8.5 魔王が来りて笛を吹く

「ドグナデヴィアがやられたか」


『時計大橋跡』の頂上で、赤い肌をした悪魔がうなりをあげた。


 レッドバロンこと『ベドゴサリア』。青悪魔ドグナデヴィアがトーカ達に倒され、その事を感知していた。


「かつて人が作りし人口の聖域。神が住む城へ続く梯子の片側を奪いに来るとは。ドグナデヴィアから受けた傷を癒すために撤退したようだが、彼らがこちらに攻め入ってくることは必至!

 いいだろう、このベドゴサリア。技巧の極みをもってして彼らを打ち砕こう。わが盟友にして永遠のライバルであったドグナデヴィアを討ちしその実力、如何なるモノか。この鍛えられし筋肉で受けとめてくれよう!」


 ベドゴサリアもまた、正々堂々とした戦いを望んでいた。ライバルともいえる青悪魔を倒したトーカ達。それを仇と恨むつもりはない。戦いである以上、討たれるのは宿命だ。恨み辛みは戦場に立った時点で捨てている。


「いずれ来る彼らのために、自らの鍛錬を怠るな! 人間達に我らデーモンの誇りと生き様をしかと刻ませるのだ!」


 ベドゴサリアの振り上げた赤い腕。それに呼応するデーモン達。強敵との戦いを前に震える声が、塔内に響き渡る。


「それまでだ」


 その熱は、一つの声で静まる。双子時計塔の統括者である赤悪魔。その悪魔の背後に立つ黒ローブの声。その声に、デーモン達は委縮するように動きを止めた。


「ま、魔王様!?」

「魔王<ケイオス>様!? 城におられるはずの王が、なぜこのようなところに!」


 驚くデーモン達。その動揺が十分浸透したのを確認するかのように沈黙し、そして手をあげる。


「この塔を守る諸兄等の働き、王として感謝している」


 平坦な言葉。感謝の言葉とは思えない、怒りを抑えた口調。


「しかし、その健闘空しく塔の一角が落とされたのも事実。人間どもは一時撤退したが、こちら側を奪われれば人間側に希望を与えることになるだろう。

 それで我らが不利になることはないが、人間どもに希望を与えてやる義理はない」


 静かに声が響く。その声一つ一つがデーモン達に波として伝わり、言葉は脳に影響を与える。魔王の言葉、自分達を統治する王の言葉。その意思を正しく理解する。理解させられる。


「この塔を守る勇士達よ。如何なる手段をもってしてもこの塔を守れ。侵入者を容赦なく痛めつけ、死が救いになるほどの絶望を与えよ。人間に希望がないことを示し、魔王の威厳を知らしめよ」


 赤悪魔を含んだデーモン達はその言葉に膝をつき、首を垂れる。先ほどまでの熱い気持ちはもうどこにもない。人間を殺す。それ以外は何もない心無い駒データとなる。


「オオオオオ、オオオオオオオ!」

「殺ス! 人間殺ス!」

「切リ裂イテ、引キチギッテ、殺ス!」

「背後カラ襲ッテ、殺ス!」


 ただの言葉でモンスターの意志を奪い、意のままに操る。


「これより私が指揮を執る。塔内に罠を仕掛け、防壁個所を強化せよ。襲撃ポイントに死角を作り、一網打尽できるように戦術を組み替えろ」


 これが王の権威。魔王と言う存在の力の一端。


「御苦労様です。<ケイオス>様」


 場を支配する魔王の背後に、一人の少女がいた。侍女のような姿をした幼女。朝霧桃華と同年代か、あるいは少し下の年代に見える。


「もったいなきお言葉。私は<ケイオス>の名を冠するだけのモンスターの支配端末。彼らを統括するためのユニット。

 アンジェラ様に管理される魔物の一体にすぎません。むしろこのような大役を与えていただき、感謝の極みです」


 振り返ることなく、しかし言葉に確かな敬意を乗せて<ケイオス>は侍女に言葉を返す。戦いの熱にうなされたデーモン達はそれに気づかない。気付いたとしても、魔王が『忘れよ』と言えばすべて忘れるだろう。


 アンジェラ。そう呼ばれた侍女。王と侍女の関係とは思えないやり取り。


 魔王<ケイオス>と呼ばれる存在を管理する存在。魔を統括する王すら傅く存在。


「気負わずともよい。今はそなたがこの世界の王。そう設定したのは、わらわじゃからな」


 悪魔アンジェラ。


 リーン、テンマと共にこの世界の母である<満ち足りた混沌フルムーンケイオス>に仕える存在。神と呼ばれる存在に対抗し、この世界の人間を滅ぼそうとする存在。


「リーンもテンマも性急で困る。このままじわじわと攻めれば、11011314時間後には人間は絶滅するのにのぅ。

 テンマに至っては母様の誓いを破る始末。怒りに任せて粗野になるなど雅にかけるわ」


 概算1250年。その程度待てないのかとため息をつくアンジェラ。時間間隔も人間と言う存在の枠組みを超えている。


「おぬしもそうは思わぬか?」

「私からすればリーン様もテンマ様もアンジェラ様も天上の存在。その思考を理解できるものではありません」

「つまらぬ答えじゃのぅ。まあやむ無しか」


 魔王<ケイオス>に尋ねるアンジェラ。形こそ直立不動で背中を向けているが、言葉の内容は主従どころかはるかな上位存在に応えるようである。事実、自らを生み出し魔王と言う役割に任命した存在なのだが。


「神に召喚された異なる世界の人間。英雄と呼ばれた者達がその特異性を起爆剤にステータスを鍛え上げ、魔王に届く可能性ができたところを神が乗っ取り、我らを討つ。

 姑息な作戦じゃな。この世界に干渉できない以上それしか手がないのじゃろうが、そこまでして人間を守りたいとはな。苦肉の策にもほどがある」


 アンジェラは空を見上げ、そう呟く。かつて同じ母と共にあった存在。母の元から離れ、人間を作り出した神の三人。彼らはいわば兄弟姉妹だ。テンマは離反行為に怒りを感じていたが、アンジェラは複雑だ。


「全く……人間など見捨ててしまえばよかろうに。ステータスの庇護があってようやくわらわの作りしモノに対抗しうる存在。そのステータスもわらわ達に弄られれば水泡に帰す脆い存在。

 そんな奴らを守るために意地を張るなど、理解できぬわ」


 アンジェラからすれば、人間を滅ぼすことは作業でしかないと思っている。母の元を離れた神々。それを説得するための前提条件。人間さえいなくなれば、あの三人もわがままを言わずに母の元に戻るだろう。そんな程度だ。


「まあよい。神の器になりうる人間候補を潰せばよかろう。せっかく数がまとまってるんじゃからな。まとめて潰させてもらうとするか。

 リーンとテンマを退けた手腕。この世界の事を知る存在。世界そのものをメタ思考できる智謀と、そこから生み出される判断力。とくとそれを見せてもらうぞ、アサギリトーカとやら」


 魔王の言葉で熱狂する場の中、静かに思考するアンジェラ。その脳裏には、トーカのこれまでの戦いがあった。遊び人と言う戦闘向きではないと思われたジョブを駆使し、デーモンをも退けるトーカの事を。


 アンジェラはトーカを人間だからと侮らない。ただこれまでの結果を見て、その上で口を開く。


「見事な戦歴じゃが、それもここまで。

 お主がこれまでしたように、今度はこちらがが貴方を攻略してくれよう」

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