本多
一時間半ほどして講義が終わり、教室の中からぞろぞろと学生が出てくる。
友達と談笑しながら歩いて来る生徒もいるが、幸い今日の本多は一人で歩いてきた。俺たちは本多が校舎を出たところを狙って声をかける。
「すみません、少しお話させていただいても構わないでしょうか?」
こういう時、神流川のように容姿端麗だと有利なのではないか。人間は第一印象が大事だと言うが、容姿がいい方が邪険に扱われにくいのではないかと思っている。
実際、神流川に声を掛けられた本多は困惑してはいるが、不快そうな雰囲気はない。ちなみに神流川の後ろにいる俺を見ても、無反応だった。相変わらず俺のことは忘れているのだろう。
「あの……サークルの勧誘か何かでしょうか?」
「当たらずとも遠からずというところですね。サークルに明確な定義はありませんので、私と古城さんは同じサークルと言えるかもしれません」
名乗ってしまえばサークルではあるので、大学には無数のサークルが乱立する。ただ一緒にゲームをするだけでも、ただ一緒に趣味について話すだけでも立派なサークルと言えるだろう。
「あはは」
そんな神流川のユーモア(?)に本多は少し笑ってくれた。
「あと、先に言っておきますと私たちはこの二人だけの集団なので、宗教団体とかでもありません」
ちなみに、大学構内では時々宗教の勧誘が行われるし、大学付近で一人暮らしをしているとたまに訪問勧誘を受けることもある。神流川の言葉に本多は苦笑して頷いた。やはり美人というのは便利だ。
そんな訳で俺たちは自然な流れで学食に入る。
「せっかくなので好きなものをどうぞ」
「すいません、ありがとうございます」
大学一回生はサークル勧誘などで上回生に奢られ慣れているせいか、神流川の唐突な驕りの申し出にも頷いた。もっとも、彼女にこっそりと「彼女の分は折半で」と言われたのには閉口したが。
何で善意で協力しているのに金まで出さないといけないのかとも思ったが、奢る相手が本多ならいいかと思い直す。
それに俺も本多の怪異調査に協力し、あわよくば除霊後の彼女と仲良くするきっかけを作ろうと言う下心もあった。
本多はご飯と白身魚のフライ、野菜の小鉢を一品とり、俺はカレーを、神流川はパフェだけを頼んでテーブル席につく。まだ昼前だったのでがらがらだが、次の講義が終わった後ぐらいに食堂は学生で埋め尽くされるだろう。
「それで一体何のお話でしょうか?」
本多が神流川に尋ねる。彼女にとって、俺は神流川についてきている後輩に過ぎないらしい。
「まず自己紹介させていただくと、私は三回の神流川奏と言います」
「一回生の古城和久だ」
「本多です」
警戒を解いてはいないのだろう、彼女は言葉少なに名乗る。
「何から話せばいいのかは難しいですが、まずは先日彼の身に起こった出来事について聴いて欲しいのです。こちらの彼、古城さんは突然体中が泥だらけになるという事件に遭遇しました」
「え? その話は……」
俺が文句を言おうとすると、神流川は首をかしげた。
確かにいきなり「怪異がいます」と言われても普通の人は何のこっちゃだから実際に起こったことを話した方が早いというのは一理ある。
しかしよりにもよって俺が本多を好きだったという話を本人の前でするのはデリカシーがなさすぎるのではないか……というところまで考えたところで気づく。
そう言えば神流川には俺の初恋の人が本多だということは話していなかった。
じゃあ大丈夫なのか?
でも本多も俺の詳細なエピソードを聞けばさすがに俺だと気づくのではないか?
いや、今の彼女は記憶喪失だから思い出さないのか?
