5:夜使いトバリと魔性の悪魔 Ⅰ

 リーン――


 この世界の人間が悪魔と言って真っ先に思い浮かぶのはその名前だろう。甘い声で囁いて人を破滅させる。人間に化け、気が付けば傍にいる悪魔。その誘いに乗った者は、長大な力と共に破滅を得るという。


 人間のアンカーと相性がいい魔物を結びつけ、社会に混乱を起こす。リーンはその術に長けていた。人の愛、人の求めるモノ、人の弱み。そう言った物事を察知して、そこを優しく包み込む。


 暴力的な事など行わない。強制なんてしない。相手に選択させ、了承させる。そうすることで魔物はアンカーに深く結びつき、その願いのままに魔物は動き出す。天騎士ルークの屈辱を刺激し、ナタのプライドを持ち上げ、そしてクライン皇子の支配欲を満たし。


 悪魔こそ、優しく微笑む。人の心に滑り込み、破滅の契約を結ばせる。まさに魔性の悪魔。貴方の隣人が悪魔の契約を交わしたかもしれないのだ。ふとしたことで貴方の相方が魔物になるかもしれないのだ。


 リーンの力を得た皇帝の人形『リーン』も、暴力を行使することはなかった。


 ただ数体、人に変身できる魔物を町に放ったに過ぎない。そして夜な夜なその魔物に示威行為をさせただけだ。夜道で変身を解き、おぞましい姿で人を脅かしただけ。


『町中に人に化ける魔物を放ちました。この町の誰かを誘拐し、その人に成り代わらせました』


 そしてリーンは街の人達にそう告げる。


『これまでは脅しで止めていましたけど、それも今日まで。今夜からは……どうなるかしら?』


 リーンはそれだけ言って姿を消す。町の人達は悪魔がいなくなって安堵するが、同時に疑心暗鬼を持つ。


『誰が魔物なんだ?』

『どこに潜んでいるんだ?』

『魔物を倒さないと……俺の家族が殺されるんじゃないか?』


 皇帝<フルムーン>が世界を侵略していく不安な世情。そんな状況で示された魔物の存在。それは確かなストレスとなって、街の人達に圧しかかる。


 そしてその夜、街で殺人事件が起きた。路地裏で見つかった死体。常時であれば喧嘩の末だと処分される案件だが、もしかしたら悪魔の仕業かもしれないと疑う者もいる。その可能性を完全に否定できないのだ。


 冷静になれば、人口が多い町ではこういうトラブルはどこかで起きる。ほとんどの人達は悪魔のせい『かもしれない』程度の疑念だが、ごくわずかに悪魔の仕業に『違いない』と思う者が出てくる。


『人間に化けた魔物が人を殺しているんだ』

『次は誰だ? 俺か?』

『やられる前に、やるしかない!』


 一人、また一人と疑心暗鬼に染まっていく。追い込まれたストレスが『殺さなければ殺される』と選択肢を狭めていく。そして――凶行に走る。


 殺されていく人が増えれば、疑心暗鬼に染まる人も増えていく。そしてさらに殺される人が増え、ストレスはさらに重くのしかかり、凶行は加速していく。


 治安は完全に崩壊し、誰もが隣人を信用できなくなった。わずかな音に怯え、交流は途絶えて、街という社会は機能しなくなる。殺し、奪い、そして死を待つだけの場所になり果てる。


「人間ってバカね。私は何もしていないのに」


 その様子を見て、『リーン』は人間の愚かさを嗤う。事実、リーンはあの宣言の後は何もしていない。魔物も暴れさせずに待機していた。ただ人間達が勝手に疑心暗鬼に溺れて死んでいったのだ。


「否定はせぬ。人間は愚かだ」


 そんな『リーン』に近づく足跡。『鬼ドクロ』とメスガキに呼ばれる角が生えたドクロのヘルムをかぶり、着流しを羽織り日本刀を持つ男。


「しかし斯様な状態になっても立ち直れるのもまた人間。具体的には宅配サービスなどを活用し、人に会わぬ生活をすることだ。不信を癒すのではなく、不信のまま生きる術を作る。それができるのも、また人間だ」


 この世界に宅配サービスはないわよ、とツッコまれそうなセリフである。もっとも当人はいいこと言った、とばかりに胸を張っていた。多分ヘルムの内側はドヤ顔しているだろう。


