34:聖女は絶望の中で神の声を届ける
――私の目の前で、トーカさんがなぶられている。
「ぎゃん!」
大の大人が本気で振るう拳。それがトーカさんの頭を襲います。拘束されて避けることも防御することもできないトーカさんは、ただ悲鳴を上げることしかできません。
「ぁ……!」
「簡単には死ねないと言ったぞ。HPが0になった時に1になる祝福をかけているからな。死ぬほどの痛みでもすぐに蘇れる。気を失うこともできないぞ」
「……そ、う。遁甲符並のレア加護じゃない、アタシ虐めるためにそこまでするとか、バッカじゃない……んぐぅ!」
「そうだ。貴様に復讐するために全てを注ぎ込んだ。そして今、それがかなう!」
死ぬほどの痛み。死ぬほどの苦しみ。皇帝<フルムーン>から、トーカさんは何度も何度もそれを受け続けます。その度にステータスの加護で蘇り、そしてまた痛みと苦しみを受けます。
やめてやめてやめてやめて――
口が開けたら喉がつぶれるまで叫んだでしょう。私が代わりに受けます。だから許して。トーカさんを殴らないで。そう叫びたい。だけど私の口は赤い液体で覆われ、声をあげることもできない。手足を振るうこともできない。
その前に立って代わりに殴られてあげたい。癒しの術を使って傷を癒してあげたい。せめて傍にいて手を握ってあげたい。だけどそれもかなわない。私にできることは、ただ見ているだけ。トーカさんが苦しみ、痛めつけられるのをただ見ているだけ。
自分の事なら耐えられます。だけど、トーカさんが痛めつけられるのは耐えられない。
「次はどうしてくれようか? その生意気な目玉をスプーンでえぐろうか? 生意気なことを言う舌をナイフで焼き切ろうか? 胸を開いて穢れた血を運ぶ心臓を取り出そうか? 部位が欠損しても痛みは続くが死なないからな!
何度でも何度でも苦しむがいい。拒否などない。愚民ごときが皇帝に逆らえばどうなるか。それを身をもって味わうがいい。はははははははは!」
痛みと苦しみと恐怖。繰り返される悪夢にトーカさんの精神が摩耗しているのが分かります。壊れていくトーカさんの心が嫌になるぐらいに理解できます。
「んんんんんんん!」
がむしゃらに体を振るい、血の拘束から逃れようともがきます。手足がもげてもいい。何がどうなってもいい。早くしないと、トーカさんが壊れてしまう。私はどうなってもいいから、トーカさんを、トーカさんを……!
「陛下、戯れはそこまでにしましょう」
声をあげたのは、リーンでした。
「その者の命を絶ち、早く人間の支配を行いましょう。聖杯ですべてを飲み込み、世界を支配する。それが皇帝の務め――」
「黙れ無能! コイツに復讐するのは悲願だったのだ! それを止めろだと! 何の権限があって私の行動を止めるというのか!」
トーカさんを殺せと意見するるリーン。それを却下するクライン。
「確かに私に止める権利はありません。その者を捕らえられなかったのは、確かにこちらの落ち度です。
ですが、たった一人の子供に拘泥して支配を疎かにするのは、皇帝として如何なものかと」
「黙れ黙れ! コイツへの恨みを晴らす。そのために離宮に閉じ込められるという雪辱に耐えてきたのだ! それを晴らさずに何ができる!
