた私は、顔を上げ、視線を向ける。

 その、どうしようもない状況に、目を向ける。



 ――私の大切な人が、車に轢かれる、まさに数秒前。



 それが、今の状況であった。


 周りを確認できていないのか、彼は、迫る車に気づいていない。

 そのまま、道路を渡ろうとしている。


 ここの道路には街灯がないから、迫る車の運転手さんの方も、彼には気づけない。

 と言うよりは、気づきにくいのだろう。

 気づいたところで、至近距離にならなければ分からないほどに、真っ暗なのだ。

 ヘッドライトで照らせるのも、至近距離、少し前くらいだろうし。


 そんな状況。

 本当に、どうしようもない。


 どうすればいいのか、全然、まったく、分からない。


 教えてほしい。この状況を、どう打開すればいいのか、教えてほしい。


 神様でもなんでも、今ならば悪魔でもいい。

 魔王だって、閻魔様だって、なんだっていい。


 ただ――手が欲しかった。

 猫の手でもいいから欲しかった。

 実際に問題を考えれば、猫の手じゃ全然足りないから、人間の手が欲しかったところだけど。


 しかし、贅沢も言っていられない。

 人間の手は、今や私の二本だけ。

 期待していたわけでもなかったけれど、猫の手だって、今は一つもない状態だった。


 自分の力で、どうにかするしかない。


 思えば、最初から、これは神様が私に与えてくれた試練なのかもしれない。


 大切な人を――好きな人を助ける。

 自分の力でやってみろ、なんて、

 女の子にさせるにはあまりにもハードなことを、神様は要求していたのかもしれない。 


 でも、思う。

 これくらいできなくて、なにが好きな人だ――。


 命を懸けることもできない相手を、本当に、自分は好きなのか――?


 好きだ。本当に好きだ。全部、全部、どこを切り取っても。

 全身、細胞から全部。

 欠点だって、全部。なにもかもが、私は、その人が好きだった。


 命を懸けられない、わけがない。


「はあっ、はあっ……」


 吐息が漏れ、体力が全身から奪われていく。

 そんな感覚が、脳にきちんと届いている。


 これを感じて――ああ、私は今、きちんと生きているんだなあ、と感じる。


 勘違いしてはいけないのが――私は、別に死のうと思っているわけではないのだ。


 命を懸ける、イコールで、死ぬじゃない。

 死ぬほどの危機を味わうことにはなるけど、生きて帰ることだってできるのだ。

 一歩間違えれば、死ぬ。ただ、それだけの危機でしかない。


 まあ、充分な死の危険だけれど。


 それが、なんだ。

 それが、どうした。


 そんなもの、今の私には、手枷にも足枷にもならないっ!


 決意は固く、揺るがない。

 足は疲れ切っている。しかし、止まらない。


 道路に足を踏み込み、進む。

 迫る車の運転手さんにも、彼にも、まだ、私のことは認識できていない。


 今なら、相手に動揺や戸惑いを感じさせることなく、事態を、安全に終わらせることができるかもしれない。結局、時間との勝負。動け、私の体。勝負はここからなんだから!


「――っ、あぶ、ないっ!」


 私は、彼を勢い良く押した。

 背中から地面に倒れたら、たぶん痛いだろう勢いをつけて、彼を押した。


 そのおかげで、彼は車に轢かれることはないだろう。

 完全に、安全に、この状況から抜け出すことができただろう。



 でも――、


 今度は、私の番だった。



 車の速度は変わっていないだろう。

 さっきと変わらず、一定の速度なのだろう。


 けれど、私には、加速しているように見えた。


 迫る車を見る。

 迫力が凄くて、ここまで恐いものなのかと、心の中に刻み込まれた。


 ヘッドライトが、私を照らす。


 そこで、ようやく運転手さんは、私の存在に気づいたらしい。

 すぐにクラクションを鳴らす。

 そして、ハンドルを大きく切るけど――でも、明らかに、間に合わない。


 ちょっと、悪いことをしちゃったかな。

 運転手さんには、人殺しという罪を被せてしまったことになるし。


 どれだけ努力をしても、『できない』――不可能なことはある。

 今の状況はそれに当てはまるだろう。


 運転手さんも、諦めたのかもしれない。顔が――表情が、消えた。


 無の表情だった。

 なにも感じられない、全てを諦め、真っ白になった、顔。


 私も、そんな顔をしているのだろうか。

 だったら、彼には見せられないな、と思った。


 けれど、


「おい、せ――なっ、おいッ!!」


 彼が、私の名を呼ぶ。でも、聞こえづらい。

 クラクションとか、タイヤが地面を削る音とか、色々と混ざっていて、

 彼の声は、あっさりとかき消されていく。


 見せたくない顔――、

 でも、私は、最後だからと思って、意を決して、見せる。


 走馬灯を見る前に、彼に見せる。


「――きだった」


 私は、言う。

 しかし、彼に聞こえていないのだろう。

 自分でもそれが、分かってしまう。


 声は、震えて。


 私は、今から死ぬという事実に、今更、恐怖を覚えて。


 言えなかった。

 もう一度、声を発するという行動は、あっさりと、中止に追い込まれ――。


 激しい衝撃が全身を突き抜け――、

 視界は一気に真っ暗になr、sのmm暗tnしt。



 ――――。

 ――。

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