6:天騎士ルークと天秤の神 Ⅰ

 ギルガス――


 この世界で信仰される神の一柱で、法と正義を司る。法は人の為。法を守る者には加護を与え、法を犯す者には罰則を与え。その思想もあって、法律関係の建物には必ずと言っていいほどギルガスのシンボルである天秤が描かれている。


 正義。この言葉の定義は容易ではない。例えば善を為し、悪を討つ行為。善を為された側からすれば正しいが、討たれた悪側からすれば暴行である。立場が変われば正義も変わる。全ての生きとし生けるモノが納得できる正義などないのだ。


 だからと言って正義を唱えることに意味がないかと言われれば、それも違う。平等を求めること。公平さを保つこと。これらを失えば社会はあっさり崩壊する。不当な差別が横行し、力ある者が力なき者から奪う。これらを許す社会は多数の悲劇と不幸な人間を生むからだ。


 結局のところ、正義に明確な形などない。時代や風習などによる道徳的な考えをベースにして定義していくしかないのだ。ギルガスの教えもそうして世代を得ることに変化していった。不変の正義などない。人々の幸せの形が変わるように、正義もまた時代で変化していくのだ。


 故に――


「皇帝<フルムーン>に従え。それこそが、正義」


 皇帝<フルムーン>が世界を統べようとする中、ギルガスの力を持った皇帝<フルムーン>の使い魔である『ギルガス』がこう発言するのも、間違ってはいなかった。


「皇帝<フルムーン>は法。皇帝<フルムーン>は正義。全ての生命は皇帝の庇護のもと生きていくのだ。

 赤き水で眠り、争いも苦しみもない世界で永遠に生き続けよ。それが人類が生き延びる唯一の道だ」


 神は、人類を守るために戦う。しかし悪魔やモンスターを前に滅びる未来は濃厚だ。


 そんな中、皇帝<フルムーン>が現れた。皇帝が産む紅水は全ての生命を殺すことなく保存できる。何も考えることもできず指一つ動かせないが、それでも死んではいない。このまま死に絶える未来よりは、まだマシな未来だ。


「ああ、それは幸せな終わり方です」

「もう辛いことに目を向けなくてもいいのですね」

「痛くない生活がそこにあるんですね」


 皇帝<フルムーン>の進攻で苦しむ人達は、救いを得たとばかりに自ら皇帝の赤水に身を投じる。思考を放棄し、ただ水の中で生き続けるだけの物言わぬ存在になる。それが幸せなのだと信じて疑わない顔で。


「死にたくない。死にたくないです神様!」

「どうか私達を助けてください!」

「人間をお救いください!」


 そんな中、安らかな死を選べない者達もいた。生きていたい。我が子と共に生きたい。愛するものと共に生きたい。そんな人としての言葉を、


「おお、皇帝の慈悲を受け入れられない愚か者たちよ。だがその愚かさを私は愛そう。その愚かさもまた、人のサガなのだから」


『ギルガス』は優しくそう言い放ち――容赦なく目から放った光でその者達を射抜いた。心臓にのしかかる圧迫。魂を押し潰されるような苦しみ。呼吸する事さえ許されず、許すを乞う事さえもできない。


「汝らが持つ罪に応じた罰則を与えた。生きるために何かを食らい、生活に害ある存在を排した人間よ。その愚かさに応じた罰則が汝らを襲うだろう。

 その痛みに耐えながら生きるがいい。その罪に魂を削られながら生きるがいい。それに耐えきれぬと判断したのなら、皇帝の慈悲に縋るがいい」


 生命を食べずに生きてきたものなどいない。害虫などを駆除したことのない者などいない。罪を犯したことのない人間などいない。『ギルガス』に射抜かれた人達はもがき、苦しみ、そして最後には皇帝の水に身を投じた。


