第三章 本多美香の事情

二人の怪異

「最近すごく暑くなったな」

「何言ってんだ。これからが皆薄着になる季節だろ!」


 俺が最近の暑さを嘆いていると、友田が真顔で言い返してくる。本当にこいつはぶれないし、常に無駄にポジティブだ。ここまで一貫していると軽蔑や嘲笑を通り越してうらやましくなる。

 確かに暑さのせいで周囲は薄着の人が多くなった。もっとも俺は大分前からシャツ一枚で歩いているのでこれ以上どうしようもないが。

 俺もこいつみたいになれればもう少し人生楽しく生きられそうなのだが。


 「ねむの木」の事件は解決し、本願寺は一時期ほど御園桜との関係に言及しなくなったし、他のVtuberともコラボするようになった。相変わらず本願寺本人に憑いた怪異は残っているらしいが、俺は平凡な大学生活に戻っていた。結局怪異というのはよほど近くで発生しなければ生活に大した影響はない存在なのだろう。


 そんなことを思いながら俺たちは次の講義に向かうため大学構内を歩く。

 そんな俺の隣で友田は血眼になって薄着の女性を探してはじろじろと見つめている。恐らくだが、こいつは怪異とは無縁の存在なのだろう。俺は何となくそう思った。


「おい、あの人美人じゃないか!?」


 そう言って彼は清楚そうな白いワンピースの女性を指さす。シンプルでありながら彼女のスタイルがいいせいか、綺麗だ。


「しかも清楚さだけじゃない。鎖骨に滲んでいる汗がエロい」


 確かに夏だからか、彼女のワンピースは胸元がやや緩く、鎖骨が覗いている……というのを目で追ってしまったことに気づいた後に友田の頭を叩く。


「いてっ、何するんだ」

「やめろ。そういう視線、女子は結構気づくらしいぞ」


 というところまで話して彼女が歩く向きを変え、横顔が見えて気づく。

 あれは本多ではないか。


 それに気づいた瞬間俺は動悸が速くなり、同時にそんな自分に呆れてしまう。一体いつまで大昔の初恋を引きずっているんだ。しかもそれを進展させる気もないというのに。そんなんだから怪異に取り憑かれるんじゃないか。

 友田のようにとは言わないが、俺ももっと普通に生きることが出来ればいいのに。

 が、俺がそんな風にいきなり物思いにふけっていると友田は勝手にヒートアップしていく。


「そうか? よし、それなら話しかけよう! 会話している相手のことなら見ていても問題ないだろ!」

「いや、会話相手の鎖骨を見るのは不審すぎだろ」


 相変わらずこいつの思考回路は短絡的であったが、俺が指摘し終える前に彼は駆け出してしまう。

 そして友田は本多の元に向かい、いきなり話しかける。


「すみません、次の授業、臨時で工学部の校舎で行われることになったんですが、どっちか分かりますか?」


 友田の言葉に、古典的なナンパか、と心中突っ込んでしまう。

 一回生の授業は大体一般教養なので「教養棟」と呼ばれるエリアで行われることが多い。回生が進んでいくにつれ、各学部の教室で行われることが増えていく。


 しかしたまに教室が使えなかったり教授の都合だったりで違う場所で行われることがある。大学は中学や高校と違って敷地が広いので、そうなると一回生は場所が分からなくなってしまう。


 ちなみに教養棟は文系学部の校舎が集まる近くにあり、工学部の校舎は少し離れているのだが、俺たちの次の授業は別に工学部の校舎で行われる訳ではない。


「工学部……あちらの建物ね」


 そう言って本多は全く違う建物を指さす。本当に勘違いしているのか、ナンパを追い払うために嘘を教えたのかはよく分からない。


「ちょっとよく分からないんで案内してもらえません?」


 友田は本多の鎖骨を見ながらなおも食い下がる。

 本多はそれでも顔をしかめることなく、愛想笑いで


「私も次の授業あるんで」


 と断った。

 なおも食い下がろうとする友田を見てさすがに俺が友田を止めなければ、そしてあわよくば本多と会話したい、と思った時だった。

 不意に俺は彼女の声をどこかで聞いたことがあるような気がしてくる。

 もちろん中学校のころに本多の声は毎日のように聞いていたのだが、それとは違う。約五年の歳月を経て本多の声は少し変わっている。


 では一体何なんだ、と思ったところで俺は思い出した。


 神流川の調査に協力するために俺が見まくった本願寺の動画を大量に見たが、その声と似ているのだ。

 もちろんインターネット越しに聞いている上に本願寺も素の声のまま話している訳ではないので完全に一致している訳ではない。

 とはいえ今の本多の声を、機械を通すことで本願寺の声になるような気がする。


 また本願寺の配信を見た限り、ドラマや映画の話題などから彼女は俺と同年代であるとは思っていた。


「ということはもしかして本多は本願寺なのか?」


 自問してみるが、確信は得られない。その間にも本多は友田から半ば逃げるように去っていくのが見える。


「くそー、ガードが堅いな」


 そう言って友田は残念そうに頭をかきながら俺の元に戻ってくるが、俺はそれどころではなかった。


 そしてふと思い立つ。もし本多が本願寺であれば本多に怪異がとり憑いていることになる。逆に怪異が憑いていなければ、本多と本願寺は別人物ということになる。


 それに気づいた俺はいても立ってもいられなくなった。


 いや、違う。俺はただ本願寺に怪異が憑いているのであれば祓わなければならないと思っただけだ。決して本多と本願寺が同一人物か確かめたいという下世話な好奇心に突き動かされたわけではない、と誰にともなく言い訳をする。


