第5話 「導く者」※2021年11月14日、内容を大幅に変更いたしました。
「なぜそこで言葉を濁す?」
「いや、それは――」
フィオナがタイグの質問に対する答えを言おうとしたその時、タイグが寄りかかっていた柵の根元からミシ、という不穏な音が鳴った。
「ん――」
そして次の瞬間、柵は根元から完全に折れた。
「!!」
フィオナがすぐさまタイグの右手をつかもうとするが、無情にも一歩遅く、タイグは折れた柵とともにファーダ川の
「タイグ!!」
大型の船とはいえ、タイグが落下した甲板から水面までは5 mほど、そのまま背中から着水すればびしょ濡れにこそなるものの命は助かるか、もはや重力に身を任せるしかないタイグが覚悟を決めたとき、タイグは明らかに水面ではない何かに体がぶつかる感触を覚えた。
「うおおっ?!」
タイグが驚いて目を開けると、そこにはより驚くべき光景が広がっていた。タイグが落下していったであろう先には氷でできた巨大な滑り台のような構造物が突如として出現し、タイグはその構造物に見事に受け止められてそのまま表面を滑っていたのだ。
「うお、おお……。」
タイグはそのまま滑り台の上を滑って、返しの付いた先端部分まで到達したところで止まった。
「何だ、これ……?」
びしょ濡れになることもなく助かったのはいいものの、イマイチ状況を呑み込めないタイグ。訳も分からず氷の滑り台の上で呆然としていると、そこに1人の青年が近づいてきた。
「大丈夫?」
その青年はタイグと同様、初めは船に乗っていたものと思われたが、何もない、正確には何も「見えない」空気中に氷の階段を生成しながら、船を離れて少しずつタイグの元までやって来ていた。
「ああ、助かった、けれど……、あなたは?」
「僕はダラ・ダンカン。君は?」
名前をダラというその青年は、タイグに名前を聞き返しつつ手を差し伸べ、タイグが立ち上がるのを助ける。
「タイグ・クインです。これは、その、ダラさんの能力という解釈でいいのでしょうか?」
「うん、確かにそうだけれど、もっとフランクに話してくれて構わないよ。たぶん年齢も近いと思うし。」
「俺は今年で17になりますが……?」
「やっぱり。僕も17歳だよ。」
「そう……か。なら、遠慮なく。助かったよ。ありがとう、ダラ。」
「こちらこそ、偶然近くに居合わせていて幸運だったよ。」
ダラとタイグのやりとりの間に、急には止まることのできない船も本来の進行方向とは逆走する形で2人の元に戻ってきていた。ダラが作った氷の階段で、2人は騒ぎを聞きつけた人々でざわめく船の甲板へと戻る。それを見つけたフィオナと船の乗組員が、すぐさま2人のもとに駆け寄ってきた。
「タイグ!!大丈夫だった?!」
「ああ、俺は何ともない。」
「お客様、申し訳ございませんでした。どうやら、柵の根元の木材が傷んでいたようでして……。お怪我がなかったようで何よりですが、この度の事故は私たちの整備と点検が行き届かなかったのが原因でございます。本来ならば、何らかの形でお詫びをしなければならないところなのですが……。
「いや、俺は別に。怪我もしてないし持ち物が壊れたわけでもないので、お気になさらなくて結構です。」
「左様でございますか。ご配慮いただきありがとうございます。お詫びとして、お客様が目的地に到着された際、お客様がお支払いになられた運賃は全額返金致します。この度は、誠に申し訳ございませんでした。それと、そちらのお客様も、勇気ある行動をしていただきありがとうございました。」
「そんな、滅相もない。僕はただ、偶然近くにいただけですので。それより、早く運行を再開した方がよろしいのではないでしょうか?」
「は、はい、ありがとうございました。」
乗組員の男はタイグへの謝罪とダラへの謝辞を丁寧に述べた後、足早に操舵室へと戻っていった。その後しばらくして、船は再び動き始めた。
「随分と丁寧な対応だな。悪い気にはならんから良いんだが。」
「そんなことより、あの、どなたかは存じませんが、助けていただいてありがとうございました。」
「おっと、自己紹介が遅れたね。ダラ・ダンカン、17歳。アイゲンの片田舎から来たんだ。敬語は使わなくていいから、よろしく。間一髪、間に合って何より。」
