「ねむの木」
数日後、俺の元に神流川からのメールが届く。
『「ねむの木」さんの件ですが、三日後に〇〇市の××で開かれる絵師同士のオフ会に参加するそうです。私はオフ会後に会って除霊するつもりですが、一緒に来ますか?』
そこに書かれていた地名はここからだと一時間半ほどかかりそうな地味に遠いところだった。とはいえネット上でたまたま会いにいこうと思った相手がいるところとしてはそこそこ近い部類なのかもしれない。
神流川からのメールで気づいたが、俺は何となく自分も会うのが規定事項のつもりでいたが、確かに俺は神流川を手伝っているだけで別に会わなければならないということはない。しかも三日後というのは普通に大学の授業がある日だからそんなことをしている場合ではない。向こうはイラストレーター同士の集まりだから平日かどうかはあまり関係ないのだろう。
とはいえ俺はこの時神流川の仕事をもう少し見てみたいという気持ちになっていた。これまで平凡に生きてきたことからこそふと垣間見た少し不思議な世界への憧れが抑えきれなかったのだろう。怪異という現象、そして神流川奏という人物がどのようなものかもっと知りたい、と思ってしまった。
そして授業は一回ぐらい休んでも何とかなる。
『ぜひ一緒に行きたいです』
俺はそう返信する。
一時間ほどした後、神流川からの返信が来た。
『では七月五日の十二時ごろ、△△駅の北口で待ち合わせましょう。基本的には私の仕事ですので、特に古城さんに何かを頼むことはありません。そのため特別な準備は不要です』
指定されたのはうちの最寄り駅である。神流川からは特別な準備は不要とは書かれていたので、神流川の仕事を見物に行くぐらいの気持ちで向かうことにした。
ただ、本願寺美鏡とそのファンアート界隈についての情報だけは出来る限り頭に入れるようにした。純粋に調べるのが楽しかったというのが半分、もう半分は怪異という存在が心理的なものに関係する以上、「ねむの木」に会うとき彼(男かは分からないが)が熱中している本願寺美鏡に関する情報を持っておけば役に立つかもしれないと思ったためだ。
最初にマックで会ったときの神流川を見るに彼女自身も予習はかなりしているようだが、いかんせん神流川は感覚が一般人離れしすぎている。
その点俺は普通のVtuberオタクにまあまあ感覚が近い。もし二人の会話がかみ合わなければ橋渡しぐらいは出来るようになっておきたかった。というか、神流川のあの感じだとそもそもきちんと会話するところまで行けるかが不安でもあったが。
三日後、十二時の少し前に△△駅に行く。駅に来るのはゴールデンウィークに実家に帰省した時以来だ。平日の昼間だけあって仕事で移動すると思われるサラリーマンや外国人の観光客が多い。
そんな中、十二時ちょうどにこちらに歩いてくるきれいな女性の姿が見える。今日の神流川はラフな格好の時とも巫女服の時とも全く違う印象だった。薄い青色のワンピースを着た彼女は元々の容姿の良さと合わさって避暑地にやってきた深窓のご令嬢のような清楚さがあった。
実際、すれ違った人の多くがそんな彼女をちらちらと見つめている。
まあいいところの生まれではあるし、大学にあまり行ってないという意味では深窓のご令嬢と言えなくもないが。ちなみに手には小さ目のキャリーケースを引いている。
会うのはすでに何度目かであるが、少しの間そんな彼女に普通に見とれてしまう。
「こんにちは」
彼女が挨拶して俺はようやく我に帰る。
「ああ、こんにちは」
「では行きましょうか」
そう言って彼女は切符を買い、改札に入る。俺もそれに続いた。
駅という人が多いところだからか、道行く通行人、特に男は神流川をちらちらと見る。中には俺に嫉妬の視線を向ける者もいた。まあ姉弟には見えない以上、恋人に見えたのかもしれない。
俺がずっと神流川を見てしまっていたせいだろう、ホームに上がると彼女は怪訝な目で俺を見る。
「どうかしましたか?」
「いや、いつもと違う格好だなと思って」
「そうですね。相手がオタクの方ということで、心証が良くなりそうな服を選んでみました」
