決断
少ししてカラオケ店の入り口に一人の女性が現れる。本多や神流川、御園と違って残念ながら見た目にそこまでの特徴はない。眼鏡をかけたボブカットの、失礼ながらどこにでもいそうな地味な容姿の女子大生だった。
「あなたが佐紀野さんですか?」
「は、はい」
俺が声をかけると彼女は頷く。
「すみません、今日は突然変なことを言って呼び出してしまって」
「いえ、私も本多さんのことは気になっていたので構いません。むしろ呼んでもらえて感謝しています」
あの後、俺は御園や本多と会うことが決まった後、もう一度佐紀野にメッセージを送っていた。というのも、もし本多を元に戻す方向で説得するのであれば、俺のように中学で別れて以来疎遠になっていた人よりも佐紀野の方がよほど役に立つと思ったからだ。
もっとも、俺の急な、しかも怪しい誘いにまさか本当に応じてくれるとは思わなかったが。昔の友達にマルチ商法的なものに誘われたら引っ掛かるタイプなのではないかと少し心配してしまう。
「少々込み入った事情があるのですが、今俺の知り合いの霊能力者の神流川という人物、そしてVliveの御園桜と本多が個室に集まっています」
「……霊能力者?」
佐紀野は眉をひそめた。
正直なところこうなってしまうともはやどう事情を説明していいか分からない。
「本多さんの記憶喪失にはどうもオカルト的なものが関わっているようなのです」
「え、オカルト? 霊能力者……話が違うような……」
まずい、佐紀野が露骨に怪しみ始めている。俺でも同じ状況になったら怪しむだろうし無理からぬことだろう。というか俺だったらそもそもあのメッセージが来た時点で無視していたかもしれない。
俺は必死で彼女を説得する材料を探す。ここまできて帰られる訳にはいかない。
「だがほら、あの御園桜もいるし、それに何より彼女のマネージャーもいるから大丈夫だ」
「そうか、それなら」
やはり横にちゃんとした大人がいるというのは説得力が増すらしい。
彼女が納得して少しほっとするが、やはり佐紀野が詐欺的なものに引っ掛からないか不安になる。
その後俺はカラオケの店員にもう一人利用者が増えることを伝え、佐紀野と部屋に戻っていく。
「すいません、遅くなってしまって」
俺が戻っていくと室内は気まずい空気が満ちていた。まあ御園やマネージャーと神流川が真っ向から対立している上に神流川は神流川で本気で悩んでいたようだから空気が重くなるのも仕方ない。
「え、その人は誰?」
御園が俺の後ろにいる佐紀野の姿を見て首をかしげる。
が、佐紀野は呑気な顔をして席に座っている本多に視線を向ける。
「本多さん……?」
佐紀野に呼びかけられた本多は佐紀野の方を向く。
一瞬首をかしげたが、すぐに眉をひそめる。
「あれ? どこかで会ったような……あれ? 何かもう少しで思い出せそうなんだけど……」
そんな本多に佐紀野は必死で言葉を投げかける。
「本多さん、私! 高校で一緒だった真野美咲!」
「真野……美咲? うっ」
そう言って本多は頭を抱える。ドラマに出てくる記憶喪失の方が何かを思い出しそうになっている場面のようだ。
そして佐紀野の本名は真野美咲というのか。
急に始まったドラマのような光景を見て御園、マネージャー、そして神流川までもが呆気にとられている。
「やっぱり私のこと忘れてしまっていたんだ……」
そんな本多を見て佐紀野は一瞬落ち込んだが、すぐに駆け寄って隣に座る。
元々本多の隣に座っていた御園はそれを見て少し動揺したように俺に尋ねる。
「こ、これはどういうこと?」
「彼女は本願寺の高校時代の友達で、本願寺としてデビューするきっかけを作った人物でもある」
「せめて呼ぶなら呼ぶと一言言っておいてよ」
御園も動揺しているのか、少し声を震わせながら言う。
「それについては申し訳ない」
彼女のことを言わなかったのは、もし議論が本願寺の除霊の方向でまとまれば話し合いの場に呼ぶ必要はないと思ったということ、あとは単に彼女から来るという返事がきたのが昨夜遅くだったからである。
御園が動揺しているのは、第三者に過ぎない神流川や昔の知り合いに過ぎない俺であれば「本願寺のためにもこのままの方がいい」と主張出来ても、ついこの間まで友達だった相手には同じことを言うことは出来ないからだろう。つまり彼女の意志が揺らいでいるということでもある。やはり佐紀野を呼んでおいて良かった。
「まあ皆さんいったん落ち着きましょう。真野さん? もいったん座ってください」
その場で一番落ち着いていたのはマネージャーだった。さすが大人の社会人だ。
彼女の言葉に、俺たちはいったん黙って席に座る。ちなみに佐紀野は御園とは逆側の本多の隣に座った。本多は相変わらず思い出せそうで思い出せないのか、頭を抱えている。
こちらは二人しか座っていないのに向こうのソファは四人も座っていて少し窮屈そうだ。
