2.173cmのゆううつ(ことり)

日下部くさかべさん!」

 そう呼ぶ声と同時に、ふわっとした山なりのバスケットボールがわたしに向かって飛んできた。わたしをマークしていた子が手を伸ばすけど、届かない。もっと上の位置で、わたしはなんとかボールをキャッチした。

 ゴールまではまだ遠い。ドリブルするのも苦手だし、どうしよう……。ちょっと悩んでいたところへクラスメイトが走り寄ってきたので、パスを出した。ボールをキャッチしたその子は、ドリブルでそのまま前進し、シュートを決める。

 よかった……。わたしはホッとした。


 二月に入り、女子は今日から体育の授業でバスケットボールをやることになった。五年一組と二組は合同で体育の授業を行っているんだけど、クラスの中でもチームを二つに分けて、合計四チームで試合している。わたしは一組Bチーム。

「やった! 日下部さんと同じチームだ」

「バスケなら、ことりちゃんがいれば勝ったも同然だよねー」

 チーム分けが決まったとき、同じチームになった子たちが無邪気にそんなことを言う声が聞こえた。人の気も知らないで……。

 わたしはバスケが苦手だ。正確には、スポーツがぜんぶ苦手。走るのも早くないし、不器用だからかボールを使うのも下手。それでも、みんながわたしに期待してくる。

 わたしの身長が高いから。小学五年生なのに、女の子なのに、一七三センチあるから。


 気が付くと、対戦相手である二組Bチームのメンバーが交代していた。ひときわ背が小さい子がコートに入ってくる。軽くふわっとパーマがかった髪をしていて、目がくりっとしている。なんとなくトイプードルを連想しちゃった。

 二組の子とは体育の授業でしか顔を合わさないからよく知らないんだけど、確か最近東京から転校してきた子のはずだ。体操服には『大鳥』と書いてあった。

 試合が再開すると、また味方がわたしに山なりのパスを出してきた。なんだかいいように使われてる気がするけど、しょうがない……。

 そう思ってボールを取ろうとした。でも、取れなかった。さっき入ってきた大鳥さんが、ものすごい勢いでジャンプしてボールを弾いたんだ!

「わあっ」

 おどろいて声を出したわたしに、着地した大鳥さんがニコッと笑いかけてきた。

 笑いかけてきたのは一瞬のことで、大鳥さんはすぐにボールに向かって駆けていった。この子、なんだかすごいかも……。


 実際、大鳥さんはすごかった。小さな体ですばしっこくコート中を走り回り、ドリブルにパスにシュートに大活躍。わたしの一組Bチームはさんざんにやられちゃったんだ。


 試合が終わって疲れ切ったわたしが肩で息をしていると、その大鳥さんがとことこ歩いてわたしに近寄ってきた。彼女がけろっとしていることに、びっくりしちゃった。敵味方含めて、誰よりも動き回っていたのに……。

「ねえ、左利きなんだね」

「……え? う、うん」

 予想外の第一声に、わたしは面食らってそんな返事しかできなかった。確かにわたしは左利きなんだけど、試合中に見られていたのかな?

「そうかー。これはますます貴重だなー」

 大鳥さんはそう言って、なんだかうれしそう。なんでわたしが左利きだとうれしいのか、よくわからないけど……。

「あたし、二組の大鳥奈央。よろしくね!」

 にっこり笑って見上げてくる彼女の勢いに押されつつ、

「あ、ええと、一組の日下部ことり、です」

 なんとか自己紹介を返すことができた。ううーん、挙動不審だったかもしれない。

「うん、日下部さん。知ってるよ、有名人だもんね」

「……そう?」

 彼女の言った通り、同じ五年生でわたしを知らない子はいないと思う。この身長のせいでどうしても目立っちゃうから……。

「ねえ、日下部さん。今日のお昼休み、一組の教室に行っていいかな? 話したいことがあるんだ」

「ええっ?」

 また急にそんな! でも、特に断る理由も無い。わたしは大鳥さんの勢いに負けて、

「べ、別にいいけど……」

「やった! ありがとう! じゃあお昼休みにね!」

 明るくそう言うと、大鳥さんはわたしにぶんぶんと手を振りながらチームメイトたちのほうへ走って戻って行く。

 元気いっぱいだなぁ。わたしと全然ちがう。見た目も性格も……。


 そして昼休み、友達の亜希あきちゃんと真奈まなちゃんと教室の端っこでおしゃべりしているところへ、

「日下部さん! 来たよ!」

 そう元気に言いながら、大鳥さんが予告どおりにやってきた。

「あれ、お友達もいっしょ?」

「う、うん。いいかな?」

「もちろん! 全然問題なし!」

 亜希ちゃんにも真奈ちゃんにも大鳥さんが来ることを話してはいたけど、二人とも想像以上の彼女の勢いに押されてる。

「それでだね、日下部さん。体育の時間にも言ったとおり、話があるんだけど」

「う、うん」

 もったいつけながら、大鳥さんが話を切り出してきた。

「知ってるかもしれないけど、あたし、この三学期に東京から香川へ引っ越してきたんだよね。東京では小さいころからずっとバドミントンやってて、こっちでもクラブへ入ったんだ。コーチはあたしのマ、お母さんなんだけどね。で、そのクラブは女子が少なくて」

「やだ」

「まだ本題に入ってないんだけど!」

 わたしが途中で話をぶった切ったので、大鳥さんが叫んだ。

「でも、どうせ話は読めるし……バドミントンやらないかって言うんでしょ?」

「そうだけどさぁ~! あたしダブルスを組む相手が必要なんだよ~。六年生の子は卒業しちゃうし、他は三年生以下の子しかいなくて、このままじゃダブルスの大会に出られないんだよ~!」

 小さな手足をジタバタさせて、大鳥さんが甘えたような声を出す。かわいいけれど、だからって言うことを聞くわけにはいかない。わたしは心を鬼にして、

「ごめんね、お断りします」

 と、改めて宣言した。

「もったいないよ、日下部さん! その身長と、左利き! バドミントンじゃそれだけでもすごい有利なんだよっ! 今から始めても全然遅くないよ。あたしがいろいろ教えてあげるから、ダブルス組もうよ~! 他の子から聞いたんだけど、別のスポーツやってるわけじゃないんでしょ?」

 やっぱりこの子も、わたしの身長が高いから誘ってくるんだ。最近は髪も長く伸ばして、スポーツやりたくないって雰囲気を出したつもりなんだけど、あまり効果はないみたい。

「バドミントンがどうっていうより、体を動かすこと自体が好きじゃないから……」

「そんな~!」

 そう言うと大鳥さんが教室の床へ仰向けに倒れ込んだので、わたしはギョッとした。

「日下部さんしかいない! って思ったのに~」

 スカートからパンツが見えそうになってるのもかまわず大鳥さんがゴロゴロ転がりながら声を出すので、あわてちゃった。

「そんなこと言われても……ほら、立って立って」

「ことりちゃんはけっこう頑固だからね~」

「むずかしいと思うよ」

 亜希ちゃんたちがそう言いながら、大鳥さんを起き上がらせるのを手伝ってくれた。

「……あきらめない」

 なんとか立ち上がってくれた大鳥さんがつぶやいた。

「えっ?」

「今日のところは帰るけど、あたしはまだ日下部さんをあきらめないからねっ!」

 大鳥さんはわたしをビシッと指差してそう言うと、くるっと振り返ってダッシュで教室を出て行った。

「こら、廊下は走らない!」

「すいません!」

 先生に怒られて大声であやまる声が聞こえてくる。

「……なんか、すごい子だね」

「うん……」

 亜希ちゃんの言葉に、わたしはうなずいた。

 何度来ても、答えは変わらないんだけどな……。


 で、次の日の昼休み。

「今日も来たよ! 日下部さん!」

 大鳥さんがまた教室へやってきた。今度は、バドミントン用のラケット二つと羽根……シャトルって言うんだっけ? を持って。

「……」

「ああん、そんな露骨にいやそうな顔をしないで! せっかく先生に許可をもらって道具を持ってきたことだし、少しでいいからバドミントンやってみない? クラブに入るかどうかは後回しにしてさ」

「だから、運動自体が好きじゃないって言ってるでしょ」

 大鳥さんの勢いに負けないように、わたしは言った。でも彼女は引き下がらない。

「わかる、それはわかるよ。でも日下部さん、バドミントンをしたことあるの?」

「……無いかも」

 記憶をたどったけれど、遊びでも体育でもラケットを握ったことも無かった。

「じゃあほら、とりあえずやってみないと好きか嫌いかわからないでしょ。なんでも経験だよ。さささ、体育館へ行こう行こう!」

「え~……」

 わたしは考える。たぶん、今日断ったとしても大鳥さんは何度でも来る気がする。だったら、今日さっさとバドミントンに付き合ってあげたうえできっちり断ったほうが、彼女もあきらめてくれるんじゃないかな。

「……わかったよ」

「やったっ! ありがとう!」

 大鳥さんがその場で何度もジャンプし、全身で喜びを表現している。

「ちょっとやるだけだからね! 今日だけだからね!」

 わたしは大鳥さんを落ち着けるためにそう言った。けど、彼女はまるで聞いていないみたいだった……。


 わたしと大鳥さんはラケットとシャトルを持って体育館へ移動した。亜希ちゃんたちに見られるのはなんだか恥ずかしくて、教室に残ってもらった。他の子が思い思いに遊んでいる中、体育館の片隅で大鳥さんからラケットを渡される。

「あれ、思ったより軽い」

「うん、一〇〇グラムもないくらいだよ」

「へえ……」

 野球のバットなんかと比べると、ずいぶん軽い。まあ、片手で扱うものなんだから、当然かも。

 適当に何度かラケットを振ってみた。風を切る感覚がしてちょっと気持ちいいような……。大鳥さんはニヤニヤしながらわたしに向かって、

「あれ? 気に入っちゃった?」

「ち、ちがうよ! 適当に振ってみただけだから!」

「そうか、そうだよね。やっぱりシャトルを使わないとね」

 わたしと同じくラケットを手にした大鳥さんが、そう言ってシャトルを取り出した。

「ネットを張ったりしないの?」

 わたしがたずねると、

「うん、今日は遊びだからいいかなって。本当は準備運動もしたほうがいいし、ラケットの握り方やスイングもいろいろあるんだけれど、とりあえず日下部さんの思うままやってみればいいと思う」

 そう答えながら、大鳥さんがわたしから距離を取って、向かい合う形になった。

「本当に、今日ちょっとやるだけだからね! それで終わりだからね!」

 わたしがそう念を押すように言うと、

「今日はそれでいいよ。けど、楽しくなっちゃっても知らないよ? ふふふふ」

 笑顔になって、シャトルを打つ体勢に入っている。

「じゃあ、あたしが軽くサービスするから、シャトルの落ちてくる場所をよく見て、打ち返してみよう」

「うん……」

「ほいっ」

 言うが早いか、大鳥さんがシャトルを軽く下から打ってきた。

 ええと、シャトルをよく見て、打つ!

 何かのテレビで見た映像を思い出しながら、ラケットを上から思いっきり、ぶん! と振ってみたんだけど、かすりもしなかった。シャトルが床にころんと落ちる。

 じ、自分でもおどろくほどの見事な空振り……。

「……」

「ははははっ、惜しい!」

 わたしが黙り込んじゃったのに、大鳥さんは楽しそうに笑ってる。もうやだ。

「……帰る」

「ああ、ごめんごめん! 帰らないで!」

 大鳥さんがあわててあやまってきた。

「日下部さん、今のはシャトルとの距離がつかめなかっただけだよ。大事なのは、落ちてくるシャトルの下に入ることだから。足を動かさなきゃ」

 そう言われると、ラケットを振ることばかり考えて、自分が移動することは全然頭になかったような気がする。

「もう一回だけやろう、もう一回だけ!」

「うん……」

 確かに、わざわざ体育館まで来て空振りだけで終わるのもいやだ。もう少し、続けてみることにした。

「じゃ行くよ。落下点まで動いてね。ほいっ」

 再び大鳥さんがシャトルをこちらへ打ち上げる。動かなきゃ動かなきゃ。でも、よくわかんないっ。

 わたしが上を向いてあたふたしていると「ちょっと右!」と大鳥さんが声をかけてきた。とりあえず、指示通りに動いてみるっ!

「そう、そこ!」

 大鳥さんの声を合図に、

「えいっ」

 今度は軽く、ラケットを振ってみた。ぱしん、という感覚がしてシャトルがゆるやかに前へ飛んだ。

「当たった!」

「そうそう、ナイス!」

 大鳥さんはそう言いながらシャトルに向けてすばやく前進し「じゃ、このままラリーを続けよう!」と再びわたしにゆっくりと打ち返してきた。

 意外なことに、その後はけっこうラリーが続いたんだ。わたしの打球があっちこっちへ飛んでも、すぐに走って追いついて、わたしが打ちやすいところへ返してくるんだもん。やっぱりすごい、この子。

「日下部さん、そろそろ全力でスマッシュしてみない? 最初に空振りしたときみたいな勢いで」

 大鳥さんが、そう言いながらまた軽く打ってくる。

「ええっ?」

「今はとにかく打ち返すことに集中してるでしょ」

「まあ……それがせいいっぱいだし!」

 よたよたしながら、なんとか打ち返す。シャトルは大鳥さんよりずいぶん後ろに飛んじゃったけど、彼女はさっと後ずさりしながら、

「やっぱりスマッシュはバドミントンの花なんだし、さあ、外してもいいから思いっきり行ってみよう!」

 と、軽くラケットを振り、山なりに高くわたしへ返してきた。あ、これはほとんど動かなくてもいい感じだ……。シャトルを打つことだけに集中できるっ。

 自分でも意識しないうちにジャンプしていた。バレーのスパイクの要領で体をひねり、手じゃなくてラケットに体重を乗せるイメージで……!

「はっ!」

 全力でラケットを振り抜く。スパン! という感触。シャトルが猛烈な勢いで床に叩きつけられた、はず。

 『はず』というのは、シャトルの動きが速すぎて自分でも目で追えなかったから。大鳥さんの右側に飛んだはずだけど、大鳥さんはこれまでとちがって一歩も動いていない。口をぽかんと開けて立ちつくしている。

 着地したわたし自身、何がなんだかわからなかった。気が付くとシャトルが床に転がっている。ただ、なんというか、気持ちよかったことはわかる……。

「す……すっごーーーーい! すごいよ日下部さん! 今のスマッシュ、想像以上!」

 大鳥さんが叫ぶ。

「めちゃくちゃ速かった! 見えなかったもん!」

「う、うん……」

 わたしはうなずくことしかできなかった。気が付くと、周囲で遊んでいた子たちもざわついている。

「バドミントンのスマッシュは、男子のトップ選手だと時速四〇〇キロを超えることもあるんだ。これは新幹線以上の速さってことなんだけど……。今のは、それに近いものを感じたよ!」

 大鳥さんがいつの間にかわたしの手を握っている。

「日下部さん気持ちよかったでしょ、あんなスマッシュ打てて」

「うん、それは確かに……」

「背が高いとか左利きとか、そんなの以前に、才能あるよ! ちゃんとバドミントンやろう、あたしとダブルス組もう! いや、組んでください!」

 握りしめた手がぶんぶんと振られる。

 ラリーが続いてみるとバドミントンは楽しかったし、スマッシュが決まったときはすごく気持ちよかった。

 ……わたしの考えは決まっていた。


「ごめん、お断りします」


「なんでーっ!」

 大鳥さんの手から力が抜け、彼女はへなへなとひざから崩れ落ちた。

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