第4話 「喪失と決意」※2021年11月14日、内容を大幅に変更いたしました。

「あら、水との相性が悪いっていうのは、私のことも嫌いってことなのかしら?」


唐突に背後から投げかけられた言葉にディアミッドが振り向くと、そこにはこの状況を収めるのに最も適任と思われる人物がいた。


「……、シーヴァさん、今はそのような冗談に付き合っている暇はないんだが?」


ディアミッドがシーヴァさんと呼ぶ彼女は、ディアミッドが今まさに立っている金属柱とほとんど同じ高さの水の柱の上に立っている。激しい言葉遣いをする性格のディアミッドであるが、彼女の前では普段に比べれば丁寧な口調である。


「いいじゃない。冗談の1つくらい言える心の余裕があった方が、広い視野をもって行動できるものよ?……とはいえ、これはさすがに酷いわね。ごめんなさい、もっと早く到着するべきだったのに、人員を集めるのに手間取ってしまってね。第4大隊、現着したわ。」

「シーヴァさんが謝ることじゃない。むしろ、水の扱いにけているあなたの存在は、この状況において極めて心強い。」

「そう言ってもらえると、全速力で飛ばしてきた甲斐もあるというものだわ。さてと、この浸水をどうにかするのが、私たちの役目になりそうね。」

「お願いしたい。正直なところ、俺たちだけではどうしようもなかった。」

「任されたわ。私は浸水への対処にかかりっきりで指示を出せないと思うから、救助とかもろもろの細かい指示は任せるわね。」

「いいのか?俺とあなたの部下との間には、今は何のつながりもないが……。」

「そんなことはないわよ?ディアミッド君の顔を覚えている隊員も多いし。それに見たところ、ここにいる隊員の中で一番状況を把握しているのはディアミッド君でしょ?ディアミッド君が一番的確な指示を出せると思うのだけれど。それとも、4年前みたいに私の指示で動いてみたい?」

「……二度と御免だな。」

「じゃあ決まりね。変な遠慮はしなくていいから、私の隊の子たちもどんどん使ってあげてね、第2大隊長さん。」


そう言うと、シーヴァはディアミッドのもとを離れ、下で待機させていたと思われる自身の部下たちのもとへと戻っていった。


「心の余裕、か……。」


小さくそう呟くと、ディアミッドもまた別の地域の救出活動のために移動を始めた。


「シーヴァ大隊長、ディアミッドさんとどのような話を?」

「そうね、第4大隊の到着を報告したのと……、まあ、少し背中を押してきたって感じね。」


シーヴァは少し微笑みながら、部下の問いかけに答える。しかし次の瞬間には凛とした表情に変わって、ファーダ川の水面に浮かぶ何隻もの船に乗った部下たちに檄と指示を飛ばす。


「……さて、と。みんな、分かっていると思うけれど、今最も必要とされているのは私たち、第4大隊の力です。この浸水には、基本的に私と中隊長たちが対処します。救助用の小舟を浸水域に移しましたから、その他の者たちは至急、各班に分かれて要救助者の捜索を開始してください。他の隊との協力も怠らないように。水の隊たる第4大隊の力を、いかんなく発揮してください。では、解散!」

「「「はっ!!!」」」


シーヴァの一言で、隊員たちが一斉に動きだす。シーヴァの水を操る能力によって、ファーダ川の水面から浸水した市街地へと移された救助用の小舟が次々と市街地へ漕ぎ出されていく。最後の一そうを見送ったのち、残っていたシーヴァと第4大隊所属の中隊長たちも行動を開始した。


「う~ん、さすがにこれだけの水量だと、一筋縄ではいきそうにないわね。私は水の移動に全力を注ぐことになりそうだから、私の背中はみんなに預けるわ。水の勢いの微調整とか、サポートよろしくね。」

「「「了解!!!」」」


中隊長たちに背中を預けるという宣言の直後、シーヴァの両目に水色の光が宿る。すると市街地にたまっていた水がみるみるうちに空中へと舞い上がり、一本の流れへと収束されて母なるファーダ川へと注がれていく。その流束はかなりのものであったが、水をこのようにして取り除くことのできる隊員が主に彼女しかいなかったということもあり、人が歩いて行き来できるほどにまで水位が下がるのに半日ほど、市街地の半分ほどを覆うに至った水を全てファーダ川へと戻し、完全に浸水が解消されるのには丸1日ほどかかることとなった。


