神流川奏Ⅱ

「何で先輩は店内がこんなに混んでいるのにあえてここでPC開いてるんですか?」

「実は先月のネット料金を振り込み忘れていましてね。先ほど払ったのですが、まだうちのネットは通じてないんですよ」

「……そうですか」


 人形のきれいな顔立ちで淡々と答えるものだから大層な理由かと思ったが、思ったよりもしょうもない理由で俺は呆れたくなる。


 神流川奏は大学にもいかずにその辺をうろうろしているのだが、おおむねファミレスやマックでPCを開いていることが多い。さすがに他人のPCを横からのぞき見るのは失礼だが、ちらっと見えた限りだとネットサーフィンや動画鑑賞をしていることが多い気がする。


 言い換えると、何もしてないとも言える。

 とはいえ一応会話のネタとして訊いてみることにする。


「今日は何をしているんですか?」

「インターネットを巡回して異常が発生してないか確認しているんですよ」

「要はネットサーフィンってことですよね?」

「……。まあそう思いたければそう思ってもらって結構です」


 神流川奏は若干悔しそうな表情を浮かべたが、特に反論はしなかった。いわゆる、本人は高尚なことをしているつもり、というパターンだろうか。


 とはいえ一緒の席に座ったものの、お互いそこまで親しい訳でもないので話題に困る。同じ大学という以外に共通点はない上に向こうは大学に通っていないのだから当然だ。

 というか、困っているのは俺だけで先輩は一人でPCと向き合っているだけだが。


 俺は無言でポテトを口に運びながら彼女の前で本を読み始めても大丈夫なのかどうかを考え始めた。

 すると、おもむろに神流川奏は口を開く。


「そう言えば、古城さんは本願寺美鏡についてご存知でしょうか?」

「ああ、知ってますよ。最近人気のVtuberですよね?」

「はい」


 俺は神流川奏の口から彼女の名が出てきたことに驚く。


 Vtuberとはライブ2Dと呼ばれる本人の動きに連動して動く立ち絵(もしくは3Dモデル)を使って動画や配信を行う人々のことであり、最近人気上昇中のコンテンツでもある。


 俺も最近はよく配信を見ているが、何か思わせぶりなことを言っておきながら神流川はVtuberの配信を見ていただけなのか、と拍子抜けしてしまう。それだと俺の普段の日々と大して変わらないではないか。


 本願寺美鏡というのはデビューしてもうすぐ一年になるVtuberで、当初は歌などがメインのアイドル系Vtuberとして活動していた。

 事務所などには所属せず個人で活動していたこともあり当初はそこまで人気ではなかったが、今年の三月ごろに他のVtuberとゲーム配信でコラボしていた時にゲーム内でクズっぽい行為を行う様子をまとめた動画がファンによりまとめられ、バズっていて最近はチャンネル登録者数も十万に迫るらしい。

 これは個人としては割と多い数字だろう。


 いわゆるサバイバル系のゲームなのだが、その時本願寺はコラボ相手と協力して素材集めをしていた。その時コラボ相手が集めてきた素材をこっそり自分の物にして、まるで自分が集めてきたかのように装って、相手に「全然集まってないじゃん」「私はもうこんなに集まったのに」などと煽ったのだ。


 正直一歩間違えれば炎上していたかもしれないが、コラボ相手がうまくネタとして突っ込みを入れていたこと、素材がゲーム内でそんなに価値が高くないものであったこともあっておおむね笑いとしてとらえた視聴者が多かったらしい。

 そしてコラボ相手が大手事務所に所属する人気Vtuberだったこと、さらにその切り抜き動画の編集が上手かったこともありその動画が拡散されて本願寺の知名度は上がった。

 また、その辺りの時期から活動頻度も上がっていったようだ。

 かくいう俺もその動画を見ておもしろいと思い、本願寺美鏡を追い始めたうちの一人だ。


 何にせよ神流川の口からその名前が出たのは意外だった。


「彼女、最近おかしなところはありませんか?」

「おかしなところと言われても……」


 Vtuberというのは話題にならなければ視聴者が増えないという都合上、皆大なり小なりおもしろおかしく振る舞っている者が多い。それが作っている性格なのか、元からそういう性格なのかは分からないが。