皇帝として如何なもの、だと!? 余が皇帝として不服だというつもりか!」
「そのようなことは。しかし――」
トーカさんへの復讐に燃えるクラインはリーンの申し出を叫ぶように却下します。しかし、リーンは食い下がるように言葉を重ねています。
「その娘は生かしておくと何をするかわかりません。盤石の支配のためにすぐに処分してください」
「ならぬならぬ! コイツは死すら生ぬるい人生を送らせると決めたのだ。世の支配が続く限り死ねず、そして狂うこともできず。ただ苦痛だけを味わう人生を。世の溜飲が下り忘れられても、苦しみからは逃れられぬ運命をくれてやる。
そもそもこの状態のコイツになにができる? 仮に逃れたとしてもその辺の魔物に襲われて一捻りだ」
「……わかりました。その娘に関しては考慮します。
ですがせめて、皇帝の威光を先に示してください。このオルストシュタインに満ちた貴方の血。それに触れている者をその聖杯でくみ取り、その力を奪ってください」
悔いるように譲歩するリーン。そして頭を下げ、このオルストシュタインすべての人間を支配するように願い請う。
……本来なら、悪魔が人間に頭を下げるなんてありえないはずです。ナタの時も相手を利用していたリーン。交渉で下手に出ることこそあるでしょうが、この態度はそれとは違う気がします。
やむなく下手に出ている。言うならば、望まぬ相手に忠義を誓うような印象を受けます。忠義。騙す相手ではなく、従う相手に抱く感情。敬意はないのに、従うと決めた感情。
人格的には敬えないのに、立場として敬うと決めた氷の感情。冷たく、そして義務的な感情。人間をあれだけ侮蔑していたのに。いいえ、だからこそ冷たい仮面をかぶっているように見えます。
ナタに抱いていたのは『表向きは敬意を抱きつつも、利用するつもりだった』侮蔑感。だけどクラインに対してはそれは感じません。本来の気持ちを殺しながら、忠義を抱く。それが言葉と態度から感じられます。
悪魔にとって忌むべき人間なのに、何故?
「……よかろう。役立たずとはいえ部下の嘆願を無碍にするほど狭量でもない。余の度量の広さに感謝するがいい」
「ありがたき幸せ。その慈悲に感謝します」
演技には違いませんが、皇帝をコントロールするために下手に出ているようには見えません。皇帝<フルムーン>となったクラインに、ある程度の敬意があるように見えます。
皇帝<フルムーン>に全てを支配してほしい。人間は滅ぼすべき対象とはいえ、その気持ちは偽りではない。そう感じます。
「皇帝の庭に在るすべての国民よ。余に全てを捧げよ。血を、力を、財を! 余の支配の礎となる幸せをくれてやろう。
力なき民は余の支配のもとで生きるがいい。奴隷として魔に傅く役割を与えよう」
皇帝の持つ聖杯から赤い液体が溢れます。私達から力を奪った能力。それをこのオルストシュタインにいるすべての人間に行う。歯向かう力を奪われ、奴隷としての人生を強要される。
それを止める術は、もう私達にはない。いいえ――
「偉そうに何言ってんのよ……『その前に復讐の時だ』とか言っときながら、ハンパなままで、やめちゃうの? へっぽこうてい」
トーカさんが、口を開きます。あれだけ殴られて、口を開くのもつらいはずなのに。
「アタシはまだまだ、元気よ……復讐したいとか、悲願とか、恨みを晴らす、とかは、もういいんだ。アンタの、憎しみ、その程度……はぐぅ!」
「黙れ黙れ黙れ! 貴様への恨みがこの程度なわけないだろうが!」
言葉を重ねようとするトーカさんに、拳を振るうクライン。何度も、何度も、感情と拳をぶつけます。
黙っていれば殴られないのに。町の人を守るためにあえて憎まれ口を言ったのです。トーカさんは優しいから。その優しさこそがトーカさんだから。だけど、だけど……! こんなの辛すぎます……!
