雨が降る日に

綾瀬七重

麗しの姫

「こんなに古い書記が発見されるだなんて」

2020年。ある寺の改装に伴い発掘作業を行い、一人の女性の遺品から書記が発見されたのです。

研究員たちは目を輝かせて頁をめくり読み進めていました。



いつの将軍の時か、いつの帝の時代か…。

記憶に残っているのは日の本の国に疫病が流行っていた頃の話だということです。



ある武家の家に麗しく、聡く、それは華やかな17の姫がいました。

姫の名は夕子。夕姫と呼ばれておりました。

夕姫はそれはそれは美しく、徳のある方でしたのでぜひうちの嫁に、との縁談の話が絶えませんでした。しかし父がどんなに良き御相手を選んでも母に勧められても夕姫は決して首を縦には振りませんでした。

あんなにも麗しく聡く華やかな姫がなぜどこの家とも良き縁がないのか、周囲が噂をし始めた頃に姉で既に同じ武家のお家に嫁いでいた朝姫が妹を説得する為にやって来ました。

「夕、どうして良き縁談でもどのお家にも嫁ごうとしないの?」

朝姫は心配そうに聞いてきました。

すると夕姫はひとつ、ぽつりと申したのです。

「心からお慕い申していない殿方だからです」

心からお慕い申していない殿方だから、つまり夕姫には心から慕っている殿方が既にいるのだと朝姫は気が付きました。

「では父上にお願いしてその殿方との縁談を進めていただいたらいかが?」

すると夕姫は瞳から大粒の涙を転がしはらはらと泣き始めました。

「その方とはご縁が無いに等しいのです。決して婚儀をあげることはできないお方なのです」

朝姫は夕姫が公方様に恋をし御台所にでもなることを夢見ているのか、はたまた朝廷の誰か親王のうちの一人に恋をしているのか、そう思いました。それはいかにも不毛な恋であることに違いありません。

「ご縁が無いと分かりきっているなら諦めなさい。これ以上父上のお手を煩わせてはいけない。夕ももう御年17の女子。子供ではないのだから、聞き分けるのです」

朝姫はそう言い残し帰っていきました。朝姫もそれ以上なにも言わずにいました。

それから幾日か、今までにない程良き縁談が夕姫に舞い込んで参りました。公家の若君が夕姫の噂を聞き付け見初められたのです。

今度ばかりは夕姫の意志と関係なくあれよあれよと話は進みいよいよ夕姫が京へ出立する3日程前の朝のことでした。

侍女が夕姫を起こしに部屋に声をかけると返事がないのです。ここのところ食が細く、常にぼんやりした表情を浮かべていた夕姫に心配した侍女が戸を開けると夕姫が倒れていらっしゃったのです!

「夕姫様!夕姫様!」

時は既に遅く、夕姫は脈も息もなく自ら夜のうちに毒を飲みご自害なさっていたのです。

それから家の者皆、哀しみにくれ、何事も手につかなくなる日々を送りました。

それから3年ほどあまり母が残していた夕姫の部屋の机の引き出しから文が2つ出てきたのです。

朝姫がひとつを開けてみるとそこには久しく目にしていなかった夕姫の字が並んでいました。

「父上、母上、姉上、このような勝手な選択どうかお許しください。一時は心を決め、輿入れするつもりでいました。しかしどうしてもどうしても私にはあのお方を裏切ることが出来なかったのです。あのお方忘れ、誰かの妻となり子を産み、母となり生きていくことは私には死より大きな恐怖でした。またきっと心は死んだ妻や母となっていたことでしょう。17年、育てていただいたにもかかわらず大変申し訳ありません」

夕姫が忘れられないと言っているのは誰なのか。朝姫はもうひとつの文を読んでみました。

「夕姫、久方ぶりです。お誕生日おめでとうございます。我々ももう15ですね。

夕姫に僭越ながらお願いがあり今日は文を出した次第です。私はもう長くないでしょう。20歳まで生きられたら奇跡でしょう。そんな私のことを忘れて生きていっていただけないだろうか。私の人生に貴方まで巻き込んでしまうことを私は望まない。

貴方が幸せになってくれれば構わないのです。貴方が私を忘れても私が忘れないから良いのです。だからどうか、私のことは忘れてください。もうお会いすることも無いし、文を出すつもりもありません。

幸せに生きてください。右京」


朝姫は驚きました。右京とは夕姫の幼馴染。そして2年前に亡くなった殿方だったのです。

そうか、夕姫心から慕っている殿方とは右京のことであったのか。

朝姫は後悔の念に駆られました。

縁談を拒み続けた理由は御台所を夢見た訳ではなく、帝の血縁を望んだ不毛な恋な訳ではなく、17の乙女の小さな恋であったのです。

あの時気がついてあげていれは夕姫の早まった決断を止められたかもしれないではありませんか。

朝姫は涙にくれ、父と母に懇願しせめて右京の傍で夕姫を眠らせて欲しいと言いました。


それから月日は流れどれほどたったでしょうか。

朝姫の娘が娘の幼馴染に輿入れすることになりました。朝姫は今でも思うのです。

自らの娘が夕姫を見ているようでならないと。

娘の婚儀は夕姫へのせめてもの償いでありました。


ここで頁は途切れ、書記が終わっていました。

これは誰も知らない悲恋の記録であったのでした。

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雨が降る日に 綾瀬七重 @natu_sa3

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