30:聖女は悪魔に警告される

 遠くに聞こえる戦闘音。それを背中に感じながら私とトーカさんは大通りを走ります。避難する人達が集まる公園ではなく、その先にある貴族の離宮。


 ヘルトリングさんはそこにクライン皇子がいると言っていました。トーカさんに蹴られて療養中、という名目でそこから出ないようにしているようです。


「アタシと同じ刑務所に入れればよかったのに。いろいろ悪いことしてたんでしょ」

「国家の体制上、そうも行かないんです」


 トーカさんの言葉に、私はそう返します。


 皇族はこの国の象徴。それが罪人となれば国そのものが貶められることになります。民が国に対する信頼を失うと同時に、外交的にも大きなマイナスです。清濁併せ吞むのが政治の世界。国とそこに住む人を守るために、あえて泥を飲むのが政なのです。


「まあいいわ。刑務所より館の方が襲撃しやすいし。変身前にぶん殴るとか、最高じゃないの。魔法少女とか変身ヒーローとか、日常パートの時に襲って倒せばいいのよ。悪役は何でそれしないんだろうって疑問に思うわ」


 時々トーカさんのたとえが分からないんですが、その顔からあくどいことを言ってるんだなぁ、というのはわかります。


「よくわかりませんが、魔王になる前に止めることができれば問題ありません。

 いえ、そもそも魔王にならないのでしたらいいのですが。私の勘違いの可能性は……十分にあります……し……無理して皇子の所に行かなくても……」


 実際の所、クライン皇子の魔王化は証拠らしい証拠のない推測です。状況を繋ぎ合わせて、もしかしたらそうかもという程度の想像レベル。それで軟禁されているとはいえ一国のトップのいるところに行くのは、明らかに度が過ぎています。


「今それ言う?」

「それは……はい。でも、クライン皇子に対して冷静でいられるかというと……すみません、今更ですよね」


 ――ですけど、胸騒ぎが収まりません。


 クライン皇子に従属するように強いられていた過去。洗脳され、心折れるまで人の命を奪わされた過去。あの時の目が、あの時の態度が、私の心を締め付けているだけなのかもしれません。ただの恐怖で、偏見で、それが私の目を曇らせているのだとしたら……。


「大丈夫よ」


 そんな私の怯えを押さえるように、トーカさんは私の手を握ってくれました。決して強くはないけど、確かなぬくもりと存在感。その優しさが、私の怯えを拭い去ってくれます。


「間違ったらゴメンて謝ればいいのよ。っていうかもともとこっちは被害者なんだから、むしろ貸し借りゼロ? むしろ全然蹴り足りないわ。もっと痛めてもよかったかもしんないわね。

 よし、間違っても謝んない。けってー。いろいろストレスたまってるし、思いっきりやっちゃうわ」


 ……優しさはあるんですが、それだけでもないようです。トーカさんらしいと言えばトーカさんらしいのですが。


「相手は一国の皇子で、私達を召喚した人なんですよ」

「あんだけのことされて敬意抱けとか言われても無理よ。元の世界に戻る方法だって、魔王化するっていうんなら普通に教えてくれそうもなさそうだし」

「そうかもしれませんけど。国にはその国の文化と歴史があって」

「空気読むとか鬱陶しいの。アタシはアタシがやりたいようにやるのよ!」


 国の歴史や権威でトーカさんを縛ることはできません。自由奔放……というよりは、


「ワガママですね、トーカさんは」

「自分に素直なだけよ。我慢するとか我慢できないの」

「そうですね。そうですとも」


 そんなワガママなトーカさんだからこそ、惹かれたのです。


 わがままで自分勝手で、そのくせ誰かが困ってると手を差し伸べる。操られて殴りかかった私の声を聴いて、この世界を楽しもうと言ってくれた。そんな自分勝手なのに他人を見捨てられない貴方だからこそ、今こうして一緒にいようと思うのです。