「これが正義。これが法。正義が人間を守り、法が人間を救う。全ての生命は皇帝に支配され、その支配下でのみ生きることができるのだ。人類の未来に、光あれ!」


 正義と法。それは人を守るモノ。そういう意味では、この『ギルガス』も正義と法により人を守っているのだ。全てを諦め、多くの人達は赤き水にその身を捧げていく。


「いいや! こんなものが、こんなものが正義であってはならない!」


 声は、高らかに告げられる。


「我が名は天騎士ルーク! 一人の人間、ルーク・クロムウェルとして、貴様の正義を認めない!」


 稲妻を纏った両手剣『武御雷』を手にした騎士風の男性。天騎士ルーク。かつて悪魔に操られてアサギリ・トーカを襲った人間。


「愚かなる人間、ルークよ。神の言葉が正しくないというのか」

「否! 安らかな眠りにより救われる人間がいるのも事実! それは認める!」


『ギルガス』の言葉に剣を持つ拳に力を込めて答えるルーク。この場にトーカがいたら『認めてるじゃない』とツッコミが入っただろう。


「苦難に心折れ、安らかなる終わりを求める。それもまた人間! 戦いに疲れ、安楽を求める心を否定はしない! 戦い続けられる人間ばかりではない! 弱く、心折れるのもまた人間なのだ!」


 人間の弱さなど身に染みて分かっている。誘いに乗って悪魔と契約した自分。恋焦がれた相手に好きな人がいることを知った時の荒れた心。聖人君子などごくわずか。人間の大多数は弱く醜いのだ。


「だがそれを強要してはならない! 永遠の眠りを選べぬ人たちを苦しめて強要させることなど、あってはならない!

 正義とは、法とは、社会に躓く弱き者達を悪に走らせぬために守る者! 厳しい罰則は悪事を躊躇わせるためのモノ! けして、強要するものではない!」


 言ってルークは剣を『ギルガス』に向ける。その意図は明白だ。全身全霊をもって、神を斬る。視線も構えもすべてがそう語っていた。


「神に剣を向けるか。暴力で片をつけるのが貴様の正義か」

「そうだ! 貴様はここで討つ!」

「この状況によって人類が救われる道は皇帝<フルムーン>による安らかな眠りしかない。罰則による選択強要もそのためだ。それを悪というのか」

「救いの道なら、もう一つある!」


 静かに答える『ギルガス』に、ルークは大声をあげて否定する。


「アサギリ・トーカとイザヨイ・コトネが皇帝<フルムーン>を倒し、世界に平和を取り戻す! そうすれば、皇帝の慈悲を選ぶ必要もない!」

「戯言を。それが不可能なのは誰の目にも明らか。

 人類はアサギリ・トーカとイザヨイ・コトネを皇帝に歯向かう敵として認識している。誰もがあの二人を捕えようとし、生贄に捧げようとしている。皇帝の元にたどり着くことすらできないだろう」

「いいや! あの二人は皇帝を討つ!」


 誰の目にも明らか、という神の言葉。それを真っ直ぐに否定するルーク。


「あの二人は強い。如何なる困難も乗り越え、如何なる存在であっても引き離せない! 俺はそれを信じている!」

「ならば正義の名の元に断罪せねばな。事、アサギリ・トーカの方は罪が重そうだ。その罪に応じた苦しみを与え、猛省させた後に皇帝の元に差し出さねば」

「それが貴様の正義なら――!」


 背中に羽を生やし、『ギルガス』に斬りかかるルーク。『ギルガス』は手にした剣でそれを受け止めた。十字に交差した剣越しに、ルークは己の正義を叫ぶ。


「あの二人を守るのが、俺の正義だ!」

「人類を救う英雄を守ることがか? 幼い子供如きに全てを託すというのか?」

「あの二人が人類の希望になるか否かなど、関係ない!」


 ルークは叫ぶ。この正義は、この剣は、世界の為に奮うのではない。


「あの二人を守る! ただそれだけだ! それが! 俺の! 正義だ!」


 天騎士は、己に託した剣の誓いを果たすために戦う。

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