でもそこまで詳細な話を聞けば思い出すような、そしたら俺のことを思い出して欲しいけど気づいて欲しくはない、と俺は自分の情緒がぐちゃぐちゃになるのを感じる。
俺が混乱している間にも神流川は俺の怪異を祓ったという話を勝手に話を進めていく。俺は神流川の話に適当に相槌を打ちながら本多の様子を窺うが、彼女はその話を聞いて何かを思い出しているようには見えない。少々困惑しているのは俺についてではなく突然怪異がどうのという話が出てきたためだろう。
「……ということがあったのです」
「なるほど」
神流川の話を聞いた本多は釈然としてはいなさそうだが、一応頷いている。作り話にしてはディティールが細かいし、宗教の勧誘の導入にしては話が地味過ぎる。体が泥だらけになるというのは微妙にインパクトがない。
かといってすぐに信じられる内容でもない。
「俺からも今の話が本当だということは言わせてもらう」
「……ということは古城君は中学のころの初恋をまだ引きずっているということ?」
本多は驚いたように尋ねる。
お前だよ、と答えたくなるのを我慢して俺は頷いた。本人にこんなことを言われるなんて何かの拷問だろうか。
「なるほど。では一応今の話が本当だと仮定して、私への用件は何でしょう? もしかして私にも怪異が憑いているから壺を買えとか言わないですよね?」
本多は冗談めかして尋ねる。
「半分は正解で半分は不正解です。あなたに怪異は憑いていますが、無料で除霊することは出来るので料金を払っていただく必要はありません」
「そうですか。でも私は別に急に泥だらけになるとかそんな異常なことはありません。何かの間違いでは?」
彼女の目は言外に自分を騙そうとしているのではないか、と疑っていた。自分に何も異常がないのに怪異が憑いているとか言われれば誰でもそういう反応になるだろう。
やはり彼女には異常なことは起きてないのか、と思う一方でここまで話を聞いて俺のことを思い出さないのはやはり異常ではないか、と思ってしまう。
この間は一言二言会話しただけだから思い出せなくても仕方ないと思ったが、今は数十分話しているし、しかも神流川は転校の話などはまあまあ具体的に話していたのに本多は思い当たっている様子はない。
ちなみに、神流川は話のディティールを上げるために詳細に話したのだろうが、俺の方は自分の情けない話を他人にされて恥ずかしいことこの上なかった。
仮に怪異とは関係なく本当に俺のことは忘れているとして、転校のタイミングや転校直前にその話を告げていったという話を聞いて自分のことを思い出さないということがあるだろうか。
「間違いではありません。別にお金をとったり何かを要求したりはしませんので除霊だけでもさせていただけないでしょうか?」
「お金が目的でないなら何が目的なんですか?」
「私がしたいからするだけです」
一方の神流川は怪しくないことを説明しようとして逆に怪しまれてしまっている。俺は元々彼女が変な人だと思っていたから信じたが、普通の人はこんな風に言われたら何か裏の目的があると思ってしまうのかもしれない。人は自分が理解できる目的で行動していない人のことはたやすく信じられないだろう。
雲行きが怪しくなってきた、と思った俺は口を挟む。
「本多、いや本多さんの中学高校の時のことを教えてくれないか?」
「え、何ですか急に」
本多は俺のことを訝し気に見つめてくる。俺は彼女が記憶をどの程度失っているのかを知りたかったのだが、確かにいきなりそんなことを訊かれれば不審に思うだろう。
まずい、と思ったら時すでに遅し。本多は急に立ち上がる。
「お昼ご飯、ありがとうございました。そろそろ次の講義があるので失礼します」
そう言って彼女は逃げるように去っていったのだった。
後に残された俺たちは困惑しながら顔を見合わせる。
「やっぱり憑いているのは間違いないんだよな?」
「はい、憑いています。何か不審なところはありませんでしたか?」
「実は俺の初恋の話、あいつなんだよ」
「……え?」
唐突な俺のカミングアウトに神流川の目が点になる。
よほど驚いたのだろう、こんな表情の彼女を見たことがないので少し新鮮だったが、笑っている場合でもない。
「だから、俺がいまだに初恋を引きずっている相手というのが本多なんだ」
「要するに怪異VS怪異の超常バトルだった訳ですね。そう言えば、本願寺美鏡の時も『ねむの木』の怪異と戦っていましたし、というか本多美香と本願寺美鏡が同一人物だったら彼女の周りは怪異だらけです。やはり怪異というのは惹き合う運命にあるのかもしれません」
そもそもからして、神流川自体が怪異に憑かれている以上、それは正しいのだろう。
「いや、それよりも妙だと思わないか? 普通あの転校の話をあそこまで詳細にされたらもう少し何か反応があるだろう。あれはきっと全く覚えてないってことだ」
「言われてみればそうですね……しかしそう考えると古城さんはかなり可哀想です」
「それは今は言わないでくれ」
考えないようにしていたことを指摘されて俺は傷つく。初恋を引きずっているだけでも変なのにその相手に対してまるまる俺の初恋エピソードが語られ、しかも相手は忘れているからそれを他人事のように聞いていたなどということがあるだろうか。
「なるほど。それなら彼女の知り合いを当たるのみです」
「知り合いって言うと大学の友達とか?」
「そうですね。一応当たってはみますが、大学の友達程度では彼女の真相には迫れない気がします。大学に入ってからすでに記憶を失っているのであれば友達も何も知らないからです」
「それはそうだな」
「……ちなみに例の中学時代の記憶が全て古城さんの妄想だったとかいうオチはないですよね?」
神流川がとても失礼なことを確認してくる。
真顔だし悪気はないのだろうと思っていても嫌な気持ちになってしまう。
「そんな訳ないだろ。というかそうだったら俺は妄想のし過ぎで怪異にとり憑かれたことになるじゃねえか」
「それは確かに」
さすがに妄想で怪異に憑かれるのはご免だ。
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