その間に第4大隊に続いて駆けつけた他の隊の協力や、シーヴァたちの活躍で水位がゆっくりと、しかし順調に下がったことにより、日が暮れる頃には救助活動もおおむね完了した。ズンファーの一番長い日は、ひとまず終わりを迎えたのである。しかし、救助活動がひと段落した後の集計により、この時点ですでに数百名もの死者並びに千人以上の行方不明者がいることが明らかになった。人口約2万のズンファーにとってみれば、あまりにも大きな犠牲であった。しかも、この犠牲者のうちほとんどは一般の住民であった。


その夜、重苦しい空気の中で、タイグとフィオナは避難所の配給食糧を口に運びながら、今日までの日常について振り返っていた。


「……なあ。」

「……何?」

「……不味いな。」

「随分と直球だね。まあ、否定はしないけどさ。」

「お前さ、昨日言ってたよな。『もっと豪華な食事を用意できたらよかったのに』って。……確かに、普通だったよ。はっきり言って豪華ではなかった。だがそれは、今日も明日も明後日も、同じような食事ができると思っていたからだ。それが思い込みだったって気がついてりゃ……。」

「それは……、たぶん、誰だってそうだと思うよ。昨日まで、まさかこんなことになるなんて予想できた人……正確には、『予想してた』人はいなかったはずだよ。」

「不思議なもんだな……。あっちでは大雨だの、こっちでは日照りだの、毎日のようにいろんなとこで災害が起きて、そのたびに多くの人々が苦しんでるはずなのに。これまで地学についてもそれなりに勉強してきて、災害に絶対遭わない場所なんてねぇっていうのも十分に理解してたはずなのに、何で勘違いしてたんだ……、俺たちだけはそんな目には遭わねぇって……。」

「だとしても、地震だけじゃなくファーダ川まで氾濫するなんて……、どんなに悲観的な性格の人でも想定してない事態だよ……。」

「おい、2人とも。」


厳しい表情でタイグとフィオナの会話に割って入ってきたのは、ダヒの同僚で、2人と同じ避難所にいたコノルだった。


「コノルさん、父さんは……?」

「……、ついてきてくれ。」


コノルの言葉を見て察したのか、2人は暗い表情でコノルの後をついていく。


「隊員さん、連れてきましたよ。」


避難所からほど近い建物の前でコノルが声をかけたのは、防災隊の隊員の1人と思われる男性であった。


「ご協力、ありがとうございます。こちらへどうぞ。」


そう促されてタイグとフィオナがその建物の中へと入ると、2人の目に飛び込んできたのは、非情な現実そのものであった。顔の部分を白い布で覆われ、床に横たわる数多あまたの人々。もう二度と動きも喋りもしないであろう彼らの傍らで、泣き崩れる人々。そんな人々の合間を縫うようにして進み、隊員が指し示したその先に、1人の男性の姿があった。最も、その男性もまた顔だけは白い布で隠れていたわけであるが、2人にとって、背格好だけでもってその男性が誰なのかを見極めるのはあまりにも容易なことであった。2人とも、なんとなく覚悟はしていたことであった。しかし、いざの当たりにした時の衝撃は、その覚悟の遥か上をいくものであった。今朝別れて以降、およそ半日ぶりの再会、その瞬間である。

 

「「「……。」」」


言葉を失うタイグに、隊員が問いかける。


「大変失礼かとは存じますが、このご遺体のご家族の方……と伺っております。このご遺体のお名前とご職業をお教え願えませんでしょうか?」

「……、……名前は、ダヒ・クイン。俺はその息子です。父はファーダ川の堤防整備をしていました。」

「さようでございましたか。ご協力に感謝いたします。この度は、誠に残念でございました。謹んで、お悔やみを。そして、英雄ディアンのご加護があらんことを。」


気を遣うような、しかしどこか味気のない言葉を言い残し、隊員はその場を去って行った。恐らく、別の遺体の身分証明ができる人物を探しに行ったものと思われる。周囲はのこされた人々の涙する声で騒がしいはずであるのに、なぜか彼ら3人と、1人の亡骸なきがらの周りだけは、静かな空気が漂っていた。3人の瞳に、涙はなかった。


