エゴ

 普段感情を表に出さない神流川だが、今だけは俺の目から見ても分かるぐらい、悔しそうな感情を見せていた。その事実に俺は驚いてしまう。同時に彼女にもこれぐらいの感情があったのだということになぜかほっとする自分もいた。


 目の前に怪異がいるのに祓えないということが悔しいのか。それとも自分の信念が他人の論理に負けるのが辛いのか。


 神流川は部屋を出て少し歩いたが、俺の姿を見て足を止める。


「大丈夫か?」

「いえ、こんなに悔しくなったのは久し振りで。少し取り乱してしまいました。お見苦しいところを見せてしまい申し訳ありません」


 神流川が浮かない表情で言う。


「どうしてだ?」

「そもそも私が大学から雲隠れしてこんな活動をしているのは一般社会の論理から解き放たれたかったからなんです。お金がある方が偉いとか、学歴があると偉いとか、いい会社に入った方がいいとか、そういう考え方が私はなじまなかったんです。簡単に言えばお金も、名誉も人間関係も別に欲しくはなかったんです」

「まあ俺もそこまで欲しいかと言われればそうでもないかもしれないな」


 もっとも、どれもあるに越したことはなかったが。

 俺もそれらを手に入れるために積極的には努力してこなかったが、神流川にとってはそれらは拒絶すべき対象だったのだろう。


「でもうちはまあまあの大学なので、そういう考えの人は多いのです。そのため、そういうきらきらした考え方の人と一緒に大学にいるのが嫌になりまして」


 神流川はお金、名誉、人間関係といった一般的な人が欲する(と思われる)ものをあえて「きらきらした」ものと表現したのだろう。

 自分が必要ないと思いつつもあえて「きらきらした」と表現するところに神流川のコンプレックスが感じられた。


 そう言えば神流川は日本を代表する企業グループの会長神流川太郎の娘だが、実家とはほぼ絶縁状態にあると言っていた。

 神流川の周囲には生まれながらにして「きらきらした」人が多かったに違いない。

 もちろんそれは手厚い教育を受けて育ち、意志があれば将来もある程度確約されるという圧倒的な利点がある訳だが、神流川にとっては自分が欲していないにも関わらず「きらきらしたもの」が周りにあったため心理的に窮屈だったのだろう。


 それに神流川の言っていることは人によっては贅沢にしか聞こえないため、他人には相談しづらいことでもあるのだろう。


「まあ分からなくはないが」


 今更だが俺が友田のような奴と仲良くしているのは神流川の言うところの「きらきらした」考えが苦手だったからかもしれない。友田は可愛い彼女こそ欲しがっているが、その他の点では全く「きらきら」が感じられなかった。

 とはいえ、俺は神流川のように大学からドロップアウトするほど嫌という訳ではないが。

 俺が頷くと、神流川は少しほっとする。


「こういうことを言うと、大体『それの何が悪いのかは分からない』か、『お前も十分きらきらしているだろう』のどちらかの反応が返ってきたので、共感していただけたのは嬉しいです」


 前者が普通の人間で、後者が同じくきらきらした生き方に馴染めなかった人たちの反応だろう。

 彼女は両者の人間から疎外を感じて生きてきたようだ。


「まあ、俺は神流川が大企業の会長令嬢のようにしているところをほとんど見たことがないからな」


 俺だって神流川が実家の豪邸で悠々自適の暮らしをしているところなどを見てしまえば反応も変わったかもしれないが、俺が会ったときはすでに彼女ははみだし者として生きていた。


 「きらきらした」というのは他の言葉で置き換えると、良く言えばやる気がある、上昇志向がある、あとは少し意味が広くなるが充実した人生を送っている、というようなことだろう。悪く言えば意識高い系、拝金主義などと言えるかもしれない。


 悪い面がないとは言わないが、普通に生きている分には間違いなく持っていた方がいい考え方だろう。神流川もそれが分かっているから、そういうのを嫌いながらも「きらきらした」という表現を使っているのに違いない。


「でも、霊能力者の真似事をしている分にはそういうのは関係なかった訳です。きらきらした人間には怪異は憑きづらいし、仕事してもお金にもならないことが多いので、むしろ今の私、じめじめした生き方の方がちょうどいいくらいでした。そう思うと少し気持ちが楽になったんです」


 確かに今の神流川のビジネスモデルだと「きらきらした」存在には遭遇することはあまりなさそうだった。


「生活にぎりぎりのお金をもらいつつ、怪異を見つけたら祓う。私はこの生き方に誇りを持っていましたし、誇りを持っている限りはそういうきらきらしたものを見ても、自分は自分、と思うことが出来た訳です」