「いやまったく。自分勝手にもほどがありますよ。

 なんで真っ直ぐこっちに来るんです? いくらなんでも理不尽ですよ」


 声は真正面から聞こえてきました。そこに立つのはシスター服を着た女性。神を示す聖なる印はなく、肌の色こそ白く美人と言える女性。だけどその内面は、人間を認めない、悪魔。


「リーン」

「いい感じでテンマさんを説得して同時に暴れさせたのに。あの暴れん坊を時間通りに動かすのは苦労したんですよ。人間特有の『仲間を守るために一致団結して戦う!』とかそういうのを期待してたのに」


 ため息をついて肩をすくめる修道女。リーン。裏で動いているのを隠すつもりはないようです。

 クライン皇子に向かう私達の前に現れたという事は、


「そこまで私とトーカさんをクライン皇子に会わせたくないんですか?」

「あのアホを魔王にするとか、悪魔も本気で人材不足なのね。同情するわ」

「そこまで知られているとは。少し喋りすぎましたか」


 言って口元を押さえるリーン。二体の魔物を無視してここに私達が真っ直ぐ来ている時点で、ある程度は看破されていたとみていたのでしょう。言葉に焦りはありません。


「ええ、その通りです。貴方達が魔王を倒したおかげで魔物勢力はしっちゃかめっちゃか。次の王様は自分達だとばかりに種族大戦争が起きつつあります。その欲望を人間に向けてほしいのに。困りものですよ」

「荒れる魔物を押さえるために、時代の魔王を選別していたのですか?」

「<ケイオス>様は良き魔王でした。ですが、私達への忠義が高すぎました。王というよりは中間管理者。管理されたものを扱うのは適していましたが、荒れ狂う暴徒を押さえるのは難しいでしょう。

 その点、クラインさんは王の気質バリバリです。混乱する魔物を力で統治してくれるでしょう。300年ぐらいは恐怖政治になりそうですが、まあそれも歴史の一部という事で。

 あ、当然人間も統治しますよ。あの人は人も魔も支配したいようですし」


 言って笑みを浮かべるリーン。人間も、魔物も、支配する。かつてあの人に魅了されて支配されていた私は、その事を思い出して身をすくめます。怖い。暴力が怖い、言葉が怖い、仕草が怖い。あの怯えて過ごしていた日々。心を殺してきた日々。あれが、蘇る――


「はいはい、妄想はそこまでよ。そうなる前に蹴っ飛ばして今度こそ本当に入院させてやるわ。心折れるまで罵って、王様なんて絶対やれないヒキニートにしてあげるわ」


 パンパン、と手を叩いていうトーカさん。そして私の手を握ってくれました。そうです。そんなことはさせないとやってきたのです。乱れた呼吸を戻すために握られていないほうの手で自分の胸を押さえます。……大丈夫。トーカさんと一緒なら。


「てなわけで通させてもらうわ。悪魔が人間に手出しできないのは知ってるんだから。ボスっぽく現れたけど何もできない巨乳おつー。コスプレとかして若作り大変ねー」

「はあ。胸も見た目もステータス同様操作できるので苦労は特に。肉体的な記号でしかないんですがなにか?」

「ぐぬぬ……! 羨ましくないもんね!」


 リーンを罵ろうとしたトーカさんが、リーンの反撃を受けて悔しそうにしています。反撃というよりは本気で疑問に思っている問い返しなのですが。そしてダメージを受けているのも自分のコンプレックスからなのですが。


「とにかく通るわよ! 話すとダメージ喰らうしね!」

「人間は理解できませんね。そんなことでダメージを受けるなんて……。

 それに、私が無意味に出てきたと思いますか?」

「なにを――」


 何を言っているのかと問おうとした瞬間に、ゾクリとした何かが背筋を走ります。その悪寒が杞憂ではないことを証明するように空は血のように赤く染まり、向かう先に圧倒的な『何か』の圧力を感じます。


ですよ」

「警告?」

「私がここに出てきた意味です。貴方達に警告をするために来ました。

 すでにクライン皇子は新たな支配者となりました。これ以上進むのなら、その事を覚悟したうえでお進みください」


 にこりと微笑むリーンの顔には虚構の色はありませんでした。


 

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