佐紀野ぬこⅡ

 その後特に返事が来るとも思っていなかった俺はだらだらと日々を過ごしていた。


 しかし翌日の夜、普段は全く通知が来ない俺のツイッターにメッセージの返信が来たという通知があった。


 とりあえず無視&ブロックではなかったようだが、返事が来たからといってそれが好意的なものとは限らない。そもそも佐紀野が記憶喪失について心当たりがあるのかも定かではないし、「いきなり何言ってんだ」と罵倒される可能性は十分にある。

 俺はある意味メッセージを送った時よりもドキドキしながらメッセージを開く。


『ネットで匿名で活動しているのにいきなりリアルのメッセージを送ってくるのはマナー違反だし、他人の個人情報を調べ上げていることには恐怖しかありません。とはいえあなたは彼女の記憶喪失について何かご存知なのでしょうか』


 怪しみつつも、彼女も本多のことは気になっていたようで、俺にボールを投げてきた。どうやら本多が記憶の一部を失っているという認識は共有出来ているらしい。


 とはいえここで怪異云々のことを持ち出せば宗教の勧誘か何かと勘違いされる可能性もある。

 俺は頭を抱えてうんうんと唸った末、怪異のことを伏せ、多少事実を改変してそれっぽい内容を送る。


『不躾なメッセージにお答えいただきありがとうございます。彼女の記憶喪失について大学の詳しい人に聞いてみたところ、昔の知り合いや出来事について話すなどの治療を根気よく続けていけば治るかもしれないとのことです。ただ、もし記憶喪失が何かのトラウマによるものだったら無理に治療するのは危険だとのことなので、経緯などを教えていただけないかと』


 多少事実を改変するどころか、いつの間にか嘘八百になっていて驚く。とはいえ、ここまで来てしまうともはや引き下がることは出来ない。

 俺はそのメッセージを送る。


『彼女の記憶喪失って本当?』


 どうやら佐紀野の中で俺への怪しさよりも彼女を治したいという気持ちの方が勝利したらしい。

 俺はほっと息をつく。


『おそらく』

『原因は分かりますか?』

『いえ、今のところは。そのためにも彼女の情報を知りたいと思っています』


『分かりました。とはいえ、私からお話出来ることはあまりありません。二年生の途中まで、美香はクラスでいじめを受けていたようで、無視されたり変な噂を流されたりしていました。私はただの陰キャだったのでいじめには関わらず、空気のように過ごしていたのですが、ある日美香がきれいな声でVtuberの天空綺羅さんの歌を歌っているのを聞いたのです。そして勇気を出して話しかけてみました。


 それ以来、私と美香とあともう一人、名前は伏せますがAという人でVtuber好きで仲良くなったのです。そして受験シーズンになったせいか、いじめも気が付くとやんでいったのです。


 そして私たちは高校の思い出として美香をVtuberデビューさせることにしました。あなたはそのことを知っていますか?』


『本願寺美鏡ですよね?』

『知っているなら話が早いです。私が絵を描き、Aが機材関係の諸々を美香に教えていました。そして私たちは趣味で細々と活動していたのです。

 そして、受験が終わり、彼女はいよいよ人気が出ました。今の時代、ネットでも繋がっているし別の大学に行っても頑張ろうね、と言い合っていたところで彼女は私たちのことを忘れてしまったようです。そして本願寺美鏡も性格が少し変わったような気がします。そのため、最初私は彼女が人気が出たから私とAを捨てたのかもと思ったのですが、でも美香はそんなことをする人じゃないって信じています!』


 佐紀野のメッセージからは彼女の切実な願いが感じられた。確かに怪異が憑いたタイミングと人気が出たタイミング、大学進学が被り、人間関係を整理されたのではないかと思ってしまったのだろう。突然人が記憶喪失になるよりもそちらの方がよほど現実的な可能性ではないか、と同じ状況であれば俺も思ってしまうかもしれない。


『その時の本多さんはどのような人だったのでしょうか?』

『友達の性格を言葉で説明するのは難しいですが……元々明るくて社交的だったのに、いじめを受けていたせいでそんな自分を素直にさらけ出すことに屈折を抱えていて、でも変なところが真面目でした』


 今の本願寺を見ている限り、明るくて社交的というところは一致しているが、漏れ聞こえてくるエピソードではあまり真面目さはなさそうだ。

 もっとも、俺はVtuberとしての本願寺しか知らないので今の本多がどんな感じかは分からないが。


『そして、そんな彼女を変えてくれた天空綺羅さんには強い憧れを抱いていたのです。だから一時期やたら御園桜さんに執着していた時はカップリング営業か何かかと疑ってしまったぐらいです』


 あの件については彼女にどう説明していいか分からない。

 少し迷った末、


『何か「さくみか」を強く推すファンがいて、彼女はその期待に応えるためにちょっとそれに寄せ過ぎたらしいですよ』


 と当たり障りのない答えをしておく。


『あと、最初は天空綺羅さんに並び立てるようにと歌メインの活動をしていたらしいですが、最近はもっぱらゲームとバラエティ路線ですよね』

『確かに』


 それについては残念ながら本願寺の歌声は佐紀野を魅了しても、リスナーを魅了することは出来なかったということではないか。


『でも、私が描いた絵よりも今のモデルの方が絶対可愛いし、今のトークもうまいから、過去に戻っていいから、こんなことを本人に言う方が迷惑なのかなとも思っていて、でも忘れられているのは理解出来ないし、ずっと葛藤していたんです』


 もしかしたら佐紀野はその悩みを誰かに打ち明けたかったのかもしれない。とはいえ、その事情を知っている人は多分Aさんぐらいしかいないし、事情を知らない人に説明して分かってもらえる話でもない。

 そこに怪しいとはいえ俺が現れたからつい饒舌になってしまったのではないか。こういう悩みは親しい人よりも全く関係ない人の方がかえって話しやすいということはよくあることだ。

 俺は勝手にそう解釈する。


『事情は何となく分かりました。本多さんが思い出したら連絡するよう伝えておきます』

『お願いします』


 こうして佐紀野とのやりとりは終わった。

 御園と話した時は本願寺を元に戻すのは良くないとも思ったが、佐紀野との会話を聞くとやはりこんなことは良くない、と思ってしまう。

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