36:聖女は人の希望となる

 トーカさんが拳を振り上げて前向きに叫んでいると、私に近づいてくる気配を感じます。


「聖女コトネ様!」

「神の力を行使した奇跡の聖女様!」

「神格者として、民を救った奇跡の行使者コトネ様!」


 え? え?


 言葉とともに傅いたのは、ビュットナー司祭を始めとした神殿にいた司祭達です。その中には私に対して反発的だったロレンソ司祭やトーカさんを攻撃したラバール司祭もいました。


「オルストシュタインが魔なる皇帝の血に染まり沈みそうになった時、確かに我々は神の声を聞きました」

「その声の中に、確かに聖女コトネ様の力を感じました」

「国民すべてが貴方に助けられたのです。あの絶望の中、神を宿して奇跡を行使された聖女様。その事を知らぬ者など、この場におりませぬ」


 その言葉を皮切りにしたように、周囲にいた人達が祈るように私を見ます。絶望の海から救われ、希望の星を見るように。


 何かを期待するように司祭達がこちらを見ています。私はそれに気づいて、背筋を伸ばして口を開きました。


「皆様、私がイザヨイ・コトネです。私の話を聞いてください」


 私の言葉が響くと、注目と期待の視線が集まります。司祭様の魔法のようなもので、私の声は周囲に広まっていきます。ここに転移してきた全ての人が声を聴いているのでしょう。


 ざわめきはすぐに私の声を待つ沈黙に変わっていきます。その間に言うべきことを脳内にまとめ上げ、呼吸を整えます。


「皆様が住んでいたオルストシュタインは、皇帝<フルムーン>に支配されました」


 動揺が走り、暗澹とした空気が広がります。嘘はつけません。この事実を前提としたうえで、今後どうするかです。


「皇帝<フルムーン>は皆さまの経験を税と称して奪い、我が物にする悪辣な存在です。戦う力、抗う力、それを奪い魔物の奴隷として扱うと言っていました。事実、それはあり得た未来でした。

 しかし、その未来は回避されました!」


 皆様が悲劇の未来から救われたことを、声高らかに宣言します。あとは考えるより先に言葉が浮かんできます。


「私に降臨された生命の神、シュトレイン様。その深い慈悲により、我々はこの地に運ばれました。皇帝<フルムーン>に不当に力を奪われることなく、皆様の人生を守ってくれたのです」

「神よ!」

「シュトレイン様!」

「優しき神に感謝の祈りを!」

「神を宿したコトネ様に祝福を!」


 私の言葉に合わせるように司祭達が叫びます。少しプロパガンダのようではありますが、混乱や不安を納めるためと思うと仕方がない事なのかもしれません。


 突如血の洪水に襲われたかと思うと、気が付くと異国の地。対応が遅れれば魔物の奴隷になっていたかもしれない。そんな事実から目をそらし希望で前を向くには、見上げる星が必要な時もあります。


 ――私にとっての、トーカさんのように。


「皆様がここにいるのは、神の奇跡によるもの。

 しかし神の力だけではこの奇跡は起きませんでした」


 私の言葉に、動揺が生まれます。司祭達も『え?』という顔をしていました。ここで神の力に否定的な事を言えば、この空気に水を差す。そう言いたげですが、これだけは止めるつもりはありません。


「あの時街で混乱を生んだ魔に操られし存在。それを打ち倒したのは、幾度もこの町を守ったゴルド・ヘルトリング卿! そして遠くアウタナから魔を祓うために斧を振るった戦士、ニダウィ・ミュマイ様!

 お二人が培った戦士としての力。そして町への尽力なしでは神は魔に阻まれ、降臨できなかったのです!」

「……ふむ」

「エ、エ、エ!? ダーの事カ!?」


 突然話を振ったにもかかわらず、ヘルトリングさんは動揺することなく手を挙げて対応しました。ニダウィちゃんは慌ててますが。


「そして皇帝<フルムーン>に私と共に果敢に挑んだアサギリ・トーカ様! オルストシュタインに潜んでいた悪魔を退けたのは、彼女なのです! その勇気、その献身、それがなければ私はどこかで心折れていたでしょう!」