「私はフィオナ・マグワイアです。17歳ってことは同い年……だね。よろしく。」
「うん。」
「それにしても、あの氷の造形……。氷の家系の出身なの?氷の家系はいくつかあるけど、ダンカン家なんてあったっけ……?」
「いや、たぶん無いと思うよ。なぜなら、僕の力は氷の系統じゃないからね。」
「だとすると、どんなカラクリなんだ?」
「僕の家系に伝わる力は、触れた物体の温度を自由に変化させるというものなんだ。さっき見せたあれは、僕の手に触れている空気を急激に冷やして、空気中に含まれている水蒸気を氷に変えたんだよ。」
「なるほど、そうすれば空気中にも氷の結晶を出現させられるというわけか。しかし、温度を変えるだけだろ?滑り台にしろ階段にしろ、そんなに精密な制御ができるものなのか?」
「確かに、単に空気を冷やすだけじゃあそこまできれいな氷の結晶はできないと思うよ。でも僕の能力の場合、温度変化の伝播の仕方が少し特殊みたいでね。特に今回みたく一瞬のうちに力を使おうとすると、その影響は広範囲には広がらず、直線的に伝播するんだ。それを踏まえて、能力を発動させる時間をうまく調節してやると、さっきみたいにきれいな造形が出来上がる。」
「うーーん、ごめんなさい、私には難し過ぎるみたい。」
「あはは、別にいいよ。僕だって、まだ自分の能力の全てを理解できているわけじゃないしね。ところで、この船に乗っているということは、2人もラーに行くの?」
「その聞き方だと、ダラもなのか?」
「うん、そうなんだ。防災隊の入隊試験を受けに、ね。」
「そうなの?ならすごい偶然。私たちも、入隊試験を受けに行くんだ。」
「えっ、2人も防災隊志望なのかい?そうか、まさかこんなところで同志に出会えるなんて思ってもみなかったよ。お互い頑張ろう。」
「もしも3人全員合格できたら、任務で一緒になることもあり得るかもしれないしね。」
「おい、お前とダラについてはあり得るかもしれんが、俺は研究部の入隊試験を受けるんだ。俺たち3人が合格できたとしても、3人全員が任務で
「そういえば、さっきから僕ばかり喋って、まだ2人のことについてあまり聞いていなかったね。もし良ければ、2人の話も聞かせてくれるかい?」
ダラの提案を受け、2人はこれまでの経緯をダラに話した。フィオナの両親のこと、そして2週間前の惨劇のことも含めて、全てを。
「そうか……。何というか、辛い記憶を話させてしまったようで申し訳ない気持ちだよ。」
「まあ、確かに悲しい記憶ではあるけど、それが今の私の行動理念というか、原動力の一部になっているのも事実なんだよね。お父さんとお母さんが何を目指していたのか、防災隊に入ればそれに近づける気がして。」
「俺は、総人口の大半が何らかの力を持つこの世界では少数派の人種として生まれた。だから、災害現場では足手まといにしかならない。だが災害に関する知識とそれに基づく備えがあれば、持たざる人間でも生き残ることができる。母さんや父さんみたいな犠牲を減らすのが、俺のできることだと思ってるよ。」
「君たちの話を聞いていると、自分がいかに小さい奴かということを痛感させられるよ。さっき軽々しく同志だと言って喜んでしまったのが情けなくなるくらいにね。」
「ダラはどんな動機で防災隊に?」
「なに、君たちに比べれば本当に大したことのない動機だよ。防災隊員という仕事はきついけれど待遇は良い。その待遇の良さに惹かれたというだけでね。」
「だけど、それも十分立派な理由だと思うよ?将来をきちんと考えたうえで、待遇が良い防災隊を選んだんだし。」
「うーん、どうかな。将来を考えたというより、他の職業を避けた結果ともいえるかもしれないね。ディアンの末裔向けの職業はたくさんあるけれど、どれも結局は肉体労働、しかも賃金はそんなにいいものじゃない。今僕たちが乗っているこの船だって、水の家系出身の人たちが必死で水を操って動かしてるって話だよ。」
「私は防災隊員夫婦の娘だから実感は湧かないしよく知らないけど、確かにそういう話はご近所さんからよく聞いてたかな。」
「そうなのか?俺の父さんはこのファーダ川の堤防整備をやってたが、そんなに辛そうにはしてなかったぞ。堤防整備だって体力勝負だろ。」