「とりあえず真野さんは本多さんとの関係を簡単に教えてくれる?」
「はい」
そして佐紀野はそれまで虐められていた本多と天空綺羅をきっかけに仲良くなりVtuberデビューに至った経緯を説明する。佐紀野の話からは本多と最初と出会った時の感動や、最初にVtuberを始めたときの喜びなどが伝わってきて、聞いているこちらも少し微笑ましく思えてきた。
もちろん今の本願寺は多数のチャンネル登録者と視聴者に恵まれていてその時の状況とは天と地の差があると言えなくもないが、当時は自分が作ったキャラクターが動いたとか、初めて配信をした、とかそういう一つ一つのことに対する感動があって、それは今の本願寺や御園にはないものだろう。
本多が忘れていた以上御園もその話は知らなかったのだろう、彼女も話を聞いて驚いていた。
「そう、そんなことがあったんだ……」
「だから御園さんが今の本多さんを好きなのは分かったけど、本多さんには本多さんの過去があるんです! だから元に戻してください!」
佐紀野はそう言って御園を真剣な瞳で見つめる。
御園の言葉には俺の薄っぺらの言葉よりもよほど当事者としての説得力があった。そんな佐紀野の言葉に御園も頭を抱える。
「確かにそれはそうだけど……でも、こんなこと言うのもなんだけど、それならなおさら思い出さなくてもいいような」
御園がぽつりと言った。
すると今度は佐紀野が押し黙る。
確かに自分たちの思い出は思い出したいとしても、それ以前の記憶は本多にとって必ずしも思い出した方がいいことではないだろう。
今の成功している本願寺美鏡の状態を失わせてまで思い出させるべきことなのだろうか。今度は佐紀野が葛藤する番だった。
「あの、美鏡はどう?」
御園は遠慮がちに本多の方を見る。
すると本多は真剣な表情で空中の一点を見つめながら頭を抱えていた。そんな彼女からは少し異様な雰囲気を感じる。
もしかして俺も神流川の手伝いをするうちに怪異の気配を感じ取れるようになってきたということだろうか。
「うぅ……あと少しで何かを思い出しそうなんだけど、思い出そうとすると頭が痛くなる……いや、でも私には配信を楽しみにしてくれている皆がいるから……」
「本多さん、大丈夫!?」
「大丈夫、美鏡!?」
そんな本多に佐紀野と美鏡が同時に気遣いの言葉をかける。
そんな光景を冷静な目で見ていた神流川は小さく「来ます」と呟いた。
「どういうことだ?」
「『ねむの木』の時にも似たようなことがありましたが、怪異が作っている世界観のようなものを外から強引に壊そうとしたため、怪異が抵抗しているのです。このままでは怪異が本多さんを完全に支配しようとしてしてしまうでしょう」
確かに「ねむの木」の時も俺が彼に真実を告げようとしたら彼は発狂したような反応を見せていた。
「それは……」
止めないと、と言おうとしたが止めなかったらどうなるのだろうか。
怪異が完全に支配するという状況は分からないが、そうすれば本願寺は完全にVtuberとして理想の存在に「進化」すると言えなくもないということだろうか。
もしもそんな本多の怪異を無理矢理除霊すれば本多は。
一度神流川の希望を叶えると決意したはずなのに目の前の光景を見て再び俺の意志は揺らぐ。
佐紀野や神流川も同じなのか、二人とも「今すぐ除霊しなければ」とは言わなかった。
「そう言えば今更なんだが、神流川は怪異と共存しているんだろ? それなら本多に憑いている怪異も神流川のやつみたいに力だけ使うみたいに出来ないのか?」
「私の場合、元々の性格があれなので怪異に性格を捻じ曲げられても大して変わらなかったというだけですよ」
何となく分かる気がした。
神流川は霊能力者になる前から神流川だったのだろう。
俺は藁にもすがる気持ちで言う。
「ここまでやっておいて今更こんなことを言うのもなんだが、どうにか怪異の力をいい感じに封じることは出来ないか?」
「でも分かりました。そこまで言うのであれば完全な除霊はしない方向で行ってみましょう」
「頼む」
結局のところ俺の選択は土壇場で二者択一を決断する勇気がなかったから何となく真ん中の選択肢を選んだというだけなのだろう。
完全に除霊するのも、放置するのも良くない。それなら何となく真ん中の選択を選んでおけばうまくいくのではないか、という甘い見通しに過ぎない。
しかし俺は本多の現在も過去も完全に否定することは出来なかった。それは佐紀野や御園も同じだろうし、神流川ももし完全に除霊すれば後悔することがないとも限らない。
今の神流川は元の自分と今の自分にそこまで差異がないとはいえ、うまく同居出来ている。それなら本多にも同じようにすれば過去と現在がうまく同居するのではないか。
俺はそうなる可能性に望みを託した。
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