「爪の一つ一つを削いで! 皮の一枚一枚を剝いで! 骨の一つ一つを砕いて! 神経に直接針を刺してやる! 惨めになっていく自分の姿を見ながら、苦痛と恥辱にまみれるがいい!」
「強い言葉で……こんな子供を威圧するとか、ダサダサ。皇帝どころか、人間の格がみえ……っ! すぐに暴力に訴えるところも、んぁ!」
「黙れ! 黙れ! 黙れ!」
息絶え絶えになりながらも、トーカさんは黙りません。トーカさんを殴っている間は、オルストシュタインの人達には皇帝の杯は届かないから。それだけの理由で、トーカさんは黙らない。
「大体、名前からして最低なのよ。
皇帝<フルムーン>? 何よそれ。<フルムーンケイオス>から、名前持ってきたの、見え見え、じゃない。そんなありきたりな、名前つける時点で、ネーミングセンス皆無なのよ。
それでやることが、子供に蹴られた復讐とか、そんなセコイ心のくせに、世界を支配するとか笑っちゃ――」
パァァン!
響いたのはこぶしで力任せに殴ったのではない。平手で頬を叩いたような音。
そしてそれを行ったのは、それまで何かを我慢するように皇帝に跪いていたリーンでした。リーンが目に涙を浮かべ、トーカさんを平手打ちしたのです。
「こいつがお母様の名前を受けるのに相応しくないことは、貴方に言われるまでも……! この名前を、お母様の名前を馬鹿にすることは……それだけは!」
感情を制御できない。そんな表情と言葉。これまでのリーンとは思えない、感情が爆発した悪魔がそこにいました。信じられないようですが、リーンは明らかに激昂していました。
恥辱と、そして怒り。自分でも誇れない行動をしていることを指摘された恥と辱め。大事なものを汚された、怒り。それをリーンから強く感じました。
「っ! あああああああああああ!」
悪魔は許可なく人間に攻撃できない。
「お母様! お母様! お母様ぁぁぁ!」
その掟はリーン自身が告げた事。その掟を破ったリーンの足元から延びる黒い靄のようなツタ。それがリーンに絡みつき、喰らっていく。リーンという存在を食らいながら、リーンを影の中に沈めていく。
「ごめんなさい。私は、お母様に、この世界を――!」
悲鳴――むしろ慟哭とも思える叫び声とともにリーンは姿を消しました。泣くような叫ぶような。トーカさんの言葉が許せず、そのまま感情を爆発させるように掟を破り、そして悪魔はそのまま消えていった。
「ふん、興が削げた。最後まで無能な悪魔だったな」
皇帝はただそう吐き捨てて、言葉通り興味をなくしたように冷たい目でトーカさんと私を見ます。消えたリーンの事などどうでもいいのでしょう。言葉通り、興味をなくして頭が冷えたようです。
「安い挑発に乗ってやったが、それもここまでだ」
「顔真っ赤にしてたくせに、よく言う、安いってのは、アンタの事言ってんの?」
「冷静になれば、その憎まれ口も負け惜しみに聞こえて心地いい」
改めて杯を掲げる皇帝。もう、トーカさんの言葉には乗る様子はありません。皇帝に力が集まっていくのを感じます。
「無駄な足搔きだったな、遊び人。数十秒は時間を稼いだようだが、満足したか」
嗤う皇帝。もう、クラインの支配を止めることはできない。
『いいえ、その足搔きは無駄ではないでち!』
声は――舌足らずの赤ちゃん言葉は、私から響きました。口をふさがれて声が出せないのに。私を中心にして空気を震わせ、声が響きます。
この声。この存在。それを私は知っています。かつて体内に宿したことがある温かい感覚。全てを包み込むような、母を思わせる慈愛。
『生命の神シュトレインの名において、偽りの支配者から力奪われる人達を救いまちゅ!』
シュトレイン。この世界そのものと言える<
神の声は私から発され、オルストシュタイン全土に響きます。人々の魂に直接響く神の声。人々がそれを認識した瞬間に、神は奇蹟を行使し終えました。
「なに……!? 我が支配領域にいるものを、全て移動させたというのか!」
皇帝が力を奪うより前にこの地に住まう生物――約15万人の人間と8万近くの動物――を遠くヤーシャの大地に転移したのです。
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