「なるほど。確かにそういう意味ではすごく良さそうだな」
俺は感心する。確かにあんまり女子っぽい服を着ているとオタクは警戒することがある。彼女も色々考えているらしい。まあ女子女子した服を持っていないだけの気もするが。
が、俺の言葉に神流川は首をかしげた。
「ということは古城さんも現在私の服装にとても好印象を抱いているということでしょうか?」
「ま、まあそうなるな」
それはそうであるが正面から訊かれて答えさせられると恥ずかしい。が、神流川は特に何か突っ込みをするではなく感心しているので微妙な気分になる。
ちょうどそこへ電車がやってきたため、俺は慌てて「電車が来たな」と話題を変えた。
夏に電車に乗ると、外の暑さと車内の冷房の効き具合のギャップで乗車した瞬間は思わず身震いしてしまう。幸い空席が多かったので、俺は神流川と二人でボックス席に向かい合って座った。
すると神流川はキャリーケースからストールを取り出して肩にかける。本当に何もしゃべらなければきれいなお嬢様の見た目だ。
さらに神流川はスマホを操作して何かを見始める。どうやら昨日の本願寺の配信アーカイブだ。彼女は配信頻度が高いので、全配信を見るのはなかなか大変だ。神流川が本願寺の配信を見ておもしろいと思っているのかは謎だが、全配信を追っているのならば本当に仕事熱心だ。
しかも今回はこちらから押しかける形になる以上除霊に成功しても「ねむの木」氏から報酬が出るという期待は出来ないのに。
神流川がスマホを開いているので俺も暇つぶしに本願寺のアーカイブを見ることにした。
それから一時間半ほど電車に揺られ、俺たちは〇〇駅に到着する。俺は神流川に続いて道を歩き、一軒のファミレスに入った。
神流川は店内をぐるりと見回し、遠くにいる一つの男女グループを指さした。彼らは男女二人ずつの四人で一つの席に座り、テーブルの上にタブレットやノートPCを広げて談笑している。
「おそらくあれが『ねむの木』ですね」
そう言って神流川が指さしたのは若い男だ。横の太った男と比べると取り立てて外見的な特徴がない。恐らく似たような人は大学にはたくさんいるのではないか。
「この距離からだと何が憑いているのか分かるのか?」
「いえ、分かりません。ということはそこまで大きなものではないようでsね。ただ、今のところ彼に憑いた怪異は大人しいようですが」
「大人しい?」
「はい。例えばこの前のを例にすればとり憑いているけど何も起こってない状況です」
「じゃあ何かすると、泥をかけるみたいな派手な行為じゃなくても何となく気配で分かるということか?」
「そういうことになりますね」
それから俺たちは適当に料理を頼んだり、ドリンクバーを飲んだりしながら絵描き集団をうかがう。彼らは和気あいあいとしゃべったり絵を見せ合ったりしているだけで特に何かが起こる様子はない。
十分ほどした後、不意に神流川が真剣な表情になる。
「あ、今発動してますね」
「え、本当か!?」
とはいえ四人の方を見ても特に何かが起こっているようには見えない。強いて言えば「ねむの木」がPCの画面を見せながら他の三人に何かを熱心に話している。
それなのに神流川は見ているだけで何かが起こっていると分かるのか。
「何も起こっていないように見えるが」
「そうですね。必ずしも怪異の内容は物理的の現象を引き起こすとは限らないのです」
「例えば?」
「簡単な例で言うと、特定の音を聞くと自分や周囲の人に特定の思い出を想起させるとか」
確かにそういう感じだと外から見るだけでは分からないかもしれない。
「なるほど。ではもしかすると会話の内容にヒントがあるかもしれないということか。ちょっと近くまで行ってみる」
そう言って俺は慌てて手元にあったカルピスを飲み干し、空のコップを持って歩いていく。たまたま四人が座っている席はドリンクバーの機械へと歩く道中であり、怪しまれずに近づくことが出来る。
「……だから美鏡と……のコラボなんてありえない。やっぱりさくみかが至高だ」