「……少し、2人で話をさせてくれるか。」

「俺たちは戻ろう、フィオナちゃん。」

「はい。」


フィオナとコノルは、タイグとダヒを残して避難所へと戻った。2人が見えなくなるほど遠くまで行ったのを見届けてから、タイグはその場にゆっくりと座り込み、話し始めた。


「……、……人々の暮らしを守る男……じゃなかったのかよ。お前が整備した堤防は崩れないんじゃなかったのかよ……。逆じゃねぇかよ、全部。お前が整備した堤防、崩れたんだよ。そのせいで大勢死んだんだよ。人々の暮らしを守るどころか、ぶち壊すのに加担してんだよ……。なのに何で死んでんだよ。お前が死んだんじゃ、誰がこの落とし前つけるってんだよ。素直に逃げてりゃよかったのに、下らねぇ正義感を優先しやがって。何でどいつもこいつも、自分の命は平気で投げ打つくせに赤の他人の命は守ろうとするんだ?!なぁ?!……、そのくせ、結局その他人も守れず、自分自身のことも守れねぇんじゃねぇか。そんなに他人が大事かよ。他人に対してどうこうするより先に、自分がまず健全であるべきだと思うのは俺だけなのか……?俺には分かんねぇよ!


思いの丈をぶつけ終え、タイグは再び立ち上がる。そして別れ際、こう呟いた。


「……こんなことになるなら、せめて、昨日のうちにちゃんと祝ってやるんだったよ……。」


―――――――――――――――――――――――――――――――――


ズンファーでの悲劇から約2週間が経過した、災害後歴364年5月31日の午前8時頃。フィオナとタイグはこの後すぐにズンファーをつために、旅支度をしていた。と言っても、それが済んでいないのはタイグだけのようであるが…。


「ねぇタイグー、まだかかりそう?そろそろ出ないと間に合わなくなるよー?」

「もう少し待ってくれ。何せ家の中は散らかったままなんだ。持って行きたい文献が瓦礫の山に埋まっている。というか、お前こそよくそんなに早く準備ができたな。」

「私はちゃんと昨日のうちにやっておいたんだよ。それに、タイグの家と違って、私の家は崩れちゃったから今更掘り起こすようなこともないし。とにかく、あと5分でどうにかしてねー。」

「ああ、分かった。」


クイン家は先日の大地震で倒壊こそしなかったものの、柱や壁にはヒビが入り、家具は倒れ小物は散乱し、それはもうひどい有様であった。タイグの部屋はそれほど物が多いわけでもなかったが、彼が地学を学ぶために収集した書籍を収めた本棚もまた倒れてしまったため、目当てのものを探し出すのに手間取っているようだ。


「……!これは……!」


床に散らばった書籍を漁っていたタイグが発見したのは、一冊の大判書籍であった。タイグがそのままページをパラパラとめくると、その書籍には豊富な挿絵と平易な文字で地学の知識が一通り網羅され、そして後から書き加えられたものと思われる書き込みも多数あった。


(本棚の奥に押し込んだきりすっかり忘れていたが、まさかこのタイミングで掘り起こされるとは……。いや、むしろ今だからこそ、なのか……?)

「ねぇ、タイグ。まだ見つからないの?」


ついにしびれを切らしたのか、タイグを急かしにフィオナが部屋に入ってきた。しかしタイグが手に持っている書籍は、フィオナにも見覚えがあったようである。


「うわー、懐かしい。確かそれって、タイグがまだ小さかった時におじさんが買ってくれたやつだよね。」

「ああ、俺が初めて読んだ地学の入門書だ。もらった当時は対して興味も湧かなかったが、母さんの死因が災害だと知ってからは、自分でも人が変わったのかと思えるくらいには読み込んでたよ。」