 本願寺美鏡もその動画がバズってチャンネル登録者数が増えてからは、それ目当てで見に来たリスナーを意識してか、時折少しクズっぽい行為をするようになった。


 それがおかしなことと言えばおかしなことだが、あえて言うほどとも思えない。おそらく界隈を探せばもっと過激な活動をしているVtuberはいくらでもいるはずだ。


「いや、特にないんじゃないですかね」

「……そうですか。私はそもそも彼女のことをそんなに知っている訳ではないので、おかしいかどうかを判別するには、過去の全配信を遡らなければならず、大変だったところなのですよ。今もそれで忙しいんです」

「……そうですか。でも何でそんなことしているんです?」

「秘密です」


 この時の俺は、ただ神流川が本願寺美鏡にドはまりしてひたすら過去配信のアーカイブを視聴しているのが恥ずかしくてそういう言い訳をしているだけなのではないか、と割と本気で思っていた。

 とはいえ彼女がそこまで言うと気になってしまうところはある。


「分かりました。俺も今度はもうちょっと注意して見てみます」

「はい、何か分かったら教えてください」


 そんな話をしたところで俺の手元のポテトがなくなっているのに気づく。

 俺はそんなに食べていないのになくなるの早いな、と思っていたらかすかにではあるが神流川奏の口が動いている。


「あの、先輩もしかして俺のポテト食べました?」

「……気のせいでしょう」


 そう言って、神流川はのどぼとけを上下させる。


「今飲み込みましたよね?」


 俺の指摘に、彼女はこほんと咳払いしてPCから視線を上げる。


「仕方ないでしょう、目の前で揚げたてのポテト食べるなんて飯テロ以外の何物でもありません。そんなことされたら盗まざるを得ません」

「いや、先輩なんですから後輩にたからずに新しく注文してください。どうせ長時間席を占拠してるんですから」

「……それはその、私もお金があまりある訳ではないので」


 神流川奏は言いづらそうに言う。

 そう言えばインターネット代金がどうとか言っていたが、もしかして単なる払い忘れではなかったのではないか。


 そこで俺は前々から疑問に思っていたことを尋ねることにする。


「お金と言えば、神流川先輩はあの神流川なんですか?」

「そうだと言ったらどうします?」


 神流川は今までよりも少しだけ真面目なトーンで訊き返す。


 神流川太郎と言えば元は携帯会社で成功し、その後次々と有名企業を買収して「神流川グループ」と呼ばれる企業の集まりを作り上げた有名な人物である。今の日本の社長の中では一番有名な人物だろう。


 神流川という苗字は珍しいので最初に会った時は真っ先に連想してしまったが、なかなか聞けないでいた。

 とはいえ聞く前はそこまで考えなかったが、本人の立場に立って考えてみると会う人会う人から同じことを訊かれるのは正直しんどいだろう。


「……すいません、突っ込んだことを訊いてしまって」

「まあ、当たりですけどね。私は神流川グループの会長、神流川太郎の長女です。長女と言っても兄弟は兄しかいないのですが」


 やはりそうだったのか。俺たちが通う大学は一応そこそこ名の知れた大学ではあるが、まさかそんなお嬢様と会うとは思わなかった。


 神流川奏という人は不思議な人物で、どこか常人とは違うような魅力があった。

 だが、それを打ち消してあまりあるほどに変な人物でもある。だからそういうすごい生まれだと言われると納得と同時に信じられない、という思いもあった。

 とはいえさすがに本人に「信じられない」と言うことも出来ず、俺は少し反応に困る。


 そんな俺の心境が伝わったのか、


「何て思ってもらっても構わないですよ。おそらくあなたが思っている十倍以上は酷い感想を父親には抱かれていますので」


 とフォローのように言う。


「……そうなんですか?」

「そりゃあ、せっかく手塩にかけて育てられ、いい大学に入れてもらったのに今ではニート同然の生活を送っていますからね」


 神流川奏は相変わらず何でもないことのように言う。

 その表情からは、彼女が本当に気にしているのかいないのかがいまいちよく分からず、俺は再び反応に困るのだった。


 気まずくなった俺は本を読み始める雰囲気でもないので席を立つことにする。


「じゃあ、俺はもう帰ります」

「そうか。それならさすがに私もどかないといけないですね」


 こうして俺たちはマックを離れた。

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