 イヤな空気を察して逃げようとするトーカさんを掴んで引っ張り、私の前に立たせました。ええ、これだけは言わせてもらいます。私を助け、支え、心折れないように傍にいてくれたのは、トーカさんだと。


「アサギリ・トーカ! クライン皇子……いや、クラインを蹴った英雄!」

「魔王を倒した英雄が、皇帝に一矢報いたんだ!」

「聖女を支えた遊び人!」

「あのやり取りは尊かったぞー!」


 いろいろな称賛の声がトーカさんを包み込みます。褒められることに慣れていないトーカさんは想像以上に慌てて震えていました。恨みがましい視線を私に向けて、小声で私に話しかけてきます。


「……アンタ、アタシがこういうの苦手って知ってて巻き込んだでしょ……!」

「さあ? でも皆さんに希望を与えるために必要な事ですから、仕方ありませんよね。私だけじゃ荷が重いんで、巻き込みました」

「この……!」

「私もトーカさんが褒められてうれしいです。

 それに噓は言っていませんよ。トーカさんがいなかったら、心が折れてました。……ありがとうございます、トーカさん」


 トーカさんだけに聞こえるようにそう告げて、掴んでいる手に力を込めました。トーカさんは顔を背けて頭を掻き、いろいろ諦めたように力を抜きます。


「あー、もう。好きにしなさい。どーせこういう声の中にもアタシを恨む声があるに決まってるんだし」

「かもしれませんね。でもこの声も事実です。トーカさんは皆を救い、感謝されています。遊び人だからとか、子供だからとか、そんなことを言う人はいません」


 みんなを救おうとしたトーカさんが、助けた人達に感謝されている。私はそれで十分です。


「そして、ここから未来を紡ぐのは皆さまです。

 オルストシュタインでの生活は奪われました。今日起きたことは紛れもなく災厄です。皇帝<フルムーン>はいまだ健在で、今後どうなるかはわかりません。

 しかし皆さんは生きています。神の奇跡と、悪魔に抗った人達の結果、生命と自由を得ました。

 ここからは皆さんの戦いです。日々を紡いで、未来をより良い方向にする。それこそが、あの皇帝に抗う唯一にして最大の意趣返し。人の世を作り続けることが、魔の皇帝を否定する事なのです!」


 私の言葉に、皆さんに熱が入ります。


 過去は辛く、今奪われたものは多く。


 しかし命はある。歩くことはできる。


 未来を紡ぐこと。それがこれからの戦い。人の世を生きること。それが魔の皇帝に対する抗い。私の言葉が皆さんの希望になれば幸いです。


「おおお! 聖女コトネ様!」

「シュトレイン様!」

「俺達を助けてくれてありがとう!」

「生きてるぞ! 俺達は生きてるぞー!」


 声は高く、そして力強く。少なくとも災厄に首を垂れる声は聞こえません。


 とはいえ、現実は甘くはないでしょう。10万人近くの人間の行く先。未曽有の支配者の降臨。楽観できる状況ではないのは事実です。


「皆様に希望と歩く力を与えていただき感謝します、コトネ様」

「絶望で首を垂れ、自棄になられればどうしようもありませんでした。生きるために山賊に身を落とすこともあり得たでしょう」

「民の誘導。生活資源の確保。ヤーシャとの交渉。それらはすべて我ら元オルスト神殿の司祭が執り行います」

「教義に拘泥し、つまらぬ諍いを行っていた罪滅ぼしです。

 神を宿したコトネ様やそのお仲間様に顔向けできるよう、尽力いたします」


 その問題に立ち向かうと、司祭達が私に言いました。かつて反目していた司祭も協力するようです。事態が事態、という事もあるのでしょう。ですが争っていた人たちが協力する結果になったのは、嬉しい限りです。


 司祭たちの瞳に宿る光。難民となった民を救うという使命感と強い意志を感じます。あとのことは彼らに任せれば大丈夫でしょう。


「私は規則正しい生活と正しい身長体重を維持するため、食料を集めましょう」

「神の武器を復興するための採掘、鍛冶、祝福。そういった多くの仕事を発注して民に仕事を与えます」

「苦難にあえぐ民に安らぎを。雨風塞ぐ家と安らかなる寝床、そしておっぱいを」


 …………その、信用して、いいんですよ、ね?

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