「私にはちんぷんかんぷんだったけどねー、子供向けの本のはずなんだけど。」

「今もちんぷんかんぷんなんじゃねぇのか?」

「あのねタイグ、それは流石に馬鹿にしすぎ。私だって成長してるんだよ?普段タイグが読み漁ってるような論文じみた本ならともかく、その本に書いてあることくらいは分かるよ。……で、それも持って行くの?」

「いや、これは置いていく。」

「いいの?明日の結果次第じゃ、長期間この家には帰らないことになるし……。それにどっちみち、この家もこの間の地震でいろいろと傷んでるから、じきに取り壊されるんでしょ?家の中の物も防災隊の人たちが処分しちゃうかもしれないんだよ?」

「それは分かってる。だが、それでいいんじゃねぇのか?」

「本当にいいの?それって、いわばおじさんの形見ってことになるんじゃ……。」

「確かに、この本は父さんがのこしたものの一つだ。だが父さんはもういない。俺がこの本を持って行こうが行くまいが、父さんは帰ってこない。だからここに置いていく。大きくてかさばるし、長旅には向かないからな。」

「はぁ、何それ。」

「不満か?」

「いや、つくづく羨ましい性格してるよねって思ってさ。そんなにあっさりと切り替えられるなんて。」

「俺がそんな薄情な人間に見えるのか。念を押しておくが、俺は『この本を』置いていくと言っただけだ。この本に書かれている内容は全て頭に入っている。つまり、この本とともにあった俺の過去は持って行くつもりだ。俺にとってはむしろその方が、この本一冊持って行くよりずっとおめぇよ。」


いつも理知的で現実的な発言の多い普段の態度からは想像しにくかったタイグの胸の内に、フィオナははっとさせられたような表情を見せる。


「……ごめん。少し無神経だった。」

「お前が気にすることじゃないだろ。実際、この本を持って行かない理由の一つが『かさばるから』っていうのは事実だからな。」


しかし感傷的であったのも束の間、すぐさま普段のテンションに戻るタイグを見て、フィオナは複雑な気持ちになって言う。


「……、はぁーあ、何か、下手に気にして損した。それで、準備はできたの?」

「ああ、必要なものは全て揃った。」


そう言ってタイグがカバンを持ち上げると、完全に閉まり切っていなかったカバンの口から何かがこぼれ出た。


「ん?何?これ。」


フィオナがそれを拾い上げる。石のような何かであるが、フィオナにはその正体が分からない。


「ああ、すまん。それは必要な物なんだ。」

「えー、何でおじさんの形見の本は持って行かないのに、得体の知れない石ころは持って行くって発想になるの……?」

「引くわー、みたいな顔をするなよ。……お前はさっき『昨日のうちに準備しておかなかったからバタバタしてるんだ』って言ったがな、俺も昨日のうちから準備は進めてたってことだ。まあ、お前は別に気にしなくていい。」

「あっそ、じゃあとりあえず返しとくけどさ。……よっし、出発するよ。一つでも遅れたら間に合わなくなるんだから。それと、ん。」

「何だよ、突然手なんか差し出して。」

「何って、船の運賃。私もタイグも金銭的な余裕はないから、自分の分は自分で出すっていう約束、覚えてない?」

「ああ、そういうことか。いくらだ?」

「銀貨2枚と銅貨5枚。」

「あのボロい見た目の船に、それだけの大金を払う価値があるのか?」

「……否定はしないよ。おじさんの話では、私たちが生まれて以降はずっと同じ船で運行されてるらしいし。」

「まあ、目的地まで連れていってくれるだけまだマシ、か。ほらよ。」

「えーと、……うん、ちょうどね。さ、準備できたなら行くよ。本当に間に合わなくなる。」


足早に階段を下りるフィオナに続き、タイグも家を出る。玄関のドアをくぐったその瞬間、ふと振り返って生まれ育ったクイン家の姿を今一度目に焼き付けるタイグ。彼の姿を見て、クイン家の隣にある自らの生家に目をやるフィオナ。彼女の視線の先にある建物は、もはや瓦礫と化してしまっている。彼の表情には決意の色が、彼女の表情には喪失の色が浮かんでいた。そして2人は静かに歩き出す。2人にとっては初めてとなるズンファーの外への旅の始まりであった。


