現代の巫女Ⅱ
俺たちは少し歩いてから小綺麗なアパートに到着する。今日は大分気温が高くなっていて、少し歩いただけなのに全身が汗だくになっていた。
大学生の下宿にしてはいいところだった。神流川奏は二階の一室の前に立ち止まり、鍵を開ける。
「お邪魔します」
俺はそう言って部屋に上がる。
大学生の一人暮らしというと、大半は1Kのユニットバスのイメージだが、何と神流川家は1LDKでお風呂とトイレも分かれていた。この辺りは実家が裕福だからこそなのだろう。
が、せっかくのダイニングキッチンはカップ麺の空き容器やレトルトカレーの袋が散らばっている。キッチンには汚れた皿が乱雑に置かれていて、あまり料理された形跡はない。唯一炊飯器と給湯器の周りだけは不要なものがどけられた形跡がある。
「こちらへ」
俺はそんなキッチンを通り過ぎて神流川の自室に通される。
キッチンの惨状から考えると意外なことに、部屋の方はそこそこ片付いていた。ベッドと座卓、そして本棚があるだけのシンプルな部屋だ。机の上にはこの前持ち歩いていたノートPCが置かれている。散らかっていないのは物が少ないからというだけかもしれない。
神流川は冷房をつけると俺に机の横を指す。
「座っていてください、お茶を持ってきます」
そう言って神流川はキッチンからお茶の入ったコップを二つ持ってくる。
冷房から冷たい風が噴き出し、差し出された水出しの麦茶を飲むと生き返るようだった。
そして満を持して神流川は俺の向かい側に座る。
「さて、それでは話を聞かせてもらいましょうか。あなたにとり憑いているのは何物なんでしょうか」
「一体何から話せばいいのか分からないが……」
恐らく怪異らしき存在が出てきたのはあの夢が最初であるが、夢の話をするためには俺の初恋の話をしなければならない。しかも俺が泥まみれになっているのは昨日の配信で本願寺が言っていた「泥の中の宝物」と関係があるような気がしなくもない。
偶然と言われればそれまでだが、俺が初恋と泥を結び付けて考えているせいで泥だらけになっている可能性が高い。
結局、俺は初恋の話から本願寺の話に至るまで全てを話さざるを得なかった。
本願寺の話題になると、神流川は一瞬眉をぴくりと動かした。そう言えば昨日俺が本願寺の配信を見たのは神流川がきっかけだった気がする。
とはいえ神流川は今は俺の話を優先してくれたのか、本願寺については何も言わなかった。
「……というのが、俺が思う怪異の全貌だ。他にも実は関係していることとかあるのかもしれないが、俺が思い当たるのはこんなものだな」
「要するに、古城さんが初恋を未だに引きずっているところを怪異に付け込まれた訳ですね。おそらく怪異としてはあなたが怪異の言葉に乗っかって本多美香の転校を阻止するよう望んで欲しかったところ、拒否されたので悪さをしているのでしょう。おそらく、今後あなたは初恋を想起する出来事に遭遇するたびに泥だらけになりますよ」
「そんな!」
それは困る。大学生の飲み会と言えば、絶対異性の話題が出るに決まっている。そのたびに俺は初恋を思い出し泥だらけにならなければいけないというのか。
しかも本多は恐らくこの大学に在籍している。顔を合わせる機会は今後もあるだろう。
が、そこで俺はふと疑問に思う。
「そう言えば、もし夢の中で怪異の口車に乗っていれば何かが起こったのか?」
「そうですね。何らかの形で現実に影響はあると思います。とはいえ、あなたにとり憑いている怪異は幸いなことに弱い怪異です。もし願い事を叶えてもらうとしても、例えば転校はなくなるけど高校受験で別れるとか、あるいは転校はしなかったけど告白もしなかったとか、そういう風に小さく過去が変わる程度だと思います。もしかしたら、それよりもさらに小さい変化かもしれませんが」
なるほど、それなら俺の答えで運命が変わっていたということはなかったのか、とほっとしてしまう。
とはいえわずかとはいえ人一人の過去を変えるとはなかなか異常な力だ。
が、俺はその話を神流川にしている間にふと疑問が浮かんでいた。
「そう言えば、なぜ怪異は俺の元に現れたんだ? そんな誰の元にでも現れるものではないんだろう?」
そうだとすれば怪異はもっとメジャーな存在になっていてもいいはずだ。
が、俺はこの年になるまで怪異とは遭遇せずに生きてくることが出来た。ということはやはり限られた人しか遭遇しないのだろうが、それが俺だったのは偶然だったのだろうか。
「それについては多少言いづらいですが、怪異というのは言うなれば常識外の存在です。そのため、常識通りに生きている人の元には現れないものです」
なるほど、確かに神流川はあまり常識に囚われてはいなさそうな人物だ。
だとすると……ん?
「初恋で告白出来なかったというのはそんなに非常識か? ラブコメとかだとよく見る展開だが」
「まずラブコメがフィクションだというのはさておき、告白出来ないことというよりは告白出来なかった上にその初恋に今もがんじがらめになっていることが非常識なのかと思います」
「え、そうなのか?」
神流川の言葉に俺は愕然とする。俺は初恋というのはそういう重いものかと思っていたが、そうではないのか?
言われてみれば高校大学と普通に彼女を作っている人はたくさんいるし、友田も初恋は恐らくこれまでに経験しているだろうが、女性に対してはかなり軽薄だ。
考えてみればこんなことで悩んでいるのは俺だけかもしれない、と思えてくる。
「ま、まあ私は恋愛事情には詳しくないですが、もしかしたら古城さんはそういう体質だっただけかもしれませんね」
神流川がとってつけたようなフォローを入れてくれる。いや、これまでこんな現象に遭遇していない以上そんな体質ではないと思うんだが。
そして普段淡々と話す人に気を遣われてしまうと逆に傷つく。
そしてそこまで話したところでこれまでずっと淡々と説明していた神流川が急に申し訳なさそうな表情に変わる。
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