ちょうど誰かが本願寺美鏡と某男性Vtuberのカップリングについて話していたらしく、ねむの木はそれに対して強い口調で反論している。
「でも……いや、言われてみればそうか」
「でもそこまで言うことなくない? カップリングなんて本人が好きにすることでしょ」
別の女性絵描きが反論する。至極真っ当な意見に思えたが、「ねむの木」は重ねて噛みつくように答える。
「いや、彼女は視聴者に配慮してくれているだけで、本当は男性コラボは好きじゃないんだ」
一応俺は本願寺の配信をかなり遡ってみたが、彼女がそう思っていそうな雰囲気は特にない。相手が誰であれ楽しんでコラボしているように見えた。まああくまで配信上の彼女しか知らないので本心は分からないが、それを言えば「ねむの木」も一緒ではないか。
とはいえ、今は怪異が何かをしているらしい。俺はドリンクバーの前で飲み物を悩んでいる振りをしながらなおも耳を澄ませる。
「まあ、本人がそう思うならその方がいいのかな」
すると、少し意外なことに女性は「ねむの木」の言うことに同意する。
他の二人も最初の時よりは賛成しているように見える。もしや「ねむの木」に憑いている怪異は自分の主張を他人に信じさせるような効果があるのだろうか。
そんな仮説を得た俺は今度はアイスコーヒーをコップに入れると席に戻った。
「何か分かりましたか?」
「実は……」
俺は今見てきたことを説明する。神流川はうんうんと頷きながら聞いていたが、俺が仮説を述べると首をかしげた。
「いや、恐らくですがそんな便利な効果を持つ怪異ではないと思います。それに、自分が話していることを何でも信じさせるのだったら彼が話している間ずっと怪異の効果は発動しているはずです」
「確かに」
そう言われてみるとそうだ。そこで俺はふとツイッターの「ねむの木」の発言や最近さくみかの絡みが増えているということを思い出す。
俺はそこまでこだわりはないが、世の中には特定のカップリングに強いこだわりを持つ「カプ厨」と呼ばれる存在がいるらしい。普通にコラボ配信を見て「てぇてぇ」とコメントするぐらいなら可愛いものだが、度が過ぎると推しカプ以外を排斥したり関係ないところでカップリングの話を持ち出すという。「ねむの木」もそれで、カップリングに関する話になった時だけ怪異の力が働くのではないか。
「もしかして『ねむの木』がカップリングの話をする時だけその効果は発動するとか?」
「なるほど、それはありえるかもしれません」
神流川は少し感心したように言う。
「そうかもしれません。怪異は基本的に本人が強いこだわりを持っているものと関係する存在であることが多いです。『ねむの木』はカップリングにこだわりすぎて怪異に憑かれたのかもしれません」
だとすれば業が深い限りだ。
「そのせいで最近は本願寺の活動にも影響を及ぼしているのかもしれない。本願寺の意志がどうとか言っていたけど、その彼が意志を歪めているんだとしたら恐ろしい話だな」
「とはいえ怪異の存在を彼が自覚しているのかは分かりませんけどね」
「確かに、自分の言ったことに周囲が同調するだけなら、別に不自然とは思わないか」
そういう怪異だとしても彼は自分を発信力のある人間だと思うだけかもしれない。
そう思うと余計に恐ろしくなってくる。もしかするとこれまでの俺の人生でも、自分の意志でしていたことが誰かの怪異による影響だった可能性もあるということだ。そう思うと、何も信じられなくなってくる。
怖くなった俺は慌てて話題を変えた。
「それでこの後どうするんだ?」
「そうですね、オフ会が終わった頃合いを見計らって本人に声を掛けます。この分だと本人の同意を得るのが難しそうですが……やってみるしかないでしょう。成功確率は下がりますが、本人の同意はなくとも除霊は出来ますし」
「なるほど」
言われてみればそれはそうだ。
その後はお互い特に話すこともなくなり、俺はスマホをいじりながら、神流川はタブレットを操作しながら時間を潰したのだった。
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