現代の巫女Ⅰ

「え、これ?」


 あまりに予想外な言葉に俺は思わず訊き返してしまう。そもそもこの泥は俺ですら何か分からないのに、神流川に分かるのだろうか。


「もしかしてこの泥って先輩がいたずらでやったとかですか?」

「そんなしょうもないことをしませんよ。私から言えるのはこれは物理的な法則を超えた存在である怪異、言い換えれば超常現象によるものだということだけです」

「は? 超常現象?」


 神流川の口から突然飛び出した変な言葉に俺は思わず訊き返してしまう。

 しかし神流川はいつもの感情の起伏のあまりない表情のままで、ことさらに俺を騙そうという雰囲気は感じられないし、厨二病特有の「私は世界の真理に気づいている」というような自負も感じない。ただ、いつものように自分の思ったことを淡々と話している、そんな雰囲気だった。


「そんなことがあるのか?」

「あるんですよ。というか、それについてはあなたが身をもって体験してるのではないでしょうか?」

「それはそうだが……」


 確かに俺が体験したことは超常現象にでも頼らないと説明がつかない現象だ。

 だからといって、「超常現象です」と言われてそうなんですねと納得できるほど俺は頭が柔らかくない。

 それに、超常現象にしては起こっていることが地味で少し納得しづらい。もっとこう派手な超能力に目覚めるとか、突然目の前で大爆発が起こるとかそういうのであって欲しかった。


「そ、そんなことを言うならその証拠を見せてくれ!」


 気が付くと俺は先輩であるはずの神流川にため口で話していた。

 超常現象であることを信じられないと言いつつも、信ずるに足る証拠が欲しい。そんな複雑な感情に俺は苛まれていた。


「証拠としては弱いですが、いいでしょう」


 そう言って神流川はポケットから一枚のお札のようなものを取り出す。俺は素人なのでよく分からないが、神社などに貼ってあるお札に似ている気がする。

 彼女は漫画に出てくる陰陽師のようにそれを人差し指と中指でつまむと、ぴしっと俺に突き付ける。


「現代の巫女神流川奏が命ず。善なる怪異よ、異常を正常に戻せ」


 彼女が呪文のような祝詞のような台詞を唱えた瞬間だった。


 突然、先ほどまで俺の服にこびりついていた泥が消滅する。

 単に拭いたとか払ったとかではなく、本当に消滅したのだ。


 あっという間の出来事だったが、それを見て俺はしばらく言葉を発することが出来なかった。


「な、何だ今のは!?」

「取り急ぎ今できるのはこれが限界です。恐らく古城さんは何らかの怪異に取りつかれていて、その仕業により泥だらけになっているのでしょう。そのため泥を取り除きましたが、今のところ大本である怪異そのものを祓うには至っていません」

「え、ということは、神流川は超能力者みたいなものなのか!?」


 当然すぐに信じられることではなかったが、言われてみれば彼女はどこか浮世離れしているところがあった。さすがに超能力者とは思っていなかったが、全く信じられない訳ではない。

 が、俺の言葉に彼女は首を横に振る。


「違いますよ。私も言うなればあなたと同じ、ただの怪異に憑かれた存在です。ただ、あなたの怪異はあなたを泥だらけにするのに対して、私は怪異の能力を使いこなしている。それだけの違いです」

「要するにこの世には実はこういう怪異がたくさんいるってことか?」


 すごい体験をしたような気がしたが、自分の体験がそこまで特別なものでないと言われてしまうのは少し残念な気分だった。


「そういうことです。怪異に取りつかれた者は他人よりその気配に敏感になります。そのため、私は身近に他の怪異がいるのを見つければ出来るだけ祓うようにしています。今日わざわざ大学に来たのも気配を感じたからです。まさかそれが知り合いとは思いませんでしたが」

「いや、怪異の気配がなくても大学には行くべきだろ」

「今はそういう話はしていません」


 頭が追いつかなさ過ぎてどうでもいいことを指摘してしまう。今は神流川の大学事情はどうでもいいというのに。


「よく分からないが、話を整理すると、この世には怪異という超常存在がいて、俺は怪異に悪さをされているが先輩は怪異の力を使いこなして除霊みたいなことが出来るってことか……あ、いや、ことでしょうか?」


 俺は興奮しすぎて敬語が外れていたことに気づく。

 というか、向こうが後輩の俺にも丁寧語で話してくれているのにこちらがため口になっているというのは変だ。


「気にしなくていいですよ。敬語というのは基本的に、自分と同等であまり親しくない相手か、自分より目上の相手に使うものです。私は別に年齢や回生が上だからといって人としての格が古城さんより上だとは思っていません。もちろん、実家の大きさも同じです」

「そ、そうか」


 とはいえ神流川奏に対してはなぜか敬語を使わない方がしっくりきた。ざっくり言えば相手が変な人だから、なのだがうまく言葉に出来ない。相手が自分と同じ土俵に立っていないから上下関係もないということなのだろうか。


 そこでふと、それなら神流川が敬語を使わない相手がいるのかということが気になったが、今はそれよりも自分のことだ、と思い直す。


「とにかく、神流川なら俺にとり憑いたこの怪異? を祓えるということか?」

「そういうことです。と言っても多少準備が必要ですので、うちに来ていただくか後日またどこかでお会いしないと無理ですが」

「え、今から行ってもいいのか?」

「そうしてもらえると私も話が早くて楽ですね」


 それなら俺には断る理由もない。不意打ちで体が泥だらけになるような生活とは一刻も早くおさらばしたいに決まっている。


 確か神流川は大学付近で一人暮らしをしていたはずだ。思っていたのとは大分違うが、女子が一人暮らししている家にお邪魔するというのは今の状況とはまた違った意味で緊張してしまう。


「それでは詳しい話はうちで聞きましょうか。ここは暑いですし」


 家を出た時はまだ朝だったが、話しているうちにすっかり日が高くなっている。

 話に夢中で意識していなかったが、焼き付ける太陽を見た瞬間全身からじっとりと汗が噴き出した。


「とはいえ、先に言っておきますが女の子の一人暮らし的なものをうちに期待しないでくださいね」

「あ、ああ」


 元より俺は神流川奏を異性として認識したことはない。見た目は確かにきれいなのだが、少しでもしゃべると内面から変なものが滲み出ている。しかも怪異の話まで出てしまうと、家で二人きりになると言われても異性として意識することなど出来ないというものだ。

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