封霊
「分かりました」
そう言って神流川がお札を取り出し、本多に向ける。
それを見て御園ははっとしたような表情をしたが、それ以上の行動を起こすことはなかった。結局のところ彼女も自分の判断が絶対的に正しいという確信は持てなかったのだろう。もしくは、怪異の影響が薄れても二人の関係性は変わらないと信じたかったのかもしれない。
本多はと言うと、真剣な表情に変わった神流川の一挙手一投足を固唾を飲んで見守っていた。
神流川はそんな本多にお札を向け、祝詞を唱える。
「現代の巫女神流川奏が奏上す。我が身に宿りし善なる怪異よ、諸々の悪辣なる怪異有らむを封じ給い清め給へと申すことを聞こしめせ」
俺にはよく分からないが、神流川が祝詞を唱え始めたとき、不意に本多の周囲の空気の質が一変したような気がする。
本多の周囲の空気が一瞬大きく揺れ動いたような気がした。
そして、神流川が唱え終わったときだった。
不意にそれまでうめいていた本多はふっと糸が切れたように目を閉じる。その瞬間、俺が今日本多を見た時から感じていた違和感は消え失せたような気がした。
どうやら怪異を封じることには成功したらしい。
「大丈夫!?」
すぐに本多の左右から御園と佐紀野が心配しながら体を揺する。
「うっ……」
すると本多の口からはくぐもった声が漏れ、彼女はうっすらと目を開けた。
「あれ、私……」
「思い出した、私のこと!?」
佐紀野は本多の前に自分の顔を近づける。
「……あれ、真野さん? 何でここに?」
「思い出してくれたんだ、良かったあ」
そう言って佐紀野は本多の体に抱き着く。
その目には涙が滲んでいた。
「ごめんね、今まで忘れていて」
「ううん、いいの」
「あの、私のことは?」
すると今度は逆側にいた御園が遠慮がちに尋ねる。
本多が御園の方を見ると、御園は緊張したようにごくりと唾を飲み込む。そして。
「みそに?」
「良かった……それでどこまで覚えてる?」
「どこまで……えっと」
そう言って本多は少しの間考える。
俺たちはそれを固唾を飲んで見守った。そして。
「うん、全部覚えてる。私は真野さんたちとVtuberデビューして、受験して、その後人気が出て、みそにと知り合って、今はVliveに勧誘されてたんだよね?」
「良かった」
それを聞いた御園が安堵のあまり脱力する。
そして彼女も鼻声になりながら言う。
「良かったよ、美鏡。全部覚えていてくれたんだね。何が起こったのかは分かる?」
「うん、さっきまでの話し合いのことも大体覚えてる」
そして本多は改めて佐紀野の方を向いた。
「ごめんね、一番辛いときに助けてもらったのに、真野さんのこと忘れちゃっていて」
「ううん、思い出してくれてありがとう」
しばしの間俺たちの前では本多、御園、佐紀野の三人が事態がうまくいったことを喜び合っていた。
一応俺も本多の旧友であったはずだが、さすがにこの空気の中俺が「俺のことも思い出してくれたのか?」などと入っていくことは出来なかった。
この二人と本多の絆が強かったというのもあるが、俺がそれだけ本多と疎遠になってしまっていたとも言える。結局、今の俺にとって本多は友人や幼馴染というよりは「昔の知り合い」に過ぎないのだな、と実感した。
「こんな風にうまくいくならもっと最初からこうしていれば良かったな」
仕方がないので俺は神流川に話しかける。
「どうなんでしょうね。全てがうまくいったとは言えませんよ。記憶はどっちのものも残っているようですが、それ以外の、例えば能力や性格がどうなったかまでは分かりませんし」
「神流川でも分からないのか?」
「はい。そもそも怪異の封印なんて初めてやりましたし」
神流川は冷めた声で言った。
「さて、それでは私たちはもう行きましょうか」
それまで黙っていた嶺内が立ち上がり、俺たちを促す。
「え、行っちゃうんですか?」
御園が言う。
「はい。ここは友達同士水入らずで話してください」
そう言って嶺内は一人分の料金を財布から取り出し、テーブルの上に置く。その姿はさすが大人の女性、と言うべき格好良さがあった。確かに俺も今後の成り行きは気になるが、今は出ていった方がいいかもしれない。
神流川をちらっと見ると彼女も頷く。
「あの、ありがとうございました!」
部屋を出る準備をする神流川に本多がそう言って頭を下げる。
神流川は一瞬複雑そうな表情をしたがすぐにいつもの無表情に戻る。
「……別に。私が勝手にやったことなので感謝されるいわれはありませんよ」
「いえ、私からもお礼を言わせてください」
そう言って今度は佐紀野が礼を言う。
神流川はいつものように感情のない顔をしていたが、彼女の言葉に少し考えて、そしていう。
「そうですか、それならここの代金出してもらえません? 今月ピンチなので」
「……」
神流川の一言に場が凍り付いた。
これでは感動的な場面も一瞬で台無しである。
先ほどの嶺内が格好良かっただけに余計に酷い印象だ。
「……皆さんの分、私が出しますので」
「すいません」
結局、嶺内の大人の対応で凍った空気は収集された。
いたたまれなくなった俺は神流川を連れて逃げるように部屋を出たのだった。
「すいません、俺たちの分まで出してもらって」
部屋を出た俺は初対面の嶺内にぺこぺこと頭を下げる。
すると彼女は憮然とした表情で答えた。
「本当ですよ、全く。彼女が元の記憶を取り戻したということはこれまでの本願寺美鏡そのままではいられなくなるということですから」
「それは確かに」
「それで人気が陰るのか上がるのかは分かりませんが、どうなるのかが分かるまでVlive移籍の話は保留ですかね」
「……そうですか」
何となく感動的な雰囲気で話がまとまっていてほっとしていただけに、俺は少し水を差されたような気分になる。
もっとも、それはVliveの件が保留になったからというよりは今後の本願寺美鏡の活動がどうなるのかが不透明になったことを改めて突き付けられたせいだったが。
「まあでもいいのでは? 天空綺羅と共演するという夢は遠のいたかもしれませんが、友達を取り戻せた訳ですから。所詮夢は夢、今近くにいる友達の方が大事ですよ、きっと」
「それは神流川の意見だろ。というか、神流川は大事にする友達なんているのか?」
「……いないから大事にした方がいいと言っているのですが、喧嘩を売っているのですか?」
神流川にぎろりと睨みつけられる。
「すいません」
というか俺も神流川のことを言えるほど豊かな人間関係はなかった。
そんなことを話しているうちに俺たちは店の外に出る。
「それでは今日はこの辺で。言うまでもないことですが、今日のことをどのような形ででも外部に漏らしたら法的措置をとる可能性もありますので」
別れ際、マネージャーは物騒なことを言う。
すると神流川は残念そうな表情をした。
「登場人物を全員名前変えて動画にするのもだめですか?」
「だめです。この業界かなり狭いのですぐ分かりますから」
そもそもVliveと並ぶ規模の事務所が数えるほどしかないから無理からぬことだ。
マネージャーはさらに神流川のことを刺すような目で見つめる。
「私はあなたのチャンネルやツイッター、登録してるんで変な事したらすぐ分かりますんで」
「……もしかしてファンですか?」
「違います、最初にも言いましたが、こういうトラブルはたまにあるので情報収集のためです」
そう言えば、神流川はその界隈ではそこそこ有名だと言っていたな。
「ただまあ、御園さんとのコラボはまあまあおもしろかったです。それでは」
そう言って彼女は去っていくのだった。
後に残された俺と神流川も、顔を見合わせて家路についた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。