「それは確かにそうかもしれないけれど、タイグの家族みたいにディアンの末裔じゃない人たちが就く職業と、僕たちディアンの末裔が就く職業との間には、根本的に違う点があると思うんだよ。」
「例えば?」
「うーん、うまく言い表せているか分からないんだけど、『肉体労働の格が違う』って感じかな。」
「格が違う?」
「うん。例えばタイグのお父様が就いておられた堤防整備だと、大きくて重い石材を運ぶときは数人で協力して、それで何とかすると思うんだよね。言い換えれば、協力すれば何とかなる。」
「まあ、そうだろうな。」
「でも、ディアンの末裔向けの職業だと、その協力が意味をなさない時があるんだよ。ディアンの末裔向けの職業では、人間が本来持つ力だけでは到底扱えないようなものも扱わなきゃならない。この船を動かすっていうのもそうだよ。どう考えても、人の力だけでは船は動かせない。でも何とかしてそれを動かさなきゃならない。」
「はあ。それで、協力が意味をなさない、っていうのはどういうこと?」
「考えてもみてよ。いくら
「確かにな。」
「始まりの大災害で人口の大半を失った人類にとっては、いかに少ない働き手で大きな仕事をするかが重要らしいんだよね。しかも、ディアンの末裔だって家系ごとに持っている力は異なるから、初めから職業適性はある程度制限されてる。つまり、人口の比率でみればディアンの末裔は圧倒的に多いはずなのに、各職業への適性ごとに割り振られれば意外なくらいに人員不足になってしまう。だから、協力しようにも人材が足りないし、仮に協力できたとしても焼け石に水をかけるようなもの。それこそ『数人が協力して運ぶはずの重い石材を1人で運ぶ』くらいの無茶が必要なんだよね。」
「なるほど。何つーか、俺は俺で、ディアンの末裔じゃねぇことで苦労させられてきたが、お前たちディアンの末裔も苦労してんだな。」
「まあ、そういうことさ。僕の両親も、いろんな職場で苦労したみたいでね。温度変化に関する力を持った家系はあまりないから、かなりこき使われたって話をよく聞かされたんだ。さっきの乗組員のやたら丁寧な対応も、劣悪な労働条件を悟られたくないがため、だと思うよ。あまり大きな声では言えないけど、それもこれもディアン法典第2条の影響だよ。」
「確か、『我々は
「法典ってやたら難しい言葉で書いてあるよね……。つまり、私たちの生活はディアンの末裔が持つ
「ああ、概ねそういう理解でいいと思うぞ。」
「この条文があるおかげで、資本家たちは安心して僕たちディアンの末裔をこき使うことができるってわけだよ。あー、ここから先はほんの独り言なんだけどね、ほんと、何でこんな条文があるんだろうね。それも第2条だ。かなり上位の方だよ。」
「ちょっとダラ、そういうことを人前で言うのは……。」
「それ以上は踏み込まないのが賢明だと思うぞ。考えるだけなら自由だが、口にした途端にそれは罪にもなりうる。まあ、俺たちは何も聞かなかったがな。」
「ああ、もう……。でも、こうやって改めて考えてみるとさ、さっきは『後退した分、前に進まなきゃダメだ』とか言ったけど、人類が厳しい状況に追い込まれているのは変わりないんだよね。むしろ、最近になって災害が頻発してるから、より窮地に立たされ始めたって感じかな。」
「まあ、その状況を打破する
「ところがその防災隊も、最近はあまり新人隊員を獲得できてないって話だよ。僕みたいな好待遇目当ての若者が入隊しては、任務の厳しさに耐え切れず辞めていくって。どんなに出来の良い矛も、錆びてしまったら意味がない。」
「……、さっきから話を聞いてると、俺を颯爽と助けてくれた割には
「そうかい?むしろ、君たちみたいに前を向いて進んでいこうとしている人の方が僕にとっては珍しく思えるけどね。日に日に生活が厳しくなっていくこんな世界じゃ、厭世主義的な発想に至ってもおかしくないと思うよ。特に君たちなんて、家族も喪って故郷も失った。それでもまだ希望を捨てていないなんて、本当に尊敬するよ。君たちのような人間が、人類を導くべきだと思う。」
「人類を導くなんてそんな……。尊敬してくれるのは嬉しいけど、それは大げさだよ。」
「さっきの芸当を見るに、お前だって十分活躍できる可能性があるんじゃないのか?」