「貴様が皇帝<フルムーン>の使い魔、『リーン』だな」

「そうよ。あなた、名前は?」

「ワシの名は夜使いトバリ。汝に死を告げに来た死神だ」


 宣戦布告をするトバリ。内心は『よし、決まったねワシ!』とガッツポーズをしていた。刀はまだ抜かない。


「夜使い……悪魔に死を告げに来たなんて面白い冗談ね」

「貴様は本物の悪魔ではなかろう。皇帝に作り出された偽の命だ。その命脈を断つことはできようぞ。

 さらに言えば、ワシは本物の悪魔に死を告げたこともあるがな」


『リーン』の嘲りに、トバリは静かに答える。実際、テンマが憑依した死神を即死させたことがある。噓は行っていない。テンマ本体ではなく『即死耐性が低い魔物』を殺しただけだが。


「たいした死神ね。なら試してみる?」


 言って両手を広げる『リーン』。人間如きに自分を殺せるはずがない。その笑みがそう告げていた。そしてそれは事実だ。皇帝<フルムーン>に人間のアビリティでは死なないように魔力を込められているのだ。ゲーム的に言えばボス属性だから死なないと言ったところだが。


「死を急くな。短き生ではあるが、それを謳歌するがいい。人の愚かさを見て、微笑む。その想いを堪能するがいい」


 あ、コイツ即死効かないっぽい。ボス属性だ。それに気づいたトバリは内心慌てながらも静かにそう告げる。ヤッベ、ここで即死攻撃仕掛けたらMPの無駄だわ。っていうか負けフラグだわ。軌道修正軌道修正。


「以外ね。貴方は人間じゃないの? こういうことをする悪魔に怒りを感じて切りかかってくるのだと思ったけど」


 そんなトバリの想いに気づくこともなく、『リーン』は問いかける。これまで『リーン』に襲い掛かった者は、皆人間を侮るなと言ってきた。人間は信じあえる生き物だ。愚かなんかじゃない。そう言ってきた。


「人間だとも。だからこそ人間の愚かさを知っている。貴様が産んだ疑心暗鬼による殺し合いなどかわいいモノよ。歴史を紐解けば、愚行などいくらでも出てこよう」


 具体的にどんな愚かな行為があるのですか、と聞かれても答えられませんがね! 相手に合わせて適当なことを言っているトバリであった。なので相手に言葉を許さずに話を変える。


「ワシが汝に死を告げる理由はただ一つ。

 皇帝<フルムーン>を倒そうとする子達を守るためだ。それ以外の人間などどうでもいい」

「そう、アサギリ・トーカとイザヨイ・コトネの友人なのね」

「ふ、友人などという美しい仲ではない。ワシは闇。夜を歩く狩人。他者と友愛など結べる立場ではない。

 語るに及ばぬつまらぬ関係よ」


 実際トーカとコトネから見たトバリは『なんとなく知ってる変な人』『えーと、悪い人ではないですよ?』であり、友人ではない。100%語れないぐらいにつまらない関係であった。


「つまらない関係なのに、命をかけるのね」

「命などかけぬ。いつも通り、刃を振るうだけだ。ワシにとって呼吸するのと同じことよ」

「バカにされてるのかしら?」

「事実だ。貴様如きに奥義を使うまでもない」


 かわされる言葉の応酬。夜使いの極意……レベル10アビリティは即死攻撃だ。そしてそれはボスには効かない。なので使うまでもないというよりは、使っても意味がないのである。


(聞くところによると他の神悪魔は強そうだけど、『リーン』は人を魔物にする誘惑計! つまり本人は弱いとみた! そう思って『こ奴はワシがやろう』と申し出たんだよね! ワシ、天才!)


 そしてトバリが『リーン』に戦いを挑んだのは、他の神悪魔と比べて戦いやすいからだという理由である。


「そう。なら死になさい」


『リーン』が指を鳴らすと、影から魔物が現れる。この町で人間に殺された人間。その死体を操っているのだ


「死神に死体を差し向けるか。つまらぬ冗談よ」


 言いながら、トバリは焦っていた。アンデッドに即死攻撃は効果がない。夜使いのアビリティの半分が通用しないのだ。


(やっべえええええええええ! 本体弱いから楽勝と思ってたけど、こんなギミックがあったのね! 即死ジョブに即死通じないモブラッシュとかどうなの! ワシ、ヤバいかも!?)


 叫びそうになるのをどうにか耐え、刀を抜くトバリ。帰りたいと思いながらも、ここで逃げるのはかっこ悪いよなぁ、という理由で逃げ損ねた。


 言葉だけを見ればクールだが内心ぐだぐだなトバリと、『リーン』の戦いが始まる――

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