神流川奏Ⅰ

「あーあ、何か萎えたな」


 結局、その授業が今日の最終講義だったこともあり、その後俺は家に帰ることにした。

 大学ではサークル活動が盛んだが、俺はどのサークルにも入っていない。四月の新歓の時期はどのサークルも引く手あまただったが、これだというサークルを見つけられずに入りそびれてしまい、五月に入ってからは新歓はぱたりとやんでしまった。

 だから俺は大学が終わると、友田に誘われた日以外は家に帰ってだらだらしていることが多かった。


 が、今日はまだ早い時間だったので俺は近くの本屋でラノベの新刊を買うと、下宿近くのマックに寄っていくことにする。別に自宅で読んでもいいが、自宅にいると何となくスマホやパソコンに触ってしまい、集中出来ないのだ。

 それにマックの冷房はうちの冷房よりもよく効いているので涼しいという利点もある。


 この時間は大学近くにはうろうろしている大学生が多く、それは俺の下宿付近でも同じだった。こんなことならもう少し大学から離れたところに住めばよかったな、と思うほどだ。まあそれはそれで毎朝後悔することになるのだろうが。


 俺はポテトと飲み物だけを買うと、空いている席を探す。

 すると大学生であふれかえっている店内で少し異様な光景が目に入ってくる。


 混んでいるにも関わらず、四人掛けのテーブルを一人で占有し、ノートパソコンを広げてイヤホンをつけて画面と睨めっこする人物がいるのだ。しかも長時間居座っているのだろう、頼んだと思しきメニューは全て食べ終え、テーブルの上には包み紙だけが残ったトレーが置かれていた。


 そんなちょっと無神経な滞在も目を引くが、もっと目を引くのは彼女の容姿だろう。

 とても普通の日本人とは思えない透き通るようなきれいな白い長髪に、まるで日本人形のように整った顔立ちをしている。残念ながら着ているのはおしゃれのかけらもない安っぽい無地のTシャツとジーンズであるが、彼女には独特のオーラのようなものがあった。

 というかそうでなければ今頃追い出されていてもおかしくはない。


 一瞬どうしようかと思ったものの、他に空いている席はなさそうなので、仕方なく彼女の元へ歩いていく。

 すると彼女も俺に気づいたらしく、顔を上げてこちらを向く。

 彼女の表情には俺に対する特段の感情は読み取れない。


「誰かと思えば古城さんじゃないですか。こんにちは」


 神流川はきれいで涼やかな、それでいて平坦な声で言った。


「こんにちは、神流川先輩。席空いてないから相席していいっすか?」

「そうですね。私一人で四人席を独占していると思われるのも居心地が悪いので座ってもらえると助かります」


 そう言われたので俺は彼女の向かいに座る。

 いや、居心地の悪さを感じていたのにどかなかったのはすごいと思うが。


 彼女、神流川奏は文学部の三回生、要するに俺の先輩である。ちょっと、というか大分変っているが美人なこの人物と何の特徴もない俺がどうして知り合いなのか。




 あれは入学してすぐのことである。俺が友田と一緒に大学構内を歩いていると、遠くに彼女が歩いているのが見えた。

 初めて見た時も俺はあんなきれいな人がいるのか、と遠目に驚いたが友田はもっとすごかった。


「おい古城、あれはすごい! こんな美人見たことない!」


 彼女を見るなり友田は指さして興奮する。

 気持ちは分からなくもないが、言うまでもなく彼女は見世物ではない。こんな風に指さして騒ぎ立てるのは失礼だろう。


「おいやめろって。聞こえるぞ」

「でも、でも!」


 興奮のあまりうまく言葉が出てこない友田。

 そんなあほみたいな友田の様子に彼女は気づいたらしい。俺たちの方を一瞥すると、何とこちらへ歩み寄り声をかけてきた。


「あの、何か用でしょうか?」


 俺は恥ずかしくなってぶんぶんと頭を下げる。


「いえ、そう言う訳ではありません。すみません騒ぎ立ててしま」

「好きです、付き合ってください!」

「おい!」


 穏便に離れようとする俺の言葉を遮って友田は直球で告白した。

 横で聞いていた俺は冷や汗が流れていくのを感じた。


 が、彼女は特に驚いた風もなく済ました顔をしている。というか、俺は神流川奏の表情が変わったのをこれまで見たことがないが。


「別に付き合ってもいいですが、私は普段大学に来ていないので大学のことはよく分からないですが、構いませんか?」

「はい、構いません!」


 内心「何で大学生なのに大学に行ってないんだよ」と突っ込む俺だったが、うきうきの友田はそんなことは気にしていなかった。

 いや、そもそもそれ以外にも突っ込みどころだらけなのだが。


「私は文学部三回の神流川奏です。よろしくお願いします」


 そう言って彼女はぺこりと一礼する。


「俺は文学部一回の友田翔太です。こちらこそよろしくお願いします!」

「ふ、古城和久です」


 流れで俺も自己紹介する。


「それで私はどちらに付き合えばいいのですか?」

「いや、そういう付き合うではなく……」


 神流川はラブコメにおける鉄板ギャグのような返し方をした。

 ちなみにこれが天然なのかわざとなのかは今でもよく分からないし、神流川の性格を多少なりとも知った今となってもどちらでもありえると思う。


「あ、そういうことですか」


 急に自分が恥ずかしくなったのか、友田はそう言ってそそくさとその場を後にした。彼のメンタルは強いのか弱いのかいまいちよく分からない。


 一方、知らない先輩と二人きりで残された俺は困惑した。


「随分愉快な友達をお持ちのようですね」


 本来ならそこで別れるところだろうが、なぜか神流川は会話を続けてきた。

 そんなよく分からない状況に動揺してしまったからだろう、


「そ、そうですね。ところで先輩はなぜ大学にあまり来てないんですか?」


 と俺はなぜか会話を続けるような問いをしてしまう。多分、初対面の人と打ち解けるには相手のことを質問するところから始めた方がいい、ということを大学入学前に学んできたからだろう。発揮する相手は間違えているが。


「初対面の相手に説明するのは難しいですが、人付き合いが面倒だからですよ。私は他人とずれているので。一回、二回ぐらいなら一人でも問題ありませんが、研究室とか入り始めると人付き合いが増えるんです」


 確かに先輩はちょっとずれてますよね、と思ったがどうにか口に出すのはこらえる。


 そこで俺は何を思ったのか、


「あの、今履修登録で悩んでいるんですがどうしたらいいですか?」


 と尋ねてしまった。確かに悩んでいたし、俺は友田以外の友達やサークルの先輩もいなかったので聞く相手がいなかったのだ。だからといって彼女に訊くのもどうかと思うが。

 後で冷静に考えるとまだサークルの新歓で出会った先輩に聞く方がハードルが低いような気がする。


「それなら出来るだけ大学に行かずに二回生に進級出来る講義の登録を教えてあげますよ」

「は、はい」


 これが俺と神流川奏の出会いである。


 それ以降、俺は彼女と生活圏が被っているせいか時々校外で出会うことが多かった。校外で会っても校内で会わないのは本当に彼女が大学に行ってないからだろう。


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