「すまん、俺急用を思い出したから帰るわ」

「え? 次の講義は」

「代わりに出席いれといてくれ」

「おい、お前まさか彼女を追いかけるつもりじゃないだろうな? 抜け駆けは許さないぞ!」


 俺の突然の言葉に友田はあらぬ誤解をする。

 いや、本多の正体を探るという意味では全く当たってなくもないが。


「違う、そんなんじゃない!」


 そう言って俺も友田から逃げるようにしてその場を離れるのだった。

 一瞬にして二人から逃げられた友田は呆然としていたが、やがて首をかしげながら次の授業に向かった。


 俺はそんな友田に心の中で謝りながら、神流川に電話をかける。

 神流川は家にいたのか、すぐに繋がる。


『もしもし、古城さんの方からかけてくるのは珍しいですね』

「ああ、ちょっとすぐに会って話したいことがあって。もしかしたら本願寺の正体が分かったかもしれないんだ」

『本当ですか!? 分かりました、でしたらいつものマックでどうでしょう?』


 珍しく神流川の声が興奮に包まれる。

 いつもの、と言っても俺たちがあのマックで会ったのは一回だけだが。


「いや、出来ればすぐに大学に来て欲しい。その人に怪異が憑いているかどうか確かめて欲しいんだ」

『その方は大学生の方なのですか?』


 神流川が少し驚いたように言う。


「そうだ。直接会ってその人にも怪異が憑いていれば本願寺と同一人物か分かるだろ?」

『なるほど、分かりました。十分ほどで向かいます。その方の行方を追っておいてください』

「分かった」


 俺は電話を切るとすぐに本多を追いかける。結果的に友田に言われたように本多を追いかけることになったことに苦笑した。

 本多は「教養棟」の教室のうちの一つに入っていく。俺はその教室の入り口付近でスマホをいじりながらうろうろしている。

 中学高校と違って大学に入ると講義中でもその辺をうろうろしている人が普通にいるのは最初は少し驚きだったが、今はすっかり慣れてしまった。


 神流川にはメールで居場所を知らせると、すぐにやってきた。相変わらずTシャツにジーパンというラフな格好をしている。急いできたのか、少し息が上がっているのが分かる。


「教えてくださりありがとうございます。それでその方はどちらでしょうか?」


 俺は教室の後ろのドアから中を指さす。


「後ろから二列目の真ん中の島の……」

「すみません、分かりました」


 教室内を覗いていた神流川は俺が言い終える前に言った。しかもその表情はなかなかに驚愕に満ちている。


「憑いてますね。おそらく本願寺さんと同じ怪異でしょう。しかしパソコン越しではなく間近で見るとなかなかすごいです」

「やはり神流川は見るだけでどんな怪異か分かるのか? 俺には全然分からないんだが」

「今の古城さんは怪異の関係で言えばおおむね普通の人物ですからね。私も見ただけでは種類まではよく分かりませんが、今回は感じる圧がすごいですね。もしかしたらネット越しでも分かったのは元々の力が異様に強かったからかもしれません」

「そんなに強いのか」


 俺はいまいち実感が湧かない。


「そうですね。彼女に何か変なところはありませんでしたか?」


 とはいえ本願寺の配信にはそんなに怪異に憑かれているような変なところがあったかと言われるとよく分からない。では本多はどうだろうか。

 そうだ、そう言えば彼女は俺のことを忘れていた。


「神流川、実は彼女、本多美香は俺の中学のころの知り合いなんだ。だが彼女の方は俺のことを全く覚えていなかった」

「……それは単に覚えられていないだけでは?」


 神流川が首をかしげる。

 真顔でそう指摘されると普通に傷つくんだが。


「それはそう思ったとしても言わないで欲しいんだが」

「こほん、失礼しました。とはいえここまでの怪異が憑いているのであれば『ねむの木』の時みたいに闇討ちのような形で襲い掛かるのは難しいですね。出来れば本人の同意を得て万全の態勢で除霊したいところです」

「どうする? 授業が終わったら話しかけてみるか?」

「そうですね。そうするしかないでしょう」


 こうして俺たちは教室の外で本多の授業終わりを待つことになったのである。

 「ねむの木」の時もずっと待っていたし、こんなことばかりだな、と思いつつ俺たちはスマホで時間を潰すのだった。

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