 要するに、最初は一方的に嫉妬していたが、自分なりのアイデンティティを確立したから嫉妬しなくて済むようになったということだろうか。

 確かに嫉妬というのは自分に余裕のない時にしがちなもので、俺も受験中は勉強が出来る奴のことは妬ましかったが、大学に受かった瞬間にどうでも良くなってしまった。

 恋人がいなくてもまあまあ楽しい人生を送っていればカップルに嫉妬することはないが、うまくいかないことがあれば途端に妬ましく思えてくることもあるだろう。


「それなのに、私は再びきらきらした論理に阻まれて今の生き方も変えなければならないなんて。事務所がどうとかそういう話が出てくると、嫌でもそれを意識してしまって、それが悔しくて、つい……すみませんね、変なところを見せてしまって」


 そう言って神流川は急に我に帰ったように罰が悪そうな表情に変わる。

 本願寺の言う夢を叶えたい、という気持ちはいいものだ。そして能力がある人が事務所に入ってより大きくなるというのも自然なことだろう。そういう意志は間違いなくきらきらしている。


 そして本来なら神流川はそれに何とも思わないはずだった。

 が、その過程で「怪異は祓わなければならない」という自分のアイデンティティを踏みつけられたせいで、どうしてもそれが許せなくなったということだろう。ある意味でそれは嫉妬と言えるかもしれない。

 そして確かにここまでこじらせている神流川には強い怪異が憑いていてもおかしくないのかもしれない。


「……すみません、冷静に考えるとやはり私がやろうとしていることは、信念という言葉で着飾ったただのエゴでしたね。この活動を始めてようやく嫉妬の感情からも解放されたと思ったのですが、まだまだだったようです」


 そう言って神流川は少し寂しそうな顔をする。


 そんな彼女を見て俺は考える。実際に本願寺を除霊すべきかどうかという問題とは別に、神流川は自分の個人的な動機で除霊すべきと思っていたが、そこにこだわると自分の醜い気持ちが突きつけられるようだからやめた方がいいと思ったのだろう。

 俺もこういう場合にいわゆる「正しさ」ではどちらが正解なのかはよく分からないし、怪異という超常存在が絡んでいる以上正解もないのだろう。


 ただ、俺は目の前で少し寂しそうな目をしている神流川を放っておくことは出来なかった。


 圧倒的に恵まれた環境に生まれながらよく分からない意地に囚われてそれらを自分から手放した我が儘な人物、と思う人もいるかもしれない。

 それでも俺は短い関わりながら神流川が巫女の活動に真摯に取り組んでいるのを知っていた。報酬が出るか出ないのかも分からない活動のために、HPやYouTubeのページを作り、誰かに怪異が憑けば熱心に調査を行っていた。本願寺の時は御園とのコラボ配信依頼までした。


 俺自身は正直なところ本多の夢を叶えるためにこのまま見守るのか、過去のことを思い出してもらうために除霊するのかについては明確な結論が出せずにいた。

 しかし目の前で悲しんでいる神流川の望みを叶えてあげたい、という思いが俺の心の天秤を押し切った。


 俺は意を決して口を開く。


「神流川、別に彼女を除霊する理由は神流川のエゴだけじゃない」

「……何が言いたいんですか?」

「本願寺に元に戻って欲しい人は他にもいる。だから神流川が除霊するのは別にエゴや嫉妬が理由という訳ではないってことだ」

「……なるほど。しかし、それは今彼女のチャンネルを登録している数万の方や本願寺美鏡本人の思いよりも優先されるべきことなのでしょうか?」


 それを他人に尋ねるというのは、神流川にしては弱気な態度である。

 やはり今の神流川は自己嫌悪に陥っているのだろう。しかし俺は神流川にはいつものように、何を考えているのか掴みどころがない堂々とした態度でいて欲しかった。そして俺にはそれを可能に出来るかもしれない手段があった。


「まああんまりトイレに長居するのも不自然だしそろそろ戻ろう。実は、おそらく誰よりも本願寺に、というか本多に元に戻って欲しいと思っている人を呼ぼうと思う」

「私に隠れてそんな準備をしていたのですか?」

「まあそうなるな」


 正直、会話の流れによっては彼女を呼ぶ必要はなくなっていた可能性もある。だから、もしそうなった場合は彼女には悪いが帰ってもらおうと思っていた。

 俺の言葉に神流川は一瞬拗ねたような表情を見せたが、やがていつもの無表情に戻る。


「分かりました。でしたら私は先に戻っておきます」

「ああ」


 神流川が戻っていくと、俺はスマホを取り出して佐紀野にメッセージを送るのだった。

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