「ラー第4停泊所行、出航しますよー。お乗りになる方はいませんか=?」

「すみませーん、乗りまーす。これ、2人分の運賃です。」

「はい、確かに。」


始まりの大災害により当時の文明のほとんどを失った人類にとって、現在の主要な移動手段は船舶であった。川幅が広く水深も十分あり、普段は流れも穏やかなファーダ川は、大型の船舶を航行させるには適していたうえ、ファーダ川流域に連なるように造られた主要都市間の移動には、結局ファーダ川を航行するのが都合の良い方法であったからである。2人はユーラストの中心都市であるラーへ向かうためにその大型船に乗る必要があったが、何とか出発時刻には間に合ったようである。


「ふー、間に合った。」

「はぁ、はぁ……。いきなり走るなよ。ただでさえ体力がないのに、荷物も背負っているんだ。追いつけるわけがないだろ。危うく俺だけ置いていかれるところだった。」

「荷物が多いって点では私も同じだけど?もっと体を鍛えないといけないんじゃない?」

「馬鹿を言え、俺は勉強するために生きてるんだ。運動する暇があるなら、その時間も勉強に費やしたい。」

「……なんか、こんなやりとり、前にもしたことがあるような気がする。」

「ああ、あの日、か。」

「2週間経ったんだよね。もう2週間というべきか、まだ2週間というべきかは分からないけど、とにかく2週間。」

「まあ、まだ2週間と言った方がいいんじゃないのか。」


タイグがそのように言う理由は、船のデッキから見えるズンファーの街の様子を見れば明らかであった。この2週間の間、街のいたるところで防災隊主導の復旧作業が行なわれてこそいるものの、あまりに被害が甚大であったために全く追いついていない。未だに行方の分からない人が大勢いるというのも現状だ。ズンファーの住民にとっては、時間などあの日あの瞬間ときから止まっているも同然といった状況であった。


「なんかさ、ついさっきまで『新たな門出』みたいな感じで話してたけど、こうやって街の様子を眺めてるとさ、私たちだけが前に進むのってどうなんだろうって思えてくるんだよね。」

「……だが、この街は少なくとも止まってはいないと思うぞ。進んでいるかと聞かれれば、確かに牛の歩みといったところだ。だが街の人々はそれぞれができることをやっている。そもそも地震の被害なんて、2週間やそこらでどうにかなるもんじゃねぇだろ。むしろ、俺たちだけが止まっているのは、進もうとしている人々に対して失礼なんじゃないのか。」

「そう、だね。その通りだと思うよ。少なくとも後退した分は、進まないといけないってことだよね。お父さんもお母さんも、きっとそう言うはずだよね。……なんかさ、タイグ、変わったよね。なんか、うまく言えないんだけどさ。前はただ『正しいこと言ってます』って感じで、正直ちょっと嫌な感じだったけど。」

「嫌な感じとは失礼だな。まあでも、そうか。少し前までの俺は、とにかく論理的に正しいことを言って、そしてやってさえいれば何でもうまくいくと思ってた節があった。だが、実際のところ人間は正しいか正しくないかだけで物事を判断してるわけじゃねぇってことに、2週間前に気がついた。いくら俺の意見を伝えても無視して突っ走ろうとする奴はいるってことに。」

「それは……、つまり私のこと、だよね。」

「そうだな。お前もそうだが、父さんもそうだった。そして、そんな奴らの行いに対して、理論で諭すことを忘れて感情をぶつけちまうような自分がいるってことも知った。学者を目指すからには理論が最も重要だ、感情は時に理論的な判断の妨げになる、そう考えていた俺にとってはショックだったよ。つまり、俺にも意外とセンチメンタルな部分があったって話だ。」

「人間なんだし、感情を抜きにして判断するなんて無理だよ。少なくとも私は、あの時タイグが本気で私を止めてくれたことに感謝してる……と思う。」

「なぜそこで言葉を濁す?」

「いや、それは――」

 

フィオナがタイグの質問に対する答えを言おうとしたその時、タイグが寄りかかっていた柵の根元からミシ、という不穏な音が鳴った。

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