「それはどうだろうね。両親からは『お前は才能がある』と言われて送り出されたけれど、僕にとって心配なのはやはり精神面の問題だよ。君たちみたいな理想も何もない僕が、入隊試験に合格したところで果たして逃げ出さずにいられるかって。」
「……だが、何となくお前は逃げ出さずにやり遂げると思うぞ。もしもお前が単に世の中を憂い、自分の待遇にしか興味がない奴なら、いくら近くに居合わせたからって俺を助けたりしないだろ。」
「あれは、体が勝手に動いたというだけで――」
「それに、だ。まだ試験を受けてすらいないのにそんな心配をするのは意味がないと思うぞ。」
「……はは、確かにそうだ。君は大きな理想を掲げている反面、冷静で理論的らしいね。少し気が早すぎる心配だった。タイグの言うとおりだ。まずは合格すること、だね。」
タイグ、フィオナ、そしてダラを乗せた船は、ファーダ川を西へ西へと進んでいく。そしてその日の夕方には、終点であるラー第4停泊所に到着した。ダラは2人とは宿泊先が異なるということで、船を降りたところで別れることとなった。
「それじゃあ、僕はここでいったんお別れかな。」
「うん、次は試験会場で。」
「今日はいろいろと話せて楽しかったよ。それじゃあ、また。」
「ああ。」
ユーラストの中心都市であるラーは、2週間前の惨劇を迎える以前のズンファーの人口の約5倍にあたる人口10万を擁する大都市である。2人が降り立ったラー第4停泊所から歩いて数分、ラーの中でも特に賑わうメインストリートは、間もなく夜を迎えるということもあって街灯のランプに灯が入り始めたところである。ズンファーのメインストリートの2倍はあろうかという広さの通りが、街灯や建物の明かりで徐々にきらびやかな姿へと変貌していく様に圧倒されながら、2人は宿屋に荷物を置いた後、人で溢れる街なかを歩いていた。
「この人の数……、さすが中心都市だね。」
「少し賑やかすぎるな。俺は正直好みじゃない。」
「だろうね。私もさすがに、これだけ人がいると息がつまりそうだよ。」
2人が慣れないラーの街にわざわざ繰り出したのは、とある人物と待ち合わせをするためであった。2人が待ち合わせ場所に指定された飲食店に入ると、聞き覚えのある声が店内に響いた。
「おっ、来たね。おーい、こっちだよ、お二人さん。」
「あっ、ターロックさん。」
「いやー、入隊試験前日にわざわざ来てもらって悪いねー。」
「いえいえ、むしろ夕食をごちそうしていただけるなんて、申し訳ないというか……。」
「いいっていいって、近々俺の部下になるかもしれない2人だ。今日は前祝いだよ。」
「前祝い、ですか。まだ合格するかは分かりませんが……。」
「そう卑屈になることもないさ。俺の意見では、2人は問題なく合格できると思うよ。研究部の方の試験については俺もよく知らないけど、少なくとも実動部隊の試験に関しては、フィオナちゃんの実力があれば難しくないはずだよー。試験監督の太鼓判といったところかな。」
「えっ、それって、明日はターロックさんが試験監督を務めるということですか?」
「そだよー。」
((軽いッ!!))
「それは……、この場で受験者である俺たちに漏らしていい情報なんですか?不公平になるんじゃ……?」
「なあに、試験の内容に関する話は一切してないし、合否は
「いや、確かにそうかもしれませんが……。」
「まあとにかく、お二人さんの思うようにやれば、きっと大丈夫さ。また全員揃うのも夢じゃない。」
「全員揃う……?何のことです?」
「いや、こっちの話だよ。それよりも早く食べな。ここの料理は俺のイチオシでねぇ。」
不敵な笑みを浮かべるターロックの発言を気にしながらも、2人は前祝いと称された食事を満喫した。入隊試験の前夜はいつもと変わらぬ様相を呈するラーの街を包み込みながら、賑やかに更けていった…。
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2人がターロックとの食事を終えて宿に戻り、床についた頃。1人の男が、グラスを片手に窓辺から夜闇を見つめていた。その男の傍らの机上には、書類の束が積まれている。
「まさか娘